RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

こぢんまりとキレイに収まって。

以前のエントリーにも書いた事だが、最近新聞やテレビCMで心に残る広告がない。古き良き時代を思い出して「あの頃は良かった」などと愚痴りたいわけではない。その昔学生だった頃はグラフィックデザインは芸術作品とどう違うのか、デザイナーは芸術家なのかアーティストなのか。など学生らしい青臭い議論をした事もある。

確かにデザインという物は対象に情報を伝える事が目的であるから、沢山ある情報の中から伝えるべき必要な情報を整理し、限られた紙面の中にレイアウト出来ればそれがデザインである。企業戦略の手段とすれば、マーケティングから導き出されるビジュアルとコピーを使って表現する事は、非常に理にかなっており、誰からも文句の付け所はない。

しかしそのマーケティングから導き出されたモノは、多くの人がそれを望んでいると言う最大公約数的な数値としての評価であり、想定内のビジュアルで、コピーである。人間の心にある強く残る思い出は、けして普遍的な日常よりも、非日常的な苦しかったり悲しかったりした事の方が、後になって良く覚えていたりする。

対象のマーケットが望んでいるであろう表現をそのままストレートに出すのではなく、期待を一歩、イヤ半歩くらい先に行くような、期待を少し裏切る冒険を感じさせる表現の方が、見てくれる人たちの記憶にくさびを打ってくれるのではないだろうか。

正直言ってコーポレートガバナンスやマーケティングを理由に、自分が余り高く飛ばないように自主規制し、差別化と言いながら他社と大きく表現を変えずに、横並びの表現で満足している事はないか。何だか手段のためにモノを作っているように感じる、企業の考える理念を元にそれを実現するために目的が作られ、目的をかなえるための手段として広告や広報物があるのではないのか。

最近のWebを含め様々なメディアを使った広報物の中で、この「実現するための目的(フレームワーク)」が見えている企業は、私が思い出す限りファーストリテイリング社(UNIQLO)ぐらいしか頭に思い浮かばない。

確かに景気や社会情勢がジェットコースターにでも乗るように激しく動く中で、余り思い切った冒険は出来ないのかもしれないが、100年に一度の危機を 100年に一度のチャンスとして、様々な事にチャレンジする企業も出てきている。そんなチャレンジしている姿を周りの広報物に埋もれない、記憶に残る広報物が出来るように、リーダーはフレームワークを構築しなければいけない。

記憶に残る広報物をを生み出すのはマーケティングのコンセンサスではなく、こう表現したいというリーダーのフレームワークや信念であり、その表現が正しいかどうかは、事後的に市場で実験するしかない。他に比べ一歩前に出るという事は、整理し、キレイに見せるといった技術やテクニックではなく、心を動かすような美しさを持つアートに近いモノだと思う。




フレームワークとは?

ビジネススキルに必要なフレームワークはいろいろな方が書かれ、本になっていますので参考にしていただくとして、Web上では「社会人なら押さえておきたいフレームワーク思考 - livedoor ディレクターブログ」に詳しく書かれていますのでご参考に。

基本的にビジネスに求められているフレームワークと、広報に求められているフレームワークとでは多少ニュアンスが変わっていると思います。

ビジネスに求められるのは戦略を進めるため、メンバー全員がコンセンサスを取るために書いたMap、自分がドコにいてドコに向かおうとしているかの解りやすい地図。枠組みと一言で言ってしまっても、なかなか漠然として理解しにくいかもしれません。

広報に求められるそれは、プロジェクト内でのフレームワークよりもステークホルダーに理解してもらいやすい、プリンシプルモデルと言った方が近いかもしれません。プリンシプル=principleという単語を辞書で引くと、「主義、原則」などとありますが、日本で考える「主義、原則」よりも強い印象で使われ、絶対に譲れない原則・ポリシーと言った方が近いでしょうか。

なぜ広報にはフレームワークという枠組みだけではいけないのかというと、製品や企業のブランディングに係わっているからです。自分の「主義、原則」を守る、つまり自分の筋を通すという表現を貫かないと、考え方がコロコロと変わる、つまり信用がおけない奴とステークホルダーに感じさせてしまう事は避けなくてはいけません。

そのPRを必要とする商品や企業は、社会的にどの位置にあり、どの様に考え判断する事で、将来どの位置に行く事を目的としていると言う、現在の自分の姿と未来の姿をプロジェクトに係わるスタッフが共有し、明確にする事でPRの手段が決まり、プリンシプルモデルを踏襲した表現を繰り返し積み重ねる事で、揺るぎないブランディングが出来ていきます。

例えば友人でもそうですが、人気が取れそうな人の意見にコロコロと考え方を変える友人よりも、自分の信念をキチンと持った友人の意見の方が信頼感もありますし、長い時間を一緒に過ごせる良い関係になると感じます。けして一概に一度決めた事をコロコロ変えるなと言っているのではなく、借り物の他人の意見に左右されず、自分の信念を持って判断し、舵を取れ。と言いたいのです。

その企業がどの様なプリンシプルモデルを持っていて、そのモデルが良いのか悪いのかの答えは、対象となるマーケットが求めている物だったら、全ての人に支持されなくても良いのでしょう。PRを続ける事でブランドを構築していくのには、このような作業を繰り返し続けていく事で、マーケットに認められていき、ブランドとして成り立っていきます。




サービス業としてのデザイナー

バブルの頃などはコピーライターが人気の職業でもてはやされたこともあり、同じ広告の制作という切り口からか、デザイナーもカタカナ職業としてもてはやされた時期がありました。でも平たく考えると、デザイナーも紙面の構成を考える一つのサービス業。

今でもそうですが、見てくれる人たちにどれだけ共感してもらえるか、ビジュアルの作り込みや完成度に強いこだわりを持って制作していました。でも以前まではCGや3Dなんて有りませんでしたから、イラストに凝ったり、ミニチュアを作ったりと、手間もお金もかかる物でしたが、今はデスクトップのPCと、ソフトを使いこなすスキルさえあれば、どんな荒唐無稽なビジュアルだって作り出せちゃいます。

デザイナーの作り出す制作物の完成度やクォリティーの高さは、そのまま自分をアピールするツールになり、それを見たクライアントや代理店から仕事の依頼が来ていましたが、今そのような形で仕事を取っている事務所は一握りだけで、多くのデザイン事務所は涸れてしまった川の流れを見、財布のヒモを堅く締め、雨が降るのを祈っているかのようです。


なんだか昔は街に沢山あった喫茶店の辿った道に似ています。

以前は若者文化の発信地的な扱いで、一日に何度も休憩や打ち合わせで利用し、結構個性的なランチを出してくれたり、コーヒーの専門店として特徴を上手く出したりと、一つの街でも色々なタイプの喫茶店が覇を競っていました。

ネルドリップで入れたコーヒーや、水出しコーヒー、コロンビアやグアテマラというような産地別のストレートコーヒーなど、こだわりと特徴を出していけば、高い家賃を払う一等地でもちゃんと営業できていました。でも今同じような形でお店をやるには、家賃や従業員の給料などの固定費を極力下げ、自宅を改造したお店を家族で切り盛りするような喫茶店しか残っていません。

コーヒーを飲みたければ画一的ですが、決まった条件ならば同じ味を出すことが出来る機械で、決められたマニュアル通りの入れ方をした、比較的な安価なコーヒースタンドや、ハンバーグショップが出すコーヒーで十分なのでしょう。


デザイン事務所も同じように、制作物の飛び抜けたクォリティーよりも、どちらかと言うと誰もが安心できる普遍的なクォリティーで、誰がどのようにして作ったかよりも、アルバイトでも誰でもかまわないが、そこそこのクォリティーを比較的安価で提供してくれるデザイン事務所しか、残っていけないのではないでしょうかね。

涸れた川はもう元のように水は流れることはないでしょう、水の流れは変わってしまったのです。

やれやれ、何か新しいことを始めないとだめだな。やっぱり。




ペルソナを読み違えた結果では?

昨日投票された衆議院選挙は予想されていたとは言え、歴史に残る結果なのでしょう。しかし今まで行われていた選挙を見ていると、事前に大勝を報道された時と、実際に投票された結果を見ると、今回ほど予想が当たった事がなかったように感じます。

選挙を一週間後に控えた新聞各社が行った調査の結果として、民主党300議席を超える大勝の文字が躍りましたが、実際には過半数の議席は取るにしても、300議席を超す勝利は無いのではと感じていました。

前回の2005年に行われた第44回衆議院議員総選挙では、小泉首相の郵政民営化の是非を問う選挙で、投票率も67.51%と高く、第41回・第43回総選挙で投票率が50%台に落ちた近年の総選挙の中でも、今回は69.28%と、70%に届きそうな投票率で、国民の選挙に対する意識も高い物となりました。

今回の選挙結果で、落選した議員さん達が原因を「政権交代の大きな波に抗う事が出来なかった」などと申していましたが、確かにそのような流れはあったと思いましたが、もっと大きな原因は別の所にあるのではと感じました。

前回の第44回総選挙では、小泉首相というリーダーが、変革を拒む旧主派と言われ、足を引っ張る議員達に国民の意識を問うた選挙で、結果として変革していくという政策に国民は賛成した結果だったのです。

やはり社会が変わっていくにつれ、それまでのシステムが古くなったと感じられたのか、既得権を手放そうとしない組織や人に対しての不公平感を是正して欲しかった。と言うのが国民の求めている物だったんだろうと感じます。

結果として郵政民営化を成し遂げた所で小泉首相は退任し、後を引き継いだ安倍首相は何が原因だったのかは判りませんが、健康上の理由で短くして辞任し、続く福田首相もよく判らない理由で辞任、続く麻生首相は国のシステムの変革などドコへ行ったのか、景気回復と対選挙で支持を得るつもりだったのか、13兆円と言われる補正予算を通した後に総選挙に挑み、歴史的な大敗を喫しました。

今さらですが、小泉内閣を引き継いだ安倍首相と自由民主党に国民は期待もしていたんだろうと思います、しかしその後を継いだ福田首相と麻生首相が変革を棚上げし、結局古い体質の政治に戻ってしまった事で国民はそっぽを向いてしまったのではないでしょうか。

国民の多くは各政党が出すマニフェストによる政策を参考にはしたでしょうが、具体的に比較して投票したのではないと思います。結局古い体質に戻るしかなかった自民党に見切りを付けた結果が、今回の選挙の結果だったのではないでしょうか。

基本的に旧社会党や、連立を組むであろう現社民党の政策は、大きな政府です。政府は税を徴収し福祉や社会保障に回しますが、一般的にそれを所得の再分配化とも言い「ジニ係数」という数字で国民の平等の程度を表す事が出来、OECD加盟国の中でも日本は数値が高く不平等とされるアメリカやイギリス、社会保障が充実し平等的と言われるデンマークやフィンランドとのちょうど中間あたりにあります。OECDのデーターは少し古く1990年代後半のデーターです。

今回政権を取った民主党がどのレベルの国を目差すかの舵取りは目的となり、手段として各政策が発表されるでしょうが、忘れて成らないのは国民の求める「社会が変わってしまった事で陳腐化してきたシステムを変革し続ける事」「既得権を盾に不平等な体質を修正する事」と言う国の舵取りをしていくための大きなフレームワーク・本質は忘れてはならない事だと思います。

これを見誤り、小手先の手段ばかりで国民の求める本質を見失えば、次回選挙の結果で野党に戻ってしまう可能性も胸に、与党として手腕を発揮してもらいたい物です。




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