RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

趣味という名のディープな世界

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先週末の8月14日土曜日から開催されている、横浜の関内にある市民ギャラリーで開かれた写真展を見に行ってきました。そうです、有名なプロカメラマンとかではなく、アマチュアの写真好きな人達が集まるクラブの写真展。個人的にも写真を撮るのも、見るのも好きですので楽しみに行ってまいりました。

その写真好きなクラブに集まる人達の説明をすると、ハッセルブラッドというスエーデンのカメラメーカーのフォトクラブで、多くのプロカメラマンも利用している、一言でアマチュアと言っても限りなくプロに近いポジションにおられる方たちばかり、なおかつプロが使うような機材を購入し、維持できる、どちらかというと経済的にも恵まれた方たちが集まり、自分たちの写真技術や情報の交換のための趣味のクラブで、カメラの趣味も20年などと豪語する、古くから写真を愛する人達が集まるクラブでもあります。



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長い間趣味としてカメラを扱う方たちですから、当然のようにフィルムを使うカメラで、気に入った写真はプリントすることを前提に写真を撮られています。

写真というものの根源的な仕組みは、光によって変質する化学薬品を塗布した「フィルム」にレンズを通して光を当て、その時と場所を記録することです。薬品を塗布した「フィルム」の代わりに感知した光を電気信号に変換したものがデジタルカメラです。

光の量を加減することで起こる化学変化をコントロールし、画像として定着させるのですから、カメラマンの仕事は化学だと公言していたプロのカメラマンも何人か知っておりますが、今回の写真展は改めてそのことを感じさせてくれた写真展でした。カメラといえば「デジタル」が当たり前で、今更フィルムを使っての写真?なんて時代にもかかわらず。



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何を撮るかなんてそれこそ目に映るモノすべてが被写体ではありますが、今回は自然をモチーフにした風景写真、自然の持つ美しさ、荘厳さ、厳しさなどをどのように表現し、どのように伝えるのか。当然同じ場所でも季節によって変わりますし、一日のうちでも朝から夕方、雨や曇と言ったお天気によっても大きく変わります。

素晴らしい、と感じられる風景をお題にした大喜利でどう受けを取れるかを考える。太陽からの光の位置を考えると時間的には何時がいいのか、レンズは広角が良いのか、望遠が良いのか、画面の中に入る雲や人、街灯などの外からの光が入る場合はどうあればいいのかなど、記録に残すだけならシャッタースピードと絞りで露出さえ合わせれば写真は撮れますが、記憶に残って欲しいと頭に描く写真を撮るためにどこまで拘るかで仕上がりに大きな差が出来ます。

今回の写真展に出品された作品たちは全て、そんな理想に近づけるためにこだわり抜いた作品ばかりで、技術的にも非常に高く、考えぬかれた画面構成も相まって非常に満足できた展覧会でした。

そのような観点から言えば、絵画や彫刻と何ら変わることのない芸術性の高い趣味ですが、デジタルという技術が今までのブラックボックスで、表現するために必要とされていた高いスキルをコモディティー化した現在は、Artとしての写真はこの先どのように評価され、どのようなマネタイズシステムが出来ていくのか非常に興味あります。




素人の時代だと言うけれど

前回のブログで、フィルムで写真を撮るという行為に関して突き詰めていけば「化学」と書きましたが、つい何年か前までは、感光剤であるフィルムの感度はASAとかISOと言われた基準で100とか400のフィルムが流通していて、レンズの明るさf=2.8とかf=5.6とかだと、35mmカメラの標準焦点距離と言われる50mmのレンズを使い、絞り開放でも明るい夕方ぐらいでしか手持ちで撮影など出来ませんでした。

広角レンズで35mmや28mmと言った焦点距離のものでしたら、シャッタースピード1/30秒でも手ぶれはそれほど目立たない写真が撮れたかもしれませんが、135mmとか200mmの望遠レンズなどでは、手ぶれさせない技術を持った人か、運を味方に付けるしか手持ちでの撮影フィルムを仕事で使うにはリスクが伴うものでした。だからチャンとした写真を撮るために、スキルと技術を持ったプロにお金を払って撮影してもらっていました。

でもいまのデジタルカメラは人が持っていたスキルと技術を、カメラ自身が持つようになり、手ぶれ防止デバイスや感度を上げることによって普通の風景などを撮るだけでしたら、誰が撮ってもちゃんと撮れるようになり、細かいディティーにさえ目を瞑れば仕事用の写真でも使えるようになりました。

私の仕事のグラフィックデザインや、映像関係でも同じようなことが言えるようです。誰でもPCとソフトをを使いこなすスキルを持てば、デザインできるし映像も作れます。

作れるけれどそれは記録でしかありません、印象に残るものを作るためには意図とするものを象徴的に表現する力が必要なのです。写真で言えば手前の静物を撮るにしても背景を柔らかくぼかして表現するとか、背景と人物両方にピントが来るように表現するとか、こう言う写真を撮るためのテクニックが必要です。

デザインでもそうです、お客さんとの企業リポートの事前打ち合わせで、かなり長い文章を全ページ通して読みやすく表現することを一番に考慮し、本文の書体や文字の大きさ、行間にいたるまで全体のフォーマットをプレゼンして通し、すでに実作業に入っていますが、今になって別の部署からクレームが来ていると連絡がありました。現在進めている本文の書体、明朝体からゴシックに変更して欲しいと。

長い文章を読みやすい書体で表現するのは、現在文字として流通しているモノを調べてみれば判りやすいでしょう。小説は?文庫本もそうだし、新聞の本文はどんな書体が使われていますか、文字を読む人間がどんなものを受け入れているのか、読みやすさを考えるのだったら色々と使われて淘汰されて、残ったものを使うのは当たり前。印刷されたものを長年見ているからこそ解るものはたくさんあります、昨日今日PCでレイアウト出来るようになった人が、思いつきで話しをしそれを選んだ理由をきちんと説明するのにも最近疲れてきたよ。

企業としてキチンとしたものを作っていくのは当たり前のことだけど、クライアントの担当者がデザインのディティールまで口を挟むことではないのではないか、表現するうえでもっと上流の、何の話をどうやってや、表現の方向性についての社内コンセンサスなど、専門領域は専門家に任せて、全体を俯瞰してハンドリングすることの方が大切だと思うよ。

担当者に言われてハイハイとただ聞いてくるだけの代理店の担当者も呆れて物が言えないが、こちらはもともとハウスエージェンシーで他所との競争が無い分、処世術なのか物を考えない性格なのか解らないけれど、そんないい加減に物事進めて作ったもので賞を取りたいと聞くと、素人とは言え物事を知らなすぎなこの業界人を見て、デザイナーの仕事を続けていく気力が失せます。トホホ。




やっぱり広告は文化なんだな

先週の東京都内はお盆と夏休みで、通勤で乗る朝晩の電車も身動きがとれないほどの混み方もなく、涼しい車内ではほとんど本を読んでいますので、周りのことはあまり気にならないのですが、帰りがけの東海道線で東京駅から乗り(始発駅ですから座れるんです)、隣の新橋駅で乗客を乗せたあと、いつもと違う発車のベルに気が付きました。

サントリーのウィスキーのコマーシャルに使われている「ウィスキーがお好きでしょ、もうすこーし〜」というコマーシャルソングのメロディーを、発車のベルに使っていました。そうです石川さゆりさんが唄い、最近では小雪さんが演ずるCMに使われていた曲です。





ご存知のように・・・、大昔ですがサントリー宣伝部には山口瞳さんや開高健さんが在籍していたこともあり、非常にクォリティーの高い広告を作り発表してきました。宣伝広告というジャンルに限らず短編映画を見ているような、心に残るコマーシャルや広告をたくさん残してくれた会社でもあります。

そんな質の高い宣伝活動を長年続けてきたからでしょうか、今回のような電車の発車ベルみたいに5〜6秒程度のメロディーだけで、企業イメージを聴く人に伝え、呑んで帰るサラリーマンたちに、また飲みに行こうと言う動機づけを植えつける、そんな曲を沢山持っているからこそ発想できた、なんだかとても洗練された広告の手法に感じました。

話によると8月21日までの掲出らしいのですが、この新橋駅や神田駅だったら通年かけて使ってもいいんじゃないかと思っちゃいます。でもこの曲を電車の発車ベルにしようなんて思いついたクリエイターは誰なんだろう、今まで高田馬場などでは「鉄腕アトム」のメロディーを使うことはあっても、CMとして媒体にしてしまおうと考え交渉し実現した代理店はあっぱれですね。・・・多分汐留にある大きな代理店でしょうが。

でもいくら長いあいだコマーシャルを流しているからとは言え、短い時間で企業イメージを思い浮かべるようなメロディーを持つ会社なんて殆どありませんよ。有るとすれば「おやつはカール」の明治製菓と、「カステラ一番、電話は二番」の文明堂ぐらいでしょうか。

テレビCMや新聞雑誌といった従来通りの媒体以外にも、人の集まるところに媒体は転がっているのかもしれませんね、ただ誰も気がつかないだけで。




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