RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

鳥井信治郎の「やってみなはれ」精神

サントリーの創業者、鳥井信治郎の家訓として残っている言葉ですが、不況と言われ、社会環境が大きく、しかもドラスティックに変わっている現在では、企業がこの荒波の時代を渡りきるために、一番適切な言葉かもしれません。

高度成長時代に皆横並びに成長して行けた時には、他人の通った轍をトレースするように歩いて行けば、大きく失敗する事もなくGDPの成長率くらいで企業も成長出来たのでしょう。

しかし業種によっては利益を得るためのシステムが、根幹から変わってしまったのではないかと思われるほど、社会環境が大きく変化しています。そんな時に誰かの作った轍をトレースしてみた所で、仲良くみんなが沈没する船に乗り合わせているような物です。

誰も歩いた事のない、答えも正しいのか間違っているのかハッキリとしない、でもこの道を歩いていても沈むだけだとしたら、可能性を求めて新しい道を捜さなければ行けません。

仕事は出来ない事の理由を捜す事ではなく、社会の道理を外すことなく細心の注意を払いながら新しい道を捜す事ではないでしょうか。

何も今までの事を全て否定し、新しいジャンルへの方向転換が求められているのではないと思います。

技術革新や商品開発だけではなく、社内のマネージメントにおいても新しい仕組みで作業効率が上がるのでしたら、チャレンジして行き、一つ一つは小さな効果かもしれませんが、結果としてそれが積み重なる事で大きな効果が上がるのではないでしょうか。



Webと言う環境が出来、社会と企業のダイレクトなコミュニケーションが容易になったと言っても、B to C のビジネスとして以前からマスメディアへ広告の出稿や、ニュースリリースを行う広報部などの部署を持つ企業は、その重要性をよく知っているからか早いうちからの対応も出来ていますが、大きな企業でも B to B で活動してきた企業では、その重要性を理解しつつも行動を起こしていない企業も沢山見受けられます。

広報活動、特にWebと言うメディアを使っての活動は、広告や販促ツールのようにすぐに結果の出る物とは違い、メディアリテラシーを知りコミュニケーションを繰り返す事でお互いの信頼感を高め、持続的な成長を目指す物です。

「やってみなはれ」精神から始めて見るのはいかがですか。




変わらなければいけない事、変わって欲しくない事。

とうとうアメリカのGMが米連邦破産法11条を申請し、倒産してしまいました。

第二次世界大戦後からの急激な経済成長で、従業員の雇用に関する事や、株主に対する大きな見返りなど、いろいろと風呂敷を大きく広げすぎた結果、いろいろなしがらみで身動きが取れなくなり、作り出す製品がコンシュマーの求める物と乖離してしまった事が原因なのではと、今さらながらに感じられます。

しがらみがあまりにも多くて変える事が出来ない時は、直接関わりの無い外部から指導者を求めるのが一番合理的なのでしょうか、NISSANも業績がどん底だった頃は改革出来ずに、ルノーと合併後ゴーン社長という外部の人物がきて、ドラスティックに社内を変革したから現在の会社が存続出来たのでしょう。

やはり社会の流れを見て、どの様な物が求められているのかを判断する目と耳は最低限必要なのでしょう、でも新聞や雑誌、テレビと言ったメディアなんかにはこんな物が欲しいなんて一言も書いてありません、有ったとしても既に商品化され、社会的現象になる頃でしょう。

必要なのは社会が変化してきてから慌てて「どの様な物が求められているか」を捜すのではなく、常日頃社会とのコミュニケーションから変化をつかみ取る仕組みを社内に整えておくべきでしょう。

コミュニケーションですから一方通行ではなく、企業と社会の双方向での事を指します、カスタマーやコンシュマーからは社会の動向や嗜好などを聞き、企業側からはブランドのポジショニングや商品情報などを伝える事で、信頼関係を深めてゆけると考えられます。

自動車産業で言ってしまうと、最近は日本車もメーカーによりハッキリとしたポジションを示すようになってきましたが、アメリカのビッグ3と言われるメーカーは、これと言ったブランディングが出来ていなかった事も、不況という荒波に飲み込まれてしまった一つの要因な気がしてなりません。



そんなアメリカの自動車産業に比べ、欧州の自動車産業はまだブランドと言った戦略が浸透していると言えるのではないでしょうか。

FIATのマルキオンネCEOが言うように「将来的に自動車産業は、年間500万台以上生産するメーカー数社が生存するだけになるだろう」との言葉のように、生き延びるためには生産効率の良いボリュームが必要なのかもしれませんが、マイノリティーと呼ばれる個性豊かなブランドも、たとえ電気自動車ばかりになったとしても是非残してもらいたい物です。

同じように小さなマーケットであっても強い求心力を持った趣味の世界、例えば楽器やスケールモデルなどは、人生の中で一時期その趣味から離れていても、趣味としては一生続けられる物ですから、生活が落ち着いた時点で戻ってくる可能性が大きいので、あまり頻繁にスタイルを変化させない方が、戻ってきたユーザーには「あの頃と同じ」という意識付けのためにも良いのかもしれません。




All About ProFileを辞めました。

昨年の6月から参加し、130のコラムと28の Q & A に答えて参りましたが、5月一杯で契約を更新せず退会しました。一番大きな理由としては「専門家」として登録している方達の質の低下を感じた事。

Web環境が整った今、サイトを通じて B to B のマッチングを行う会社がいくつかあります、このような形で仕事の依頼を行ったり受けたりをするには、写真やイラストなど成果物を購入するなどでは効率よく仕事をこなす事が出来るでしょうが、私が仕事としているデザインに関し、クライアントをよく知り信頼出来る関係でないと良いものは出来ないと感じております。

多くのマッチングサイトは、クォリティーよりも納期や金額優先と考えられる節が見え、参加する気も全くありませんでしたが、All Aboutさんはコラムや Q & A と言った内容を重視し、参加する者のブランディングとしては効果があると参加しました。

登録し参加する事にシステム利用料と言った費用も掛かります、現在登録している専門家の方達は908名おり、登録しているジャンルも複数登録されている方も多いと思います。

まぁ、言い換えてみればテナントを沢山集めたショッピングモールのようなモノでしょうか。

私としてはそこに行けばいろいろな業種の、沢山のお店を見る事が出来るよりも、個性的で特徴がある質の高い専門家の集合が、All Aboutさんの差別化というブランディングで、量より質と考えていました。

でも最近私の所属していた「ビジネスジャンル」の専門家の方達で、仕事に直接関係ない話題のコラムや、ランチに何を食べたなど、どちらかと言うと下らないコラムを書く方も現れ、All Aboutさん自体がトイレのスリッパになったダンヒル、またはサンローラン的なブランドになっちゃったのか?。

ブランディングは求められれば何でも行う事ではなく、自分の立ち位置や考え方を表明し、それにそぐわない物は排除しなければ達成出来ません。

サーバー上のスペースを賃貸するだけで、年間2億円以上(予想)の売上があると、あまり細かい事は気にせず、沢山の店子を集めるというのも、企業としてはあながち間違いではないのでしょうが、企業のブランディングという視点からすると、やってはいけない事と感じます。




生き残るために最低限やらなければいけない事

先日のエントリーの「メッセージを伝えるために。」にも書きましたが、世の中に流れている情報を整理し「選択可能情報量」と「消費情報量」の数量的な結果を見ると、目に入った情報でも必要なモノと判断出来ない情報は、華麗にスルーされている事に驚かされます。

この事は社会の情報流通に変化が出てきたと考えられ、一つは今までのようにマスメディアが上流から流し、下流でその情報を受け取って利用する流れと、もう一つは欲しい情報は捕りに行って利用する。

情報取得にこの大きな流れが二方向出てきたと判断出来ます。

つまりモノを買って欲しければ、今までのように企業側からのコミュニケーションである広告や販促ツールでアプローチする方法と、コンシュマーからのコミュニケーションに応えるWebの充実の両方を、車の両輪のようにバランス良く使う事が求められています。

広告や販促ツールは経験豊かな代理店や制作会社がありますし、Webにしても外注する事も可能ですが、企業側からの情報一元化を考えると外のスタッフを使うよりも、企業内の広報という立場で情報を発信していく方が、社内でのノウハウやリテラシーの蓄積も出来るので、CMSを利用するなどして社内で対応する方が良いと考えます。

コンシュマーが知りたいと思う情報を、深掘り出来るよう詳しく載せる事はもちろん、どの様に考え行動しているのか、解りやすく企業理念を表現する事で、企業ブランディングを確立する事を視野に入れ、Webサイトを構築する事が必要です。



間違えてはいけない事は現在有るマスメディアとWebとを同じ土俵で判断しない事。

マスメディアは企業側からコンシュマーにプッシュするコミュニケーション、Webはコンシュマーから企業側へとプルされるコミュニケーションと言えば解りやすいでしょうか。

良くホームページを作ったからウチもウハウハ! なんて思う人も中にはいるようですが、マスメディアを使っての販促ツールでしたら、出稿量によってリアクションもあるのでしょうが、Webは畑です、種をまいて水をまいて育てなければ収穫出来ませんよ。




Graphic Designerの未来は?:1

小さい頃から絵を描くのが好きだった。学生の頃美術の評価が高かった。カタカナ職業でかっこよく見えた。クリエイティブな仕事にあこがれを持っていた。・・・などなどGraphic Designerを目差した理由は沢山あるでしょう。

私がデザイナーを目差していた頃、広告は美術だという意識があり、1970年に「日宣美」(日本宣伝美術会)と言う団体が解散した後にも、Tokyo Art Directors Clubなどの団体がアートディレクターの専門的職能を社会的に確立、推進する目的で設立され活動しています。

社会的に確立、推進する目的という事は平たく言ってしまえば、社会に認められ地位の向上をめざすと言い換えてもいいでしょう。

その他にも社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)などの団体が、ほぼ同じような目的で存在し、その年に発表された優れた広告表現などを年鑑として一冊の本になって出版されています。

日本のグラフィックデザイナーの多くは・・・全員と言っても良いと思いますが、作った広告がこのような団体から「優れた広告である」とお墨付きをもらう事を一つの目標として、イイ広告とはと日々考え向上心を持って制作していました。

このような目的が背景にあったからでしょうか「広告は文化である」といった風潮があり、今でも確かにそんな一面も残っています。

マスメディアに登場する広告とは、企業がメディアの媒体を買い取り、そのスペースを企業が発信したい情報を流すと言った、一方通行のコミュニケーションで、コンシュマーが望んでいない情報もそのまま流されるモノです。

だからと言いましょうか、見て不快なモノは購買行動に繋がらない事から、良いイメージを持ってもらうために、美術としても通るクォリティーでさまざまな表現を駆使して制作していました。



そんな業界団体から度々お墨付きを頂くデザイナーも登場し、一緒に作り上げるコピーライターやカメラマン、イラストレーターなどさまざまな横文字職業も紹介され、広告のトレンドのようなモノも出てきたりしました。

グラフィックデザインの仕事は、広告でポスターなどを作るだけではなく、会社案内や商品カタログ、チラシやDMと言った販促用のツール制作にも携わり、企業と社会のコミュニケーションの最前線にいて、沢山のデザイナーが沢山の仕事をこなしていました。

しかし、PCが一人一台が当たり前になり、ソフトウェアの使い勝手も専門スキルをあまり要求しなくなった事で、コモディティー化が進み、誰でもが原稿を制作出来るようになりました。

インターネットの発展により、マスメディアと言われていた新聞や雑誌などが衰退し、デザインを必要とする媒体自体が減ってきました。

そんな中でも従前通りに美術的完成度を求められる仕事が皆無になったかというと、総量こそ少なくなりましたが、いまだに多くのクライアントから求められています。

仕事が残っているとは言えグラフィックデザインの仕事の総量が減ってきている事には変わり有りませんし、コモディティー化で誰もがデザインに参画出来る状態になっており、その結果高度な専門知識を必要としていた質の高い表現は減り、次から次へと大量に消費されるような作品が増えたと感じるのは私だけでしょうか。

元々グラフィックデザインは、クライアント企業が社会とのコミュニケーションを目的に、手段として広告や販促用ツールを作っていたわけで、媒体がさまざまに変化しても「買って欲しい」「愛して欲しい」といった目的は変わりません。

これから先グラフィックデザイナーに求められるものは、今まで求められていた美術的センスも必要とされていますが、マーケティングや各メディアに対するリテラシーを持つ事も要求されていると感じます。




人は自分に無いモノを求める。

マスメディアは終わっただとか、新聞やテレビに明日はないとか言われて久しいですが、現実的な所マスメディアを利用した広告の効果は、いまだに主流に居続けています。

主流として流れの中心には居ますが、その周りに流れるWebと言う新しい流れも、無視出来ない勢いになってきているのも確かです。

アメリカ発の金融危機が引き金となって、商品が売れない時代と言われています。

売れる商品を開発するのは当然の行為としても、この先現在の延長線上の商品開発だけで良いのだろうか、社会環境がこの先も変化し続けるとしたら、開発にも新しい切り口が必要なのではないのか。

新しい商品開発の切り口とは、新しいニーズというか鉱脈を見つける事なのか。

金がなければ金が欲しい、自由がなければ自由が欲しい、愛がなければ愛が欲しい、欲しいと感じさせるためには無いモノを探せ。生活をするのに便利な都会には田舎の不便はない。清潔・綺麗で人工的な場所には虫や動物の住む自然豊かな場所はない。

何とも人はワガママなものである、しかし商売の基本は「そのワガママを満たす事」で成り立っているのではないだろうか。

今まで地方に出来ていた大型商業施設などは、地方都市ではない「東京」の洗練と品揃えを持ってくる事でお客様に夢を与え、時間を消費させる商売をした。

自分の容姿はどうだろう、絶世の美男・美女だろうか。少し不安を煽る事で少しでも美しく見える化粧品や、スキンケア商品を購入してくれるのではないか。

家電製品はどうだろうか、その製品を使えば便利な暮らしが待っているのだろうか。効率よく家事をこなす事で、時間を有効に使う事が出来るようになるのだろうか。


・・・そんな自分に無いモノを求め続け、揃え続けた結果、家にはさまざまな商品があふれかえっている。

経済成長はズーッと右肩上がりで成長を続ける事を余儀なくされる、ニーズを探しに隙間を覗く、メジャーではなくニッチまでもがマーケティングに組み込まれていく。

今の社会はモノもサービスも満たされているのではないのだろうか、だから“欲しい”と考えられるプラス思考の商品を市場に投入する、でも人は自分に無いモノを求めている。

モノやサービスがプラスされて便利な生活は既に持っている、反対に何もない不便な生活はどうだろうか、本当に不便な生活だからこそ、今までに無い豊かな生活を発見出来るのではないだろうか。

全てを機械がこなすのではなく、人の作業を残す事で使う人間の満足度が大きくなりはしないか。

全てのサービスを提供するのではなく、顧客が作業する事で満足度は上がらないのか。

新しい商品やサービスは、何でもかんでも出来るといったモノから、ある部分をユーザーの裁量権で手作業する部分を残す事で満足度が上がる、バイクでも車でもクラッシックと言われるモノを愛好する人たちは昔からそう感じている、便利な事がイコール楽しい事ではない。

今までのように完全ではないが、使って楽しい製品、心に訴えかけるエモーショナルをコンセプトの前面に打ち出した製品が出てきても良いのではないかと感じるが、いかがだろうか。




恋してる?

私など恋愛なんて言葉を聞くと、遠い昔のように感じますが、今回のエントリーは男女の事ばかりではなく、広告やイベントなどの企画を考える上で、一番大切であろう「誰に何をどう伝えるか」をプランする基本は、恋愛とよく似たポイントだろうと感じた事がスタートです。

試しに置き換えて考えてみると非常に分かりやすかったので、文章として整理してみました。


彼氏や彼女を手に入れるための手練手管、と言ってしまうとあまりスマートではありませんが、人の行動から見ての“恋をする”とはどんな状態なのでしょうか。

生物学的見地からすると方向が変わってしまいますので置いて置いて、行動学的見地からと限定すると「お互いを良く知りたい、理解したい」が“恋”だと言われます。

相手の事を良く理解し、共に生きていけるように可能な部分は自己を変えて行き、さらに相手を深く理解する、パートナーの長所・短所・社会的な位置づけなど、相手を知れば知るほどターゲットユーザー毎にさまざまな仕掛けも作る事が可能です。

企画を考えるプランナーの仕事の第一歩は、クライアントに、売るべき商品に対して恋をする事から始まります。と言った方が「マーケティングから導き出されたロジックで、プランを提案しました」と説明するよりもなんだか堅苦しさが消える気がします。

通常代理店やクライアントからのオリエンの時には、プレスリリースに毛の生えた程度のオリエンシートに、商品の写真を添付される程度で、その背景にある企業理念や、エンジニアが作り上げる上で拘ったものなどは、伝わってこない場合がほとんどではないでしょうか。

恋愛などで付き合いも長く深くなっていくと、相手はどこで生まれ、どんな学校に通い、どんな本や音楽、俳優やミュージシャンが好きなのか、本人を形成する外堀がドンドン埋まって行き、目に見える姿を始め、考え方などから本人という姿が形になっていきます。

相手をよく知る事で初めて正確な姿をイメージ出来、アピールするための戦略が組めるのではないでしょうか。

良く理解しないでプランニングに走ると、分からない部分は“そうあって欲しい”と自分の主観で補足する事になり、意図するプランからずれてしまう可能性もあります。

正確な情報を沢山集め、相手を深く理解し、自分の友人や親に紹介した時に気に入ってもらえる紹介の方法が、広告の、広報のプランニングだと感じます。




広報業務のこれから

先日のエントリー「選ばれるために」にも書きましたが、「とことん気に入ってもらえる」言い換えればあなたの会社、または製品をこよなく愛してくれている○○オタクは居ませんか。

こんな油で汚れた工場しかないし、こんないわゆる3Kの仕事に興味持つ人なんて・・・。

と中で仕事されている方は普通に考えてしまいますが、世の中は非常に広い。

例えば京浜工業地帯の子安あたりに、コンビナートなどが住宅地と大きな道路とJRの線路に挟まれ、住環境と共存しているゾーンがあります。

高度経済成長の頃は、公害の汚染地域で正直あまり言いイメージはなかったのでしょうが、現在は汚染部質の除去も思う通りにすすみ、大きな工場やコンビナート付近でも空気が汚れていると感じる事も少なくなりました。

するとどうでしょうか、工場フェチ、コンビナートフェチなるコアなファンが出てきて、BlogやSNSなどで盛んに情報交換されていたりします。

東京都大田区などにある中小の工場も、高度な機械のセンシング技術ではなく、働く職人の技術力の高さから製造過程が情報番組で紹介される事もあり、関心が高いと言えるでしょう。

また、公共交通機関の乗り物である電車や航空機なども、定常運行するために監督官庁である国土交通省で定められた非常に厳しい整備を科せられており、事業でかかる費用の中でも大きな原価率を占めています。

電車・航空機ともそれぞれにコアなファンが居ますが、利用者が多いのも共通する所でしょうか。

現在でも利用者に向け、どれだけ平常運行出来るよう、車両や航空機の整備をしているかのPRはされていると思います。

しかし、先日のエントリーにも書きました「メッセージを伝えるために。」にあるように、ステークホルダー達は自分の興味有る物しか見ようとしません、PR誌や年次報告書などの数字だけではなかなか伝わらなくなってきています。

やはり企業から押しつけられる情報は敬遠される傾向があるのではないのでしょうか、しかしオタクと言われるコアなファンが存在する業種なら、芸能界にいるその業種オタクで有名なタレントを使い、オタク目線で興味本位の根掘り葉掘り深掘りで工場の業務や仕組みなどを紹介出来れば、大きな効果があると思われます。

企業のファンを多く掴むためには、一方通行の情報をただ流すばかりではなく、興味を持ってもらえるような工夫や仕組みがより必要になってきます。

特にコモディティー化が進み、コンテンツを制作するにもアイデア一つで手軽に誰にでも作れるようになってきましたので、目的によるメディアの差と言った足枷も小さくなりました。

企業もオタクと言うコアなファンと一緒に企業価値を高められるよう、チャレンジしてみるのも良いのではないでしょうか。




選ばれるために

商品だってお店だって映画俳優だって、コンテンツにしても人に選ばれて初めて商売が成り立ちます。

恋愛なんかでも気になる選んだ人をよく知りたい、理解したいと言う所からスタートしますよね。

商品として選ばれる理由は、値段?デザイン?素材?メーカー?ブランド? さまざまな条件で商品を選ばれていると思います。中でもブランドを理由に選ばれる方は「そのブランドの商品でないとダメ」と言った非常に強い志向性を持っています。

なぜブランドにはこのように「とことん気に入ってもらえる」強い志向性が出来るのでしょうか。

商品であるブランドと同じように、美術や音楽と言った芸術家個人にも強く惹かれる「個人ブランド」という面があります、作家の村上春樹さんはデビュー当時、千駄ヶ谷でジャズ喫茶(夜はバー)『ピーター・キャット』というお店をやられていましたが『走ることについて語るときに僕の語ること』の本の中で、お店の経営と作家としての活動の基本的なポリシーは変わらないと書いています。



「『みんなにいい顔はできない』、平たく言えばそういうことになる。
店を経営しているときもだいたい同じような方針でやっていた。店にはたくさんの客がやってくる。その十人に一人が『なかなか良い店だな。気に入った。また来よう』と思ってくれればそれでいい。十人のうち一人がリピーターになってくれれば、経営は成り立っていく。逆に言えば、十人のうち九人に気に入ってもらえなくても、べつにかまわないわけだ。そう考えると気が楽になる。しかしその『一人』には確実に、とことん気に入ってもらう必要がある。そしてそのためには経営者は、明確な姿勢と哲学のようなものを旗じるしとして掲げ、それを辛抱強く、風雨に耐えて維持していかなくてはならない。それが店の経営から身をもって学んだことだった。」



「とことん気に入ってもらえる」お店と作家という、社会の中ではけして普遍的ではない特徴を持ったお店と職業のブランディングポリシーその物と感じます。

つまり誰もが理解出来る当たり障りのない、読み終わった後、何が書いてあったかすぐに忘れ去られてしまう文章よりも、クセがあるかもしれないが自分の信念やポリシーを表明し、読み終わった後、心に何かしら残る文章が「とことん気に入ってもらえる」為に必要な事なのでしょう。

ただそのために気に入ってもらえない九人からは、「独善的だ」とか「利己的だ」とか文句が出たり、風当たりも強い時もあるのでしょうが、それに耐え維持していかなければブランドにはならない、プライドと痩せ我慢の先にあるものなのかもしれません。




制作する上で一番大切なもの

と聞かれたら、まず頭に浮かぶのはクライアントとの信頼関係。
PCにソフトさえインストールしてあれば、トレーニングを積んでいない人でも、何かしらデザインしたモノは作ることが出来る、今という時代はそんなやる気さえあれば出来てしまう、そんな時代です。

誰もが出来てしまうからこそ、守らなければいけないのは、そのプロジェクトのディレクターは誰なのか。

デザイナーから上がってきたものを確認し、進める時に多くの人が確認し決済するのは、余り賢い方法とは言えません。

なぜならば「船頭多くして、船、山に登る」です。

企業や製品のブランディングを良く理解した者が、一人で決済した方がハッキリとしたメッセージを内包したものを作り上げることが出来ます。

良く見聞きするのが、担当者とその上司、その部署の責任者が代わり番に見、主観でもってここの色はもっと明るく、この写真はもっと大きく、・・・などなど、広告の機能として必要と考えられる事を、コンセプトとして上げ、それに向かって作り上げても、多くの人が機能を理解しないまま意見を出し合うことで、紙面からメッセージ性は消え、ただの普遍的な広告になってしまいます。

良いものを作り上げるために必要なものは、クリエイターにオリエンする際に、何を目的としたツールを作るのかと言った明確な指針、企業理念から導き出される、表現するにあたってのトーン&マナー、クライアント側にはこの二つが必要条件でしょう。

反対にクリエイティブ側に必要とされるのは、センスと向上心、この二つではないでしょうか。

クライアントとクリエイティブにこの要素があって、初めてお互いが認めあえる作品が出来、満足出来る効果があってお互いの信頼関係が出来上がります。

だからと言っては何ですが、私が初めてさせていただくお仕事は、いきなりpdfファイルを添付しては送りません、必ずお会いした上でキチンと意図を説明し、まずは信頼関係を築く事からはじめていきます。



 
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