RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

変わったことと、変わらないもの。

デザイン制作というサービス業の中で一番大きく変わってしまったのは、写真を現像する必要がなくなった、版下を作る必要が無くなり写植も無くなった、写真を製版する高性能スキャナーやオフセット印刷用のフィルムが必要なくなった、これらに共通するのは全てある程度の資本を投下し、設備投資しないと出来ない作業で、その資本を回収するために外部からの評価を一定にする必要があり、仕事内容を担保するため高度にプロ化していた。

カメラがデジタル化し、画素数も飛躍的に高くなった結果、印刷に耐えられるデーターを作ることが出来るようになった。パーソナルコンピュータで組版(DTP)が可能になり、写植や版下を作る事が無くなった。写真を製版する必要が無くなりCTPの登場でフィルムも必要なくなった。このことで仕事の効率が上がり収益だけ上がればよかったのだけれど、設備に対する投資とコストが小さくなると同時に、仕事に対しての責任と誇りといったプロ意識が希薄になってきたし、それを許す(知らないから求めない?)から内容よりも短い納期と安い金額が求められるようになって来てしまったと感じます。

でも一番変わったのは制作側に居る人間なのかもしれません、カメラマンやデザイナーをやっていた友人たちも、環境が大きく変わってしまったことで廃業した人もたくさん居ます。今現役の若いデザイナーさん達も代理店やプロダクションなど、制作の先輩たちからトレーニング受けている人ばかりではなく、PCとソフトを使って何かしら形を作れることで、デザイナーと肩書きを付けている人も居ます。ライティングを知らないで、デジカメで撮影してカメラマンの肩書きをもつ人も居ますけれど。

ソーシャルメディアが人々に認知され、参加する人が増えていくのに対し、既存のメディアに対して関心が薄れ、媒体としての価値も下がったことで、マスメディアを通してたくさんの人にメッセージを送ることから、マスメディアとソーシャルメディアを複合的に使い、より深いコミュニケーションを取ることを求められてきていると思います。言葉を変えれば100万人へのメッセージから100人へのメッセージへと。

ソーシャルメディアへのエントリーは、ネットリテラシーと少しでも気の利いた文章を書ければ可能ですが、料金が安くなったとは言えマスメディアへの出稿は、印刷原稿の制作などでまだまだ専門知識が必要とされています。以前この原稿を使ってとRGBのロゴデーターもらったことはありましたが、最近は同業のプロだと思っていた編集の担当者も職域を超えたムチャ振りをしてきたのにはびっくり。

自分のスキルが伴わないままに、現場でクライアントを担当させられ、その要望に応えるために自分の持っているスキルでは応えられず、制作の現場にムチャ振りしてくる。クライアントと直接コミュニケーション取れない制作の現場が、構成などの提案を持込の自主プレゼンみたいに出せるわけはなく、クライアントと直接打ち合わせできるディレクターが行うべき仕事です。ディレクターの仕事の何が面白いって、そこに尽きると思うんですけどね。

環境によって仕事の方法はいろいろな形に変わっていきますけれど、仕事として物を作ることを依頼され、作り上げるにはメディアリテラシーが必要なのと、クライアントのペルソナをすくい上げ、形にする能力は変わってはいませんよ。新しいメディアが登場してきた現在でも、たぶんこれからも。




仕事ってだいたいがカッコ悪いよ。

どんな仕事だって見た目カッコイイっこいいところもあるし、もちろんカッコ悪いところもあるよ。デザインにしたって机の前で資料探して、時代のエッセンスを切り取ってカッコイイと思える部分も確かにあるけど、そんな所は全体の仕事量を10としたら、せいぜい0.5くらいじゃないだろうか。残りの9.5は事務処理やらお金の計算やら根回しやらと、どんな仕事にだって黙々とこなさなければならないことはある。

ある程度仕事に慣れてくれば、その配分を自分の裁量でスケジューリングするなり、外注に出すなりと自分の仕事の長けた部分とそうでない部分を分けることで、自分の仕事としての特徴などもでるし、それが評価されることで仕事のダイナミズムや楽しみになっていくと思う。

最近今居る事務所内で、クライアントが株式会社などの一般企業ではなく、学校法人も含まれてきました。社長ではなく理事長、専務ではなく事務局長、取締役ではなく理事など呼び方が違うのもありますが、一番違うと感じたのはあまり開かれた組織ではない。という事。

当然株主に向けてのIRの公開や、情報公開など一般企業とは違うでしょうし、組織内や業界内での約束事もあるし、一概に開かれた組織でないとダメとは言いませんが、仕事をしてみてやりにくいと感じるのは窓口となる担当者。組織自体が閉ざされているからなのか、その組織だけの特徴なのかはわかりませんが、仕事が進まない、してくれない、自分の意見を持たない、上の機嫌ばかり気にしてる。仕事として受けているのはコミュニケーションツールの制作なので、その時代や雰囲気で表現するものも、方法も変わってきますが、とにかく新しい事をしようとしない。

以前作ったものは一応内部的にオーソライズされているので、どこからもクレームは付かないでしょうが、伝えたいと思う人に伝えるべきことを制約されるのはデメリットとしか思えません。トイレ掃除などは各ご家庭で生活する上で各人行われていると思いますが、モップやブラシだけでなく、自らの手を突っ込まないと汚れた部分をきれいにすることなんて出来やしません。

株式会社だろうと学校法人だろうと仕事も同じです、根回しなどメンドクサいと思ってほったらかしていると、汚れはどんどん貯まっていきます、仕事なんてサッサと終わらせてご飯でも食べに行きましょう。




見慣れているのは見やすいですか?

最近チラシなどで時々見かけるようになった、文字組を紙面の左右ワンブロックで組んじゃう印刷物。写真や表組みに合わせて文字組みも左右1ブロックに組んじゃうんだろうけれど、これが読みにくい。

興味を引かないタイトルなら端から読もうとは思わないのだけれど、たまたま興味のある商品や事柄を説明する文章だから読もうと思うんだけれど、文字を追っていっても何行目を読んでいたのかわからなくなってしまうこともしばしばある。

読みやすい文章を表現するには、文字の大きさもあるけれど、文字組1行の文字数も関係してくるし、行毎の文字と文字との空き、行間も大きく関係してくる。今回感じたような文字の読みにくさの原因ってWordが原因じゃないかと思っている。英語圏のワードプロセッサーソフトとして支持され、業務用のドキュメント制作に使われてきたものを、英語と日本語の組版の違いをあまり考慮せず、文字をアルファベットから日本語に置き換えただけ。

英語は一文字づつではなく、単語として並べてあるので行間をあまり取らなくても、あまり読みにくさは感じないけれど、日本語は句読点や漢字やかながあるけれど、単語ごとに区切っていないので見た目がどうしても単調になりやすい。だから行と行の間を一定の間隔を開け、メリハリをつけてやらないと読みにくいものになってしまうのが日本語の特徴だったのを、技術的なものもあったのかもしれないけれど、その特徴を考慮せずに置き換え、一般に広まってしまったことでその文字組も普遍的なものとして受け入れられるようになってしまったのではないかと思う。

テクニカルな言い方をすれば、雑誌広告でもチラシでもパンフレットでも本文と呼ばれるボディコピーを組むためには、限り有るスペースの中で存在感を消しつつ多くの情報を伝達する目的があるので、大きすぎない文字の大きさ、かつ読みやすい大きさで一つの項目として認知されるようなボリュームと読みやすい行間から、職人的な技を求められると思います。

でも一番大切なのは、その文章が広告であれ、パンフレットであれ、チラシであれ、報告書やプレゼン用のドキュメントであれ、見る人に意図するものを伝えたい、自分の考えを最後まで読み通してもらいたい、そのドキュメントを手にした人が見やすく読みやすいという、自分本位ではなく相手に伝えるという戦略的デザインが必要だということです。




Webを使っての共感プロモーション

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SONYのデジカメ「サイバーショット」のプロモーションです、以前もデジタルビデオカメラ「ハンディーカム」の「なにげ気ない日常を、かけがえのない思い出に。」のプロモーションが秀逸で以前のブログにも書きましたが、今回の「サイバーショット」のプロモーションの設定は女の子同士で旅に行く「女子旅」。女優の北川景子さんが出演されたプロモーションですが、ディレクターと女優さんと限られた人数で沖縄で撮影された「コンパクトデジカメで動画をとると楽しいよ。」を伝えるためのWebプロモーションですが、本当に少人数の友達同士で行った旅行ように、自然な笑顔がとても素敵に仕上がった映像です。

自宅ではあまりドラマやバラエティ番組を観ないので、この女優さんも名前を聞いてすぐに顔を思い浮かべられる方ではありませんでしたが、いや、笑顔が素敵な女優さんですね。お金の掛かった建込みもないし、凝った演出もないけど、この自然な笑顔が共感を呼ぶんでしょうね。Webと言うメディアをよく知ったプロモーションですね、テレビCMだとこの映像にもう一捻り欲しくなるでしょう、でもそのひと捻りが見る人によっては嘘臭く感じるところだとも思います。

SONYと言う会社は自分のところで作った製品でも、あまり将来性が少ないと判断すると、それを買ってくれたカスタマーのアフターフォローなど考えずに、さっさと撤退してしまう薄情な社風があると感じていますが、この様な共感を得るプロモーションを作らせたらうまいですねぇ。

今はこの様な映像だって誰でもWeb上に無料で公開できるのですから、顧客やコンシュマーとのコミュニケーションを考えるお店などでは、SNSとこの様な共感得る映像を組み合わせることで、ブランディングと顧客の囲い込みが可能だし、誰でもできるんだから迷わずにやるべきだと考えますね。




その考え方も確かにあるけれどさ・・・。

先日、かみさんが所属する職域のちょっとしたセミナーが新橋で行われ、その業界の人事を担当するマネージャークラスの人達が集まって、スムーズな人材確保の為にすべきことを、かみさんはプレゼンターとして講演してきたらしいのですが、その中に新聞社系の広告代理店のプレゼンターの方がいらっしゃり、人材確保のために作るパンフレットなど、見た人にグサリとフックを掛けるために金額的にあまり手を抜かず、キチンんとお金をかけて作らないといけませんよ。と、非常にお金の掛かったサンプルを手渡され、持って帰って来ましたが、一目見て印刷単価が減った分、コンテンツを充実させて売上確保しましょうという戦略なような気がしました。

たしかにね、従来通りに作るとすれば、10年前の制作費と比べれば現在はそのナン分の一になったのやらと、随分と安くなったものだと考えさせられますけど、制作する立場の人間から言わせて頂ければ、そんなギミック満載のパンフレットを作っても、来て欲しいと思っている人にうまくヒットすれば良いけれど、これだけメディアが多様化している現在も、印刷といった一つのメディアにお金をかけて口説きに行ったって、きちんとしたリターンが望めるのか、なんというかおめでたい代理店が未だに有ったのかと思わせてくれました。

現在これだけ持てはやされているソーシャルメディアが万全とは思いません、しかし昔ながらの力と、大きな声で相手を口説きに行ったって共感されなくなってきています。だから前回のブログにも書いたような女優の自然な姿から商品を感じ、共感してもらう戦略のように、誰に対してどのようなメディアでコンタクトを取らなければならないのか、印刷の媒体だけで差別化をアピールし、見た人に共感してもらえるのか。必要な所をすっ飛ばしても、自分の土俵に相手を引き出せればシメタもんと考えているとしたら、コミュニケーションのプロとしての代理店として少し恥ずかしい気がします。

・・・と考えるけれど、これは普通の営利を目的とする企業としたらアタリマエのことなんだろうけれど、社内組織が硬直した公益法人など、上の人間が自分以外は使えない馬鹿ばかり、と思っているような組織だと環境が変わったからといくら説明しても理解しないし、下の人間からプレゼンしても通らないし、と言う古い価値観で仕事が進んでいる組織としては、結局旧来のメディアを使った声の大きな人が相変わらず重宝されている環境だから、こんな代理店も生き長らえる事が出来るんだろうなぁ。

やっぱりこうゆう組織に対してどのように説明し、理解してもらえるかが自分の仕事のためには必要なんだとは思うけれど、そんな組織のTop自らiPadなんかで常日頃遊んでいる人も多いらしいが、NetのRom専でTwitterやfacebookなどでのコミュニケーションには自らは参加せず、実社会のコミュニケーションと別けて考えている人が多いんだろうな。




気がついてよ政治家の先生たち。

ブログやSNSの普及で、様々な立場の人が自分の意見を言える環境が揃ったからなのか、政治や経済に対して関心が高くなっているのか、人気あるブログなどを見ると必ず上位に並んでいる。政治的指向がリフレ派なのかリバタリアンなのか保守なのか、少し前までは右か左か、または鳩か鷹かみたいなカテゴリーでしか分けられず、議論さえされなかった事(有ったのかもしれませんが市民には届いていませんでした)が専門家同士がWeb上で議論され、多くの市民が読み、判断しコメントで意見を言っている。

独裁的に国家運営されていた国が、SNSで声を上げ始めた市民によって次々と倒され、民主化を実現できましたが、日本でも自由民主党から民主党へ政権交代したにもかかわらず、横ばいなのか悪くなっているのかまだわかりませんが、相変わらずの閉塞感を破るため、自分が変えなきゃと真剣に政治を考え始め、Webで参加し始めている人が増えてきた感じがします。

きっかけはやはりTwitterだよなぁ、あの短い文字数だと気安く参加しやすいけど、意見言うためには調べて考えなきゃいけないから知恵が付いちゃって、昔みたいに上から「レール敷いたので、そこを走るように」と言われても、本当にそれが望んだものか検証するようになったと思う。

やっぱり生活に満足していれば、政治なんか誰がやっても変わんないだろうと無関心で居られるものを、これ以上黙って見ていたら何されるかわからないと、寝た子を起こしたようなものでしょうか。誰かが悪い訳ではないので独裁者のような特定の人物に眼が向くわけでもなく、環境がこれだけ変わったんだからシステムも替えましょうよと、誰かがプレゼンテーションしてくれることを望んでいる状態だと思います。

それを一番最初に気がついて、引っ張っていって欲しいと、政治家の先生たちに望むところなんでしょうが、当の先生たちは相も変わらず政治倫理がどうのこうのとか、官僚の言いなりの大臣がどうのこうのとか、人の足をひっぱることばかりで、この先のシステムをどうしたいのかというビジョンがさっぱりありませんね。

今国民が求めているのは、セキュリティやバグを消すバージョンアップではなく、GUIまでも大胆に変えたメジャーバージョンアップだと思います。外交政策や防衛を始め社会保障についても、色々なしがらみがあって、戦後なんとなく継ぎ足し継ぎ足しでやってきたことが綻び始めているんですから、現状の社会に合わせた形でリストラクチャリングしたシステムが必要な時期だと思います。




ブランディング以前にすることしてる?

これほどダイナミックに社会が変わる今だから、一番大切なのはPDCA(プラン・ドゥー・チェック・アクション)サイクルをいつも頭の片隅で意識していることだね。だって昔は蕎麦屋で出されるかけそば一つにしても、自宅じゃ作ること出来なかったけれどさ、今じゃスーパーに行けば麺でもつゆでも棚にいくらでも並んでいるし、カップ麺だって結構満足できるものがコンビニにも置いてある。

でも、具体的に何をしたらいいんだべ? って普通思うよな、頭でっかちの理論ばっかりも結構ですが、うちの会社に、店には何をしなけりゃいけないのよ。

やっぱりB to BでもB to Cでも「顧客が求めていることを阻害しないように」が基本だと思います。商品を買わない、店に来ない言い訳をつくらせない事を目標に、営業や店の方針を決めることが発展につながると信じています。

ひとつの例として、飲食店で最近売上が伸びないどころか下がっている。それじゃあと言う事で、単品の丼や食事だけでなく、夜はアルコールを提供し居酒屋風なメニューで売上アップを目指そう。ツマミや飲み物も工夫して一品の単価を抑え、仕事帰りのサラリーマンたちに愛されるお店にしよう。と考え、料理自体は他店と比べても美味しいと感じるし、提供の仕方などもあまり飾らない、料理中心の自宅で寛ぐ雰囲気づくりがお店としてのアピールポイントとして営業していこうと。

でも、こちらもあまり芳しい成績を残せないどころか、長時間の労働で営業する側にも疲れが出てきている。

お客さんとして、その地域ににいる潜在的な顧客を含め、あまり自宅の料理と変わらない「飾らない料理」で顧客は満足しているのでしょうか。おいしい料理と言ってもスーパーの惣菜コーナーで売っているのを、小鉢に移しただけと感じていたらお客さんは満足してくれているでしょうか。例えて言えばマクドナルドのバリューセットであっても、きちんとした接客用の皿に、できたてのハンバーガーとポテトを美味しそうに盛り付けたら、倍近い値段で提供しても顧客の満足は得られると思えるのですが、いかがでしょうか。

お腹すいたなぁ、仕事も終わったし少しだけお酒も飲んで、食事して、さてとどこの店に行こうか。と考えたときに、あそこのお店は安いし美味しいん「だけれど」、料理の盛りつけが小さな皿に山盛りよそるから、外で食べたってよりも、田舎のばあちゃんちで食べているような感じ。とか、アルバイトの店員で接客が悪くて、座っても注文取りに来ないんだよなぁ。とか、だったら店に行かないで家で食べるか。にならないよう、あそこの店は食べ物は美味いん「だけれど」って、店に行かな言い訳を与えないようPDCAのC(チェック)点を設定してみたらいかがでしょうか。

これはどうゆう顧客に来てもらいたい、というお店のブランディング以前の問題。うまい・安い・早いだけじゃ、それを売りにしているチェーン店にお客さんは行ってしまいますよ。というおはなし。




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