Home > お仕事関連 > 変化する社会 > インセンティブは明確に

インセンティブは明確に

最近の仕事傾向

グラフィックデザインが私の本業と考えています。今までは広告代理店などが、クライアントさまからのオーダーで、商品広告やカタログ、会社案内や事業案内など、物や事を告知PRするためのグラフィックツールを「美しく」「高級に」「親しみやすく」などと言ったコンセプト・キーワードで差別化し、制作してきました。

今でもこの様な形で依頼され、制作するのが主流で、グラフィックデザイナーとしての職域でもあるのでしょうが、最近はその様なグラフィックデザインとは違うカテゴリーの、設計事務所や商業ディベロッパーと言った、今までと違った業種からの仕事が増えてきています。

マーケッターの作る数字データーを元に、仮想ターゲットユーザー設定、マーチャンダイジングなど、それぞれの職域を離れ、社会を俯瞰で捉え、ターゲットユーザーへのプレゼンテーションを行う。イラストレーターやカメラマン、コピーライターと言った今まで仕事で付き合う人たちよりも、制作という職域を飛び越え、色々な可能性を模索する人たちとの仕事は、新しい発見の連続です。

同じように商品開発や広報の仕事もそうかもしれません。PRやIR活動も印刷に拘らず、特にWebの領域では色々な新しいサービスなどを通して、アイデア次第でPR出来る領域が増えています。今までの職域を離れた、別の視点・切り口で商品を捉えると、別の新しい売り方が見えてくるかもしれません。

今まではその専門分野にスキルに長けた人たちが、その培われてきた専門分野を牽引し、職域と言った村を構成してきましたが、パソコンによって起きたスキルのコモディタイズが、今までホワイトカラーと呼ばれていた知識労働者達を「スキルワーカー」と「ナレッジワーカー」の二種類に分けてしまった気がします。

仕事には全て「目的」があります。今まではその目的を達成する為の「手段」が、専門の職域・プロフェッショナルと言った人たちにしか出来なかった高いハードルを、コンピューターが低いものにしてくれました。企画を考える者は、今まで以上に手段を選ぶ柔軟な考え方と、新しい手段を正しく評価できる眼が必要でしょう。




大丈夫か、日本ブランド?

あの頃は良かった。


私自身、生まれも育ちも横浜です。ウォークマンと時を同じく生まれた、雑誌 Popeye 世代でもあり、物欲な人間でもありました。新しい製品に声を上げ感激する物もあれば、中には、なぜにこんな物までと、驚くような製品もありましたが、その中でもダントツ一位は、車のドアミラーにワイパーが付いていた事。
・・・サイドウィンドウ(昔の三角窓があった辺り)にミラー用ワイパーが付いたのもあったような?

30 代に入り仕事である広告のコンセプトから、ビジュアル構成など企画の世界で生きてきたからか、製品の見方にも自分なりの価値観で判断できるようになってくると、これがもういけません。まぁ、時代的にはラジオとカセットくっつけステレオにすれば、今まで家具みたいな据え置き型か、コンポと言ったステレオでしか楽しめなかった物を、家中どこでも、屋外でも手軽に楽しめるステレオに。なんて、1+1=3みたいな付加価値の付け方で、ドンドン新しい製品が出てきた時代でもありました。

元々製品という物には、道具としての機能が備わっていますが、多機能を一つの製品で実現するために、耐久性が落ちたり、道具として扱いにくくなったりと、弊害も見えてきます。それに比べ、外国製品は無骨で、一つの機能に拘り、丈夫で長持ちと言う印象が、特に家電製品で感じられ、ブラウンやフィリップスと言ったブランドのファンでもありました。

そんなへそ曲がりというか、天の邪鬼というか、自分で使う製品を選ぶ基準には、使用環境で一番本質的機能を持った製品を選んでいます。その中で困っているのは携帯電話。

中途半端な機能を寄せ集めた製品を何種類も作っても、欲しい機種はなく、使いたいメールの機能さえ小さなボタンでチマチマやるので、イライラするばかり。ここで改めて日本のメーカーが考え、作る製品を見ると、ほとんどが足し算の考え方。

クルマなんかも同じように、長距離走ったとしても片道200km、家族6人全員が乗れて、街中走行中心のコンパクトカーを捜した時、ほとんどの国産車のコンソールには、いかにも取って付けたようなプラスチックのメクラ蓋が「本来僕はここには付かないから」と、暗にディーラーでNAVI取り付けてね、と自己主張している物ばかり。

欲しくもないものを購入したくないので、若干割高でもヨーロッパのコンパクトカーになりましたが、日本メーカーの製品は、ユーザーの使い勝手よりも、メーカーの都合優先な気がしてなりません。

携帯電話に話を戻しますと、カメラ > 撮影する物の約60%くらいは室内で、携帯の小さな暗いレンズのカメラでは光量が不足し、まともに撮れないのでいらない。ワンセグ > 家でもほとんどテレビは見ない、ましてや移動中に見る物もないからいらない。音楽プレーヤー > 通信速度の遅い携帯の通信環境では×、容量の重い音楽データーをDLするのはPCで、だからいらない。

正直言って自分が携帯に求めるのは、通話と緊急時のメール位。でもちょっと待って、iPhoneが7月に発売される、iPod携帯と言われた奴だけど、 iPodは持ってるからと思ったら、MobileMeと言うサービスが新しく始まるようだ。デスクトップのPCと携帯端末であるiPhoneをリンクさせ、メールやカレンダー情報を一元化し、PCのデーターを持ち歩かずに、アクセスすればどこにいても利用できる。

現在PCでは仕事上のメールはほとんどgoogleのGmailで行っています、事務所と自宅でメールを一元化できるから。メールサーバー容量が5GB有るので、添付書類もそのまま削除せずに残しておけ、Netに接続できるPCからアクセスし、メールに添付した画像やpdfファイルなど、DLしていつでも使えるから重宝している。

このサービスが、携帯のiPhoneでも使えるとなると、複合化した携帯も意味が違ってくる。現在のiPod(もちろんiPhoneも)はビデオも再生できるので、プレゼン用のビデオ映像をクライアントに合わせDLし、説明する事も可能。スケジュール管理も簡単に携帯端末で入力しておき、事務所や自宅できちんと整理して書き込んでおける。

とは言えスマートフォンとどこが違うのか、携帯での通信料はまだまだ高額なので、もう少し利用者も増え、料金設定も下がってくれるとありがたい。





結論


足し算思考、機能だけの複合機は製品の本質が薄まるだけなので、私は欲しいとは思わないが、新しいサービスを含めた複合機は、新しいビジネスの可能性も出てくるので、がぜん欲しくなる。上に書いた携帯電話という一つの電器製品だが、複合機能をカメラやテレビと言った同じ製品の中だけで、つなぎ合わせている製品作りは、そろそろ限界なのではないか。

ユーザーの使い勝手を新しいサービスと合体させる、という形で複合機能を持たせるという考え方は、日本メーカーは今まであまりしてこなかったようだ。ハードとサービスの足し算思考は、これからの物づくりには一番必要になって来るのではないだろうか。




飲食店の大量生産・大量消費は愛され続けるか_01

 大量生産、大量消費と言っても、クルマや家電製品ではなく食べ物です。
私の住んでいる場所は横浜市内で、事務所は東京にあります。今まで商店街と言えば、駅近くにあり○○銀座などと名前が付いた商店街が、日本全国どこにでもありました。しかし最近、元気のある商店街は少なくなり、特に地方にある商店街などはシャッター通りと比喩されるほど、店を閉め廃業するお店が沢山あります。

 反対に商業専門ディベロッパーの開発する、大型ショッピングセンターのモールという「新しい商店街」は、大規模な工場跡地など、あちらこちらへ出店が相次いでいます。中に入るお店は、このショッピングセンターという施設に、テナントという形で出店しますが毎月ディベロッパーに支払う金額は、けして安い物ではありません。

 支払う項目の一例を挙げると、営業保証金・固定営業料・変動営業料・駐車場負担金・共益費・水道光熱費・販促費・会計処理費等々、特に変動営業料は、売上に対する歩合契約により、高い売り上げを上げればディベロッパーに支払う金額も増え、売上を誤魔化すことがないようレジはSC全体で、毎日の売上金も夜間金庫で一元管理され、毎月一度営業料などの経費を差し引いた金額を、ディベロッパーからテナントに支払われます。

 こうなると自宅を店舗としているような、経験と商売の勘だけでは出店出来ず、原価や営業費・人件費などをマネージメント出来る企業だけが、テナントとして出店できます。お父ちゃんとお母ちゃんの二人でやっているようなお店には、ショッピングセンターへの出店は非常にハードルが高い物なのです。

 今、ショッピングセンターに出店出来ている飲食店は、全てマーケティングとマネージメントを検証した上で、出店し利益を上げている店舗と見て構わないでしょう。

 と言うことで、人件費を抑えるためにマネージャー以外はバイトさんかパートさんを使い、経験者ではないスタッフが調理しても、お客様の満足度が変わらないよう、セントラルキッチンで事前に下ごしらえできていて、店舗にいるスタッフのスキルによって左右されない味、または加熱しお皿に盛るだけでお客様に出せる、原材料の仕入れから調理まで、マネージメントされている料理で、お客様が大きく感動する料理ではなくとも、6〜70%位のお客様が満足できる料理です。

 ショッピングセンターにある飲食店だけではなく、街にあるチェーン店化された外食店舗は、同じようにマーケティングからマネージメントまで、しっかりと管理され運営されています。そこそこ安くて美味しいお店、嫌いじゃありませんし、よく利用させていただいています。でも何か物足りないのです、次回はそこら辺の話しを少し・・・。




飲食店の大量生産・大量消費は愛され続けるか_02

 前回はメニューからレシピまで管理されたお店が、何か物足りないと感じると書いたところで終わりましたが、それじゃあどんな料理、サービスだと満足できるのか。やはり料理を出され、口に入れた時のサプライズでしょうか。

 ただし、管理されたお店のメリットは計り知れない物があります。計画的なメニューで原材料を確保し、理想的な保存状態で必要な量だけを使う事で、原価率を下げ、料理を安定供給する事で長期間利益を確保できる。料理の最初から最後まで管理する事で、ヒューマンエラーを最小限に留め、飲食店にとって一番注意すべき、食中毒などの衛生管理を徹底できる。と言ったところでしょうか。

 反対に管理される前のお店は、仕入れる時の原材料価格に左右され、原価率が安定しない。材料が安定しなかったり、料理人のスキルの差で美味しかったり不味かったりと、味に差が出る。しかしである、料理人のスキルが高いと、素材の差を新しい味へ進化させたり、他の素材と組み合わせ違うタイプの料理に仕上げたりと、力業で納得せざるを得ない料理を出してくれる事もある。これがサプライズでしょうか。

 もちろん有名シェフが作る特別な料理だけではありません、値段もあまり気にせず気楽に食べに行け、比較的料理人との距離も近く、料理の話も色々と聞け、時によれば「ちょっと食べてみて」なんて、研究中の料理の調査にも協力できちゃうお店が大好きです。

 しかし残念な事に、例えば再開発が進む山手線の主要駅近くには、なかなかその様なお店が見あたらず、浅草や御徒町と言ったディープな下町や、吉祥寺や三鷹と言った少しだけ郊外、または虎ノ門から西新橋と言った、都市計画に乗れず、再開発や新しいビルの建てる事の出来ないオフィス街では、まだまだそんなお店がいくつかあるので、最近は渋谷や新宿と言った繁華街より、少し外れた街で食事する事も増えています。

 ・・・セントラルキッチンで作られた食べ物をつまみに飲むよりも、料理を作るのも食べるのも好きなお店の人とコミュニケーションしながら飲んだ方が、時間をとても有効に楽しく使えたと感じるのは私だけでしょうか。

 繁華街を避けるのはやはり、商業施設の家賃が高額になったためと、そのお店を目的として来店してもらえる、戦略としてのブランディングの確立がそうさせるのでしょう。これからは目的やその時の気分によって、色々な手段を選ぶ事が出来、その手段に選んでもらえるよう、個々のブランディングとリレーションズがより大切になってきています。

 来店していただき、気に入っていただいたお客様にお店を覚えていただくための「コミュニケーションカード」と、お店の主人が作る「ブログ」などはそのためのスタートの第一歩でしょう。

 アートディレクターと言う職業も含め、個人の名前で仕事をしているクリエイター達ですが、カメラマンやイラストレーター、コピーライターの皆さんも昔と比べると、仕事を確立するのに苦労しています。

 企業がマネージメントを武器に新しい町で成果を上げるのを横目に、家族で運営する飲食店がブランドを確立し、お店として成功する姿を見るのは勇気づけられます。




メッセージを伝えるために。

企業や団体から社会へのメッセージをコミュニケーションとして考えると、広告やマスメディアを通してのニュース記事などは従来からのメディアと言えるでしょう。

この数年間で大きく伸びてきたのは、PCや携帯を利用したインターネットのSNSやブログと言ったパーソナルメディア。

このメッセージを言い換えれば「情報流通」となるでしょうか、昨年3月に総務省から平成18年度情報流通センサス報告書が公開されており、その情報量の推移などの調査結果が公表されています。

メディア別に情報量の定義などは、直接報告書を読んでいただくとして、計量対象の定義をあげておきます。


原発信情報量:各メディアを通じて流通した情報量のうち、当該メディアとしての複製や繰り返しを除いたオリジナルな部分の情報の総量。

発信情報量:各メディアの情報発信者が、1年間に送り出した情報の総量。複製を行って発信した場合及び同一の情報を繰り返し発信した場合も含む。

選択可能情報量:各メディアの情報受信点において、1年間に情報消費者が選択可能な形で提供された情報の総量。

消費可能情報量:各メディアの情報受信点において、1年間に情報消費者が選択可能な形で提供されたもののうち、メディアとして消費が可能な情報の総量。

消費情報量:各メディアを通じて、1年間に情報の消費者が実際に受け取り、消費した情報の総量。



推移の表

推移の表を見ると「選択可能情報量」が群を抜いて伸びていて、基準年の平成8年度の約530倍の量になっています。

その他の情報量を上げてみると、「発信情報量」は基準年の平成8年度の97倍。

「選択可能情報量」も各メディアの平均では約530倍でも、インターネットを含む電気通信系に限って見ると、543倍になります。

「消費可能情報量」は基準年の平成8年度の33倍。

「消費情報量」は基準年の平成8年度の65倍。

数年前に比べ、情報量は確かに増えたとの実感はありました、しかしこのような調査で具体的な数字をあげられると驚くばかりです。

実際に消費される「消費情報量」は、流通している「選択可能情報量」と比較するとたった12%しか消費されていません。

この事はある一面、情報の垂れ流し状態を示すものでしょうし、またある一面では必要な情報だけ消費し、後の情報はスルーされることを意味しています。

もちろん多くはプライベートメディアであるブログや、SNSなどの記事などでしょうが、マスメディアで流される広告でも、ユーザーに身近に感じさせるインセンティブがなければ、必要のないものと判断され、スルーされてしまいます。

企業の中でも社会とのコミュニケーションを担当する部署は、これからはもっと重要なポジションになっていくでしょう、長い時間カスタマーやコンシュマーとの付き合いの中から、ユーザーターゲット像を一番的確にイメージ出来るからです。

5年後・10年後の企業の未来を考えるためには、自社のブランドを明確にし、企業理念の基にWebを使ったカスタマーやコンシュマーとのコミュニケーションを重ねていくことが、企業にとってさらに重要になり、社会に対してメッセージを伝えること、また社会・コンシュマーの真の要望を聞くペルソナへとなります。




何を求められているかを考えよう:1

以前このブログのエントリーに書いた「パンドラの箱を開けてしまった、ライフネット生命。」で、生命保険には保健の原価に付加保険料という営業経費が合算された物で、営業のおばちゃんを抱えないライフネット生命が、他の生保に比べ付加保険料が1/5と言う事を公表してしまった、と書きました。

既存生保は他社と比べられた時の差別化を表示し、選ばれるための努力をするのは当然の事として、付加保険料に関しても加入者の利益のため必要だというコンセンサスと、商品のインセンティブの一つという事を商品開発から見直す必要があるかもしれません。

社会環境が大きく変化している事から、価値観も一人ひとり変わってきていると思いますし、年齢によって、家族構成によって必要とする保証も変化しているでしょう。以前まででしたら死亡保障がメインで、特約として入院保障やガン・成人病特約などを附加する物だったと記憶しています。

確かに子どもがまだ小さく、一家の大黒柱が亡くなってしまうと、残された家族は路頭に迷う事から死亡保障も手厚くする必要もあったのでしょうが、今の社会では共働きで奥さんの収入もしっかりと確保出来る家庭も沢山あるでしょうし、子どもも成人し、いざというときも残された家族に迷惑が掛からないだけの葬儀が出来れば充分と考える家庭もあるかもしれません。

保険に加入した年齢で思い描くライフスタイルが、20年後も変わらずに有る事の方が少ないのではないのでしょうか。人生好調な時ばかりではありません、若い頃は給料も高かったけど、社会環境の変化で会社が倒産など、人生山あり谷ありです。

そんな変化するライフスタイルに合わせた形で、生保のカテゴリーから損保のカテゴリーまで、いろいろとモジュラー化した商品を附加していける柔軟な商品を用意出来れば、ライフコンサルタントとしてこまめに営業してくれる生保のおばちゃんはインセンティブの一つとなります。

もちろん現在でも加入している保険を下取りして新しい保険に移行する事は可能ですが、偏見かもしれませんが下取りする保険に比べ、新しい保険の方が格が下がるような気がしてなりません。一生をかけて保証される普遍的な物を保険のベーシックな物と位置づけ、保証を厚くするのか貯蓄を目的とするのか、その時に必要と考えられるオプションを附加していき、手続きも簡単で柔軟な商品をその時々で提供する事が求められているのではと考えます。

Web上で販売する保険には、簡単に安く契約出来るメリットはありますが、ライフスタイルの変化に対応するための提案やコミュニケーション能力は、欠けているのではないでしょうか。そんな間柄に欠けているのはお互いの信頼感です。

保険業界以外でも従来の業務を見直し、ユーザーが何を求めているかを考え、求めている多様性に柔軟に対応し、きめ細やかにユーザーの意向を反映する事で、顧客満足度の向上にも繋がると考えます。そんなきめ細やかな対応にはWebと言うメディアが最適と考えます。




何を求められているかを考えよう:2

昨日のエントリー「何を求められているかを考えよう:1」で、その企業に対して社会が、顧客が何を求めているかを掴み、対応する商品を考えると書きましたが、今までの製造業・流通業の方達は、血のにじむ努力で日々これを繰り返してきたわけです。

努力とはコンシュマーやカスタマーを接点として、社会の変化を感じ取り自身を変化させるといういわゆる「PDCAサイクル」の実行です。PDCAとは、
1.)Plan(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する。
2.)Do(実施・実行):計画に沿って業務を行う。
3.)Check(点検・評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを確認する。
4.)Act(処置・改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて処置をする。

4.)のActの次に1.)のPlanを続ける事で、継続的な業務改善をしていくと言うのが、生産管理や品質管理などの管理業務を計画どおりスムーズに進めるためのマネジメントサイクルの一つです。

このマネジメントサイクルを、一部業務だけではなく商品企画やマーケティングにも用い、企業の持続的成長を目差し、コンシュマーやカスタマーとのコミュニケーションを取る部署が強化されたりしています。

以前から広報部や広告部などの独立した部署がある企業は、既に昔から行っている事なのです。

しかし表現の場としてのメディアが既存のマスメディアしかなかった頃には、年間予算をきっちりと計上し、多額の金額を使う事でしかコミュニケーションは取れませんでしたが、今は誰でも使えるWebという新しいメディアが定着しました。

Web メディアを利用するのは、マスメディアの媒体購入費を考えると、専任の人員を割く必要はありますが、ほとんどタダみたいな金額です。PRと言う概念は一部の大企業ばかりではなく、お店や病院など規模の大小には関係なく、これからの時代を生き抜いていくために必要な概念なんだと思います。

でも、Webで自分の意見や業界でのニュースを記事として掲載して何になるの、と訝しがる方もいらっしゃるかもしれませんが、広告やチラシなどの販促用ツールと違いますから、結果がすぐに出るわけではありません。強いて言えば灯台のような物でしょうか、インターネットという情報の海を、自分の目的に向かって進む時の一つの指針となりうる存在。

長く続ける事で海を行く男達──もちろんWeb上には女性もいますが──から、信頼され頼られる事で、自分自身のブランディングが確立するという事でしょうか。書く事が何もなくてもプライベートな話題を盛り込んでもイイでしょう、同じ話題が有ればコメントを頂きやすくなったり、お会いした時に話のきっかけにもなりますから、コミュニケーションの第一歩を踏み出す事で、自分の向かう方向も見えてくると思います。




1+1は?

昔からありましたよね、一つの機能を持った製品に、もうひとつの機能を持たせることで商品価値を大きく上げることが。例えばラジオにカセット付けたりCD着けたりで、ミュージックセンター的なポジションを得て、ラジカセはあの頃一人に一台くらいみんなが持っていました。

PCなんかもアプリケーションをインストールすれば、あんなことも、こんなことにも使えちゃったりな、マルチに使える道具ではありますが、同一カテゴリーのものを併せてひとつの製品は当たり前で、1+1は2ではなく1×1は1ですから、ラジオとカセットを組み合わせてラジカセと言うことではなく、何だかパッとしない業種と新しく出てきたサービスを組み合わせると、とても魅力的な取り合わせに見え、1+1は3にも4にもなりそうと感じましたのでブログにしてみました。

それはFM局でやり始めているラジオとTwitterの融合と、i-Phoneなどのスマート・フォントの組み合わせ。

テレビでもそうなんでしょうけれど、マスメディアの流すコンテンツが視聴者に受け入れられなくなってきたときには、ドメスティックな方向に進んでいくと考えていました。AM放送なんかでも、商店街に出かけて行って買い物する奥さんとコミュニケーションしてみたりと。

特にラジオなどは音声だけですから、勉強しながらとか仕事中手を動かしながらとか、何かをしながら聴くリスナーが多いと思います。友人などはPCで企画書書きながらモニターの横にi-Phone置いてTwitterのタイムラインを見ながら仕事していたりしています。

私は殆どテキストの作成はGoogle ドキュメント使っていますので、ブラウザーにメールやiGoogleなどのタブをつけ、Twitter Gadgetなどでタイムラインを覗いていますので、スマート・フォンなどの別ガジェットは使っていませんが、友人はテキスト入力しながらラジオを聞き、番組と同時進行で送られてくるツイートで画像を見たりしているそうです。

マスメディアとソーシャルメディアの融合で、スポンサーとそのマーケットとのコミュニケーションに、これほど可能性を感じたことがありません。簡単に思いつくのが宝探しと鬼ごっこ?

こう言う新しいものを創出するのは、頭を使って会議室で出てくるアイディアより、遊びながら出てくるアイディアの方が大抵面白い。ユーザー参加の番組でもラジオは音声だけだから匿名性が保たれるし、聴きながらゲームの当事者になった参加意識もできるし、スポンサーにうまくゲームとをコミットできれば面白いのが出来そうな気がする。

そんな番組など、出てくるのは思ったよりも早いかもね。




気がついてよ政治家の先生たち。

ブログやSNSの普及で、様々な立場の人が自分の意見を言える環境が揃ったからなのか、政治や経済に対して関心が高くなっているのか、人気あるブログなどを見ると必ず上位に並んでいる。政治的指向がリフレ派なのかリバタリアンなのか保守なのか、少し前までは右か左か、または鳩か鷹かみたいなカテゴリーでしか分けられず、議論さえされなかった事(有ったのかもしれませんが市民には届いていませんでした)が専門家同士がWeb上で議論され、多くの市民が読み、判断しコメントで意見を言っている。

独裁的に国家運営されていた国が、SNSで声を上げ始めた市民によって次々と倒され、民主化を実現できましたが、日本でも自由民主党から民主党へ政権交代したにもかかわらず、横ばいなのか悪くなっているのかまだわかりませんが、相変わらずの閉塞感を破るため、自分が変えなきゃと真剣に政治を考え始め、Webで参加し始めている人が増えてきた感じがします。

きっかけはやはりTwitterだよなぁ、あの短い文字数だと気安く参加しやすいけど、意見言うためには調べて考えなきゃいけないから知恵が付いちゃって、昔みたいに上から「レール敷いたので、そこを走るように」と言われても、本当にそれが望んだものか検証するようになったと思う。

やっぱり生活に満足していれば、政治なんか誰がやっても変わんないだろうと無関心で居られるものを、これ以上黙って見ていたら何されるかわからないと、寝た子を起こしたようなものでしょうか。誰かが悪い訳ではないので独裁者のような特定の人物に眼が向くわけでもなく、環境がこれだけ変わったんだからシステムも替えましょうよと、誰かがプレゼンテーションしてくれることを望んでいる状態だと思います。

それを一番最初に気がついて、引っ張っていって欲しいと、政治家の先生たちに望むところなんでしょうが、当の先生たちは相も変わらず政治倫理がどうのこうのとか、官僚の言いなりの大臣がどうのこうのとか、人の足をひっぱることばかりで、この先のシステムをどうしたいのかというビジョンがさっぱりありませんね。

今国民が求めているのは、セキュリティやバグを消すバージョンアップではなく、GUIまでも大胆に変えたメジャーバージョンアップだと思います。外交政策や防衛を始め社会保障についても、色々なしがらみがあって、戦後なんとなく継ぎ足し継ぎ足しでやってきたことが綻び始めているんですから、現状の社会に合わせた形でリストラクチャリングしたシステムが必要な時期だと思います。




1/1

Home > お仕事関連 > 変化する社会 > インセンティブは明確に

Search
Feeds

Page Top

無料アクセス解析