RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

ブランディングは企業戦略か?

ブランディングは誰のため?


先日友人で、地域の基幹病院で経営側にいる方と話しをしていました。中でも継続的に基幹病院として、地元社会の中で地域医療を行っていくためには、看護師不足を克服するためにも、現在院内スタッフで作ったWebサイトをリニューアル・充実させ、ブランディングを強化し、競合医療機関との差別化も行う。

との事でしたが、ある日彼曰く「患者さんに現在有るサイトを見ていただき、ご意見を頂戴しましたら、全員現状のサイトデザインで満足し、お金を掛けてリニューアルする必要があるのか」と言われてしまったそうです。

ちょっと待ってよ、サイトをリニューアル・充実させるという行為は、何の目的のためにするの?。

実際に言葉としては言っていませんが、患者さん(お客さん)がお宅の病院(会社)のブランディング・差別化を望んでいるとでも思っているの?。診療予約や診察日を調べるなど、窓口としてサイトを利用しているならば、使い勝手などに要望が出るかもしれないけれど、医療機関としてのブランド確立なんか、患者さんから意見でるわけ無いし、確立しようと考えているのは、患者さんではなく、あなた方病院の方でしょ。

ブランドって競合他社との差別化の為、差別という言葉は使いたくないのでしたら、個性化でもSTYLEでも良いでしょう。ブランディングの為に何を「しなければ」いけないか、とよく聞かれますが、反対に「して」はいけないか、を決める事だと思います。

繁華街で時たま見かける、肩で風切るハードにボイルドされたお兄さん達は、けしてお年寄りに優しく「して」はいないし、「した」ら周りからどう見られるか、ブランディングの達人ではないのでしょうが、クールに生きていくためには「したらいけない」をよく知っていると思います。・・・中には見た目と正反対に一見怖そうで、実は優しいお兄さんも沢山いるとは思いますが。

ただし、この様なお兄さん達を支持する方達は少数派で、この方向はニッチマーケットの部類でしょう。何を目的にブランディングを行うのか、集客力のアップ?・客単価のアップ?・良質なユーザーの囲い込み?・CSR(企業が果たすべき社会的責任)の為?等々、色々と思惑もあり一つに決めるのも難しいかもしれませんが、多くの人が納得せざるを得ない答えとして「自分の持つ能力で、社会とコミュニケーションを取り、永続的な企業として発展する。」事につきるのではないでしょうか。




ブランディングは企業と社会のコミュニケーション?


一言で企業と社会のコミュニケーションで頭に浮かぶ物は、お店などでしたら販売員とお客様でしょうか、新聞に入っている折り込みチラシや、テレビ・ラジオのCMもそうです。映像にしても音声にしても、印刷物にしても企業から社外へ情報を伝える行為は、全てコミュニケーションと考えて差し支えないでしょう。

ただしこれらは企業から社会への一方通行のコミュニケーションです、大手企業などではカスタマーセンターやお客様相談室と言った部署が、お客様の声を直接伺い、CS活動に繋げる「双方向コミュニケーション」がなされています。

とりあえずブランディングに絡んだコミュニケーションの話なので、双方向コミュニケーションは棚に置き、企業側から発信するモノについて書きます。企業から受けるイメージは全て、コミュニケーションの質によって作られます。「接客がよかった」「新聞広告に共感できた」「商品紹介パンフレットからキチンと伝える努力が伺えた」等々。ビジュアルから伝わるイメージが=その企業のイメージに繋がります。

また「商品を沢山の人に、子供からお年寄りまで手にしていただきたい。」と言った場合、TVCMから、スーパーなどのチラシに数多く露出する、折り込みチラシをまく。反対に「一部富裕層に、ステータスのある高価な商品を手にしていただきたい。」だと、全国紙の新聞に全面イメージ広告を掲載する、富裕層が趣味で読む専門誌に掲載するなど、メディア戦略でもブランディングは左右されます。

ブランディング一つで企業の経営理念から営業戦略まで変わります、例えば製造業だと、製品作りの方向性が明確になり、全ての社員が仕事の目的を共有する事が出来「全社一丸となってのプロジェクト」なども達成しやすくなります。

企業ブランディングの指揮を執り、第一線で舵取りするのは部署の中でも「広報(広告)部門」が担当されていると思います。この事から企業の経営者サイドには、広報を良く理解した者が付く事が多くなるなど、企業の中でも重要な部署の一つとして、認知されるようになりました。

上では差別化や個性化、STYLEと表現しましたが、人と同じようにブランドも成長します。要素としては新素材・新製品登場などによる、自社製品の変化。社会環境・意識の変化。ブランドの変化を一言で言えば「自分(企業)の足許を見つめ、環境の変化に合わせ自らも変化させる」です。現在の企業経営は社会と良好なコミュニケーションを取り、社会と共に成長・発展する事を求められています。




明と暗

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  • by virbius
  • 2008/08/26 Tue 21:39

昔話


私は今現在、趣味としてクルマやバイクが好きです。バイクは数年前に一度乗る事を止めましたけれど、クルマでもツーリングで美味しいモノを食べに行ったり、同じような家族同士で旅行に行ったり。中学の頃でしたかスーパーカーブームがあり、一時排ガス規制で落ち込んだ日本の自動車メーカーも、ちょうどその頃を境に世界的に巻き起こった環境問題から、ドメスティック企業からグローバル企業へと変換を迎えた時期でもありました。

もちろんモータースポーツも好きでしたが、サーキットに行くほどの熱い気持ちもなく、雑誌やテレビで見るだけの物でしたが、人づてで回ってきたHONDAのお仕事で「行くならF1のチケット手にはいるよ」と誘っていただき、フジテレビで放映もされ人気も高く、HONDAが破竹の勢いで勝ち続けたF1参戦第2期を休止した翌年。セナとシューマッハが鈴鹿で最後に対決した1993年、初めて三重県の鈴鹿サーキットへ足を運びました。

鈴鹿サーキットでの観戦は、F1サーカスと呼ばれた文化を、クルマ好きが集まってのお祭り騒ぎ。と表現すればよいのでしょうか、F1 Weekと言われた木曜日のフリー走行から、決勝まで4日間ベタに鑑賞させていただきました。確かに予選の土曜・決勝の日曜日は、15万人と言われた観客が移動するわけですから、延々と続く人また人の列びに合わせ移動しますが、サーキット内部や、最寄り駅の近鉄白子駅などは、慣れた物で混乱と言える物もなく、決勝日の夜にテレビで放映されたのを、横浜の自宅に帰って見る事が出来ましたので、人は多かったけれども、こんな物か。が正直な感想でした。

「こんな物」ってレースの事じゃありませんよ、F1はレーシングカーの中でも別格なのでしょう、あの頃のV10やV12気筒エンジンの上げるエクゾーストノートは鳥肌物で、いまだに耳に残っています。色々なメーカーがエンジン供給をしていましたが、とりわけフェラーリのエンジン音は聞いただけで「フェラーリ」だと分かるほど甲高く、金管楽器のような音がファンを魅了するのでしょう。





一昨年・昨年・現在


2006年でしたか、翌年のF1スケジュールが発表された時、JAPANは富士スピードウェイで開催となっていました。かみさんの実家が御殿場市で、家の外からメインスタンドも見えるほどご近所さんでの開催です。数年前に元の所有社だった三菱地所がサーキット閉鎖を決めた時、TOYOTAが買い取り、大々的に改修工事を行っていましたので、世界のTOYOTAが本格的に製品販売以外の自動車文化に参戦か、と思った物です。

その後Web上のニュースサイトに掲載された物に、鈴鹿サーキット側がコースマーシャルなど、F1運営で培って来たノウハウを提供し、お手伝いしましょうか。と富士スピードウェー側に打診したが、断られたとありました。

まぁ、業界トップの企業ですから、自信も誇りもあったんでしょうが、結果は皆さんご存知のとおり。昨日観戦に行って被害を受けたと、集団訴訟されました。F1が開催された頃の鈴鹿サーキットも、問題が全く無かったわけではないのでしょうが、1962年に車を作り始めると発表したばかりの企業が、3年後の1964年、いきなりヨーロッパF1に参戦すると言うようなクルマ好きの企業が、祭を楽しむ人の方を向いて運営・開催されていたからこそ、今まで多くのモータースポーツファンに支持されていたのでしょう。

今回アクセスの問題で集団訴訟を起こされたわけですが、その他にもWeb上では色々と言われています。今までヨーロッパを含むF1観戦する人たちは、サッカー観戦のように応援するチームやドライバーの旗やバナーなど、スタンドの手すりなどに結び、祭を盛り上げていましたが、昨年はサーキット側の管理上の問題からなのか、旗やバナーの掲載を禁止しました。ところが親会社のTOYOTAチーム1チームだけ、大きな旗を掲げていてこれも大ブーイング。

一つの企業は新聞の社会面に集団訴訟されたとニュースになり、もう一つの企業は経済面に新型燃料電池車「FCXクラリティ」のラインオフがニュースになっていたことを見て、企業は自社の都合で物事を判断せず、ユーザーの気持を汲む努力をしないと、広報やCSRと言った活動で企業イメージの向上を狙っても、どこかに落とし穴が潜んでいると。

「他人のふり見て我が身をなおせ」昔の人はよく言った物です。




コモディティー化の先にあったもの

先日、企業向けコンサルティングを生業とする会社の社長が、企業の中での“人の使い方・生かし方”などをテーマとした、セミナーがあったので参加してきました。

ざっとその企業を紹介しますと、東証一部上場・資本金100億円以上・従業員数:連結で1000人以上。と言った堂々とした会社で、セミナー自体とても為になるお話を伺ってきました。

セミナーですからそのレジュメや主催会社のやっている事業のリーフレットなど配布されました、色々な企業に対し事業のノウハウを提案する仕事なのでしょうが、仕事の効率を考えた末に大事な物が置き去りにされたと言うか、リーフレットの持つ機能である「コミュニケーション」で、あまりユーザーに理解される事を考慮していない、乱暴な話し社内用に作られたWordドキュメントに手を入れず、そのまま印刷物に加工した、コミュニケーションの配慮に欠ける物に見えました。

数年前まで、カタログやリーフレットなどは事業主から広告代理店や制作会社と言った、ビジュアルコミュニケーションにおけるプロフェッショナルの手で制作され、印刷・納品・配布されていました。

現在ではデスクトップパソコンの高性能化と、ソフトウェアの一般化、印刷業者における入稿デバイスの平易化によって、一部専門家にしか出来なかった制作作業がワープロソフトでドキュメントを作るスキルさえあれば、誰にでも可能になりました。

そう、これはハード面だけが使いやすく便利になっただけで、その制作物を見る人に理解されやすいかどうかは考えてくれません。コミュニケーションツールとは、企業が考える「目的」のための「手段」です。

見やすい、見やすくない、これはあくまで見た人の主観です。しかしこの主観のベースには、どんな物をどれだけの時間触れていたか、きれいな物、美しい物にどれだけ触れていたか、というその人の生活環境にも左右されています。

文章を書けても見やすい位置、理解しやすい順序、文字の大きさ・書体、行と行の行間など、ある程度訓練された人間が評価する必要があります。

このノウハウは一朝一夕には出来ませんし、Googleで検索しても出てくる物ではありません。しかも悪いことにこのようなコンサルティングの会社は売っている商品が形のない物ですから、非常に胡散臭い。

胡散臭い会社が胡散臭いツールを作ると言うことは、ある面モラルハザードとして成立しているから良いではないか。とも言えますが、キチンとした商品で勝負賭けていこうという企業にとって、表現の稚拙さが伝えたいイメージを180°変えてしまうこともあるのです。

その企業が作り、販売する物がその企業一社の独占商品ならば、それ自身が差別化された商品ですから、何ら問題はないのでしょうが、他社との差別化、ブランディングを考えると、ただ安いから、時間がないからと安易な方向に進のは、危険なのではないでしょうか。




顧客の嗜好変化?

農耕民族である日本民族は、地域で暮らすもの同士、何かあったら助け合うと言った村社会が基本にあり、欧米型の契約社会はなかなか受け入れられずにいました。

しかしこのインターネットでのコミュニケーションは、人と直接会って顔を見ながら言葉で、その場の雰囲気を含めた気持ちを伝えるのではなく、写真や文章で気持ちを伝え、内容を判断する、比較的契約社会に近いコミュニケーションです。

そんなコミュニケーションに慣れたユーザーに対し、物を売っていくためのマーケティングは、今までと違った切り口でユーザー意識を調査しないと、正確な判断が出来なくなります。

ただしネットのヘビーユーザーであろう「ネラー」と呼ばれる人たちは、自分達は匿名の中から発言していますので、コミュニケーションしているとは言えません。契約社会へ移行したとまだまだ言い切れませんが、これからの流れは少しずつ個人単位の契約社会へ移行していくと思われます。

私たちが子供の頃、見たいテレビ番組は毎週決まった曜日の決まった時間に、テレビの前に座っていないと見る事が出来ませんでした。

ウチの子供たちもそうですが、テレビで放映される番組は見ています、しかし見たいコンテンツは、自分の小遣いでレンタルビデオを借りたり、YouTubeで見たりと、天から降ってくるのを待たずに、自分の手で取りに行く事を知っています。

この様な環境で育つ今の子供たちには、莫大な金額で媒体を購入し流すCMと言った物は、どの程度伝わるのでしょうか。Web上にあるバナー広告などは、商店街の看板みたいな物で、歩いている分にはそれ以上のメッセージは伝えては来ません、興味有る物だけ扉を押せばいいのです。

これから先テレビコマーシャルはどう変化していくのでしょう、CMをスポットで流すよりも、今でもありますがドラマなど商品を劇中に登場させ、好感度を上げるといったタイアップ広告が中心になっていくのかも知れません。

欲しいコンテンツをスポンサー抜きに見て育つ世代に、「小さい頃テレビで見た思い出のCM」みたいな文化は今後残っていくのでしょうか?。

答えは一つではないでしょうが、顧客の嗜好に変化が出てくるのは、社会環境が変化し、個人の意識を変えるからと考えて差し支えないでしょう。

社会環境の変化、わかりにくく説明できない物事がある時は、便利に使われる言葉です。しかし新しい技術の出現で環境は大きく変化します、最近のHD-DVDとブルーレイディスクではその変化を目の当たりにされたと思います。

しかしこれはディスクメディアの規格の違いだけで、ユーザーがメディアを通して楽しむであろう機能については考えられていません。

映像やゲームなど、大容量情報をやり取りしたエンターテインメントとして考えると、ブロードバンドを基にしたネット環境・法整備がすすめば、メディア規格の違いで勝った負けたは判断できないでしょう。

自分の立っている足許を見つめ、何を提供できるか、何が社会から歓迎されるか、マクロ的な視点で広告表現の切り口を考えてゆく事が大切と考えます。




最近の仕事傾向

グラフィックデザインが私の本業と考えています。今までは広告代理店などが、クライアントさまからのオーダーで、商品広告やカタログ、会社案内や事業案内など、物や事を告知PRするためのグラフィックツールを「美しく」「高級に」「親しみやすく」などと言ったコンセプト・キーワードで差別化し、制作してきました。

今でもこの様な形で依頼され、制作するのが主流で、グラフィックデザイナーとしての職域でもあるのでしょうが、最近はその様なグラフィックデザインとは違うカテゴリーの、設計事務所や商業ディベロッパーと言った、今までと違った業種からの仕事が増えてきています。

マーケッターの作る数字データーを元に、仮想ターゲットユーザー設定、マーチャンダイジングなど、それぞれの職域を離れ、社会を俯瞰で捉え、ターゲットユーザーへのプレゼンテーションを行う。イラストレーターやカメラマン、コピーライターと言った今まで仕事で付き合う人たちよりも、制作という職域を飛び越え、色々な可能性を模索する人たちとの仕事は、新しい発見の連続です。

同じように商品開発や広報の仕事もそうかもしれません。PRやIR活動も印刷に拘らず、特にWebの領域では色々な新しいサービスなどを通して、アイデア次第でPR出来る領域が増えています。今までの職域を離れた、別の視点・切り口で商品を捉えると、別の新しい売り方が見えてくるかもしれません。

今まではその専門分野にスキルに長けた人たちが、その培われてきた専門分野を牽引し、職域と言った村を構成してきましたが、パソコンによって起きたスキルのコモディタイズが、今までホワイトカラーと呼ばれていた知識労働者達を「スキルワーカー」と「ナレッジワーカー」の二種類に分けてしまった気がします。

仕事には全て「目的」があります。今まではその目的を達成する為の「手段」が、専門の職域・プロフェッショナルと言った人たちにしか出来なかった高いハードルを、コンピューターが低いものにしてくれました。企画を考える者は、今まで以上に手段を選ぶ柔軟な考え方と、新しい手段を正しく評価できる眼が必要でしょう。




大丈夫か、日本ブランド?

あの頃は良かった。


私自身、生まれも育ちも横浜です。ウォークマンと時を同じく生まれた、雑誌 Popeye 世代でもあり、物欲な人間でもありました。新しい製品に声を上げ感激する物もあれば、中には、なぜにこんな物までと、驚くような製品もありましたが、その中でもダントツ一位は、車のドアミラーにワイパーが付いていた事。
・・・サイドウィンドウ(昔の三角窓があった辺り)にミラー用ワイパーが付いたのもあったような?

30 代に入り仕事である広告のコンセプトから、ビジュアル構成など企画の世界で生きてきたからか、製品の見方にも自分なりの価値観で判断できるようになってくると、これがもういけません。まぁ、時代的にはラジオとカセットくっつけステレオにすれば、今まで家具みたいな据え置き型か、コンポと言ったステレオでしか楽しめなかった物を、家中どこでも、屋外でも手軽に楽しめるステレオに。なんて、1+1=3みたいな付加価値の付け方で、ドンドン新しい製品が出てきた時代でもありました。

元々製品という物には、道具としての機能が備わっていますが、多機能を一つの製品で実現するために、耐久性が落ちたり、道具として扱いにくくなったりと、弊害も見えてきます。それに比べ、外国製品は無骨で、一つの機能に拘り、丈夫で長持ちと言う印象が、特に家電製品で感じられ、ブラウンやフィリップスと言ったブランドのファンでもありました。

そんなへそ曲がりというか、天の邪鬼というか、自分で使う製品を選ぶ基準には、使用環境で一番本質的機能を持った製品を選んでいます。その中で困っているのは携帯電話。

中途半端な機能を寄せ集めた製品を何種類も作っても、欲しい機種はなく、使いたいメールの機能さえ小さなボタンでチマチマやるので、イライラするばかり。ここで改めて日本のメーカーが考え、作る製品を見ると、ほとんどが足し算の考え方。

クルマなんかも同じように、長距離走ったとしても片道200km、家族6人全員が乗れて、街中走行中心のコンパクトカーを捜した時、ほとんどの国産車のコンソールには、いかにも取って付けたようなプラスチックのメクラ蓋が「本来僕はここには付かないから」と、暗にディーラーでNAVI取り付けてね、と自己主張している物ばかり。

欲しくもないものを購入したくないので、若干割高でもヨーロッパのコンパクトカーになりましたが、日本メーカーの製品は、ユーザーの使い勝手よりも、メーカーの都合優先な気がしてなりません。

携帯電話に話を戻しますと、カメラ > 撮影する物の約60%くらいは室内で、携帯の小さな暗いレンズのカメラでは光量が不足し、まともに撮れないのでいらない。ワンセグ > 家でもほとんどテレビは見ない、ましてや移動中に見る物もないからいらない。音楽プレーヤー > 通信速度の遅い携帯の通信環境では×、容量の重い音楽データーをDLするのはPCで、だからいらない。

正直言って自分が携帯に求めるのは、通話と緊急時のメール位。でもちょっと待って、iPhoneが7月に発売される、iPod携帯と言われた奴だけど、 iPodは持ってるからと思ったら、MobileMeと言うサービスが新しく始まるようだ。デスクトップのPCと携帯端末であるiPhoneをリンクさせ、メールやカレンダー情報を一元化し、PCのデーターを持ち歩かずに、アクセスすればどこにいても利用できる。

現在PCでは仕事上のメールはほとんどgoogleのGmailで行っています、事務所と自宅でメールを一元化できるから。メールサーバー容量が5GB有るので、添付書類もそのまま削除せずに残しておけ、Netに接続できるPCからアクセスし、メールに添付した画像やpdfファイルなど、DLしていつでも使えるから重宝している。

このサービスが、携帯のiPhoneでも使えるとなると、複合化した携帯も意味が違ってくる。現在のiPod(もちろんiPhoneも)はビデオも再生できるので、プレゼン用のビデオ映像をクライアントに合わせDLし、説明する事も可能。スケジュール管理も簡単に携帯端末で入力しておき、事務所や自宅できちんと整理して書き込んでおける。

とは言えスマートフォンとどこが違うのか、携帯での通信料はまだまだ高額なので、もう少し利用者も増え、料金設定も下がってくれるとありがたい。





結論


足し算思考、機能だけの複合機は製品の本質が薄まるだけなので、私は欲しいとは思わないが、新しいサービスを含めた複合機は、新しいビジネスの可能性も出てくるので、がぜん欲しくなる。上に書いた携帯電話という一つの電器製品だが、複合機能をカメラやテレビと言った同じ製品の中だけで、つなぎ合わせている製品作りは、そろそろ限界なのではないか。

ユーザーの使い勝手を新しいサービスと合体させる、という形で複合機能を持たせるという考え方は、日本メーカーは今まであまりしてこなかったようだ。ハードとサービスの足し算思考は、これからの物づくりには一番必要になって来るのではないだろうか。




コモディティ化の恩恵

新技術が開発され、その技術を使った商品がユーザーにとって価値を認められ、商売が始まる。その内にその技術が普遍的技術となり、沢山のユーザーに行き渡る。コモディタイズの流れはこの様な物で説明される事も多いのですが、今まではProユースで価格も高く、手を出せずにいた分野も、ずいぶんと手に入れやすくなってきましたので紹介します。

デジカメを使われている方は多いと思いますが、最近ソニーから「デジタルフォトフレーム」という商品が発売されました。左右約18cmのコンパクトサイズ、値段も29,800円と比較的リーズナブルな金額です。

pop_1.jpg

店舗などで直接お客様と接する業態では、店内でのインフォメーションなどは、POPを使われていると思います。しかし市場やセールの時のように、活気のある勢いを表現するには良いのですが、短冊をペタペタと店内に貼るのはあまり格好がよろしくありません。

スマートにお客様に告知するのに、新しく発売された「デジタルフォトフレーム」が役に立つと思います。デジカメで撮影した画像を、パワーポイントなどで文字やイラストと組み合わせ、告知したい組写真を作り、この「デジタルフォトフレーム」で再生させます。

再生もスライドショー機能で、画面入れ替えの時のエフェクトなど選べますので、時と気分で変えてみるのも面白いでしょう。インフォメーションばかりではなく、新商品の告知や、店内で紹介しきれない商品など、いろいろと組み合わせてみるのも良いかもしれません。大きさから言っても、レジの横あたりに置いておくのに丁度良い大きさ。

パソコンとデジカメに画像編集できるソフトさえあれば、誰にでも出来ます。ネットワークにも対応していますので、飲食店などでは、各テーブルなどに置いてみても面白いかも知れません。

Adobe から販売されていますFlashと言うソフトを使えば、アニメーションでより詳しい説明も可能です。あっ、Movieになると「デジタルフォトフレーム」では再生できませんので、iPod+TVがお勧めです。今までMovieの再生にはVHSやDVDプレーヤーが必要ですが、iPod nano 4GBで17,800円で、AppleCareに加入すれば、2年保証になりますから業務用で使っても非常にお得です。「デジタルフォトフレーム」と同じように画像をスライドショーが可能ですから、画像も映像もと言われる方にはこちらがお勧めです。

後はレイアウトなどのコンテンツを充実させるのに、Adobe IllustraterやPhotoshopなどアプリケーションと、文字書体を充実させれば表現方法も広がるでしょう。

技術革新・量産効果が高価な機器をコモディタイズし、誰でも購入しやすい価格で市場に供給されます。今まで高価で手段として候補から外されたモノでも、機能という視点で機器を見直すと、民生用の安価な機器でもPro用機器と同じような機能を有する物も出てきます。固定概念を外し、俯瞰した視点で見直すと、いろいろな可能性が見えてきますね。

自分一人で考えても出ないアイデアも、複数の人の雑談からヒントをえることもあります。そのヒントが使えるアイデアと、手段に繋げられる柔軟な考え方も必要と思います。






企業繁栄の極意?

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  • by virbius
  • 2008/08/27 Wed 11:42

『老舗の極意』とは


昨日の朝日新聞夕刊の時事コラム欄『窓』に掲載されていた『老舗の極意』ですが、一部引用させていただくと、


 老舗と呼ばれる長寿企業は、経営の指針としてどんなことを考えているのだろうか。漢字1字でたずねたら、「信」という答えが最も多かった。「信」と答えたのは回答全体の24%。以下、誠、継、心、真、和、変、新、忍、質という順になった。
 一方、「社風を1字で表すと?」という問いでは、「和」が最多で19%だった。以下、信、誠、真、心、進、明、堅、温、笑の順。
 企業が長生きして老舗になるには、顧客、取引先、従業員、株主などさまざまな関係者の利害が長期的に釣り合うような道を歩んでいかなければならない。信も和も、利害関係者の心の調和を示す言葉なのは偶然ではあるまい。


これはまさにCSR(企業の社会的責任)の考え方であり、老舗と言われる長寿企業が守り、実践した社訓でもあります。しかしこの考え方はISOや、欧米から輸入された考え方ばかりではなく、江戸時代から続き、財閥と呼ばれた三井家や住友家、商売上手と言われていた近江商人の家訓として残っており、調和を尊ぶ日本人として経験的に実践されていたと考えても良いでしょう。



三井家家訓(宗竺遺書)


「多くをむさぼると紛糾のもととなる」
「不心得の一族は協議し、処分せよ」



住友家家訓


「職務に由り自己の利益を図るべからず」
「名誉を害し、信用を傷つくるの挙動あるべからず」
「廉恥を重んじ、貪汚の所為あるべからず」
「我営業は信用を重じ、確実を旨とし、以て一家の鞏固隆盛を期す」



近江商人の家訓


「三方よし」「売り手よし、買い手よし、世間よし」





老舗の極意 = 繁栄の極意


この様に永続的な発展を目指した『老舗』として守るべき家訓ですが、情報量が限られた時代ならまだしも、Webと言うインフラが整備され、情報の質・量・スピードの全てがリミッターを外され、回り始めた現在では、企業の社会的責任というバックボーンが、ステークホルダーから見えていないと、商品広告にお金をつぎ込んでも、効率よく売上に繋がらなくなってきています。

企業が行うPR活動・IR活動とCSRは同義語ではありません。一部では頭に『環境』の言葉を付け、定義していますが、一企業市民として「持続可能な未来を、社会の要請を課題として、どのように考え築いていくか」を観点に活動してゆく事です。しかし一言に社会と言っても範囲は広く、お客様を筆頭に株主や従業員とその家族、取引先や企業活動している地域社会と言った、全ステークホルダーを対象にと言い換えた方が分かりやすいかもしれません。

社会的に何か一つ大きな災害や事故などが起きると、社会の求めるものも変化してきます。粉飾決算や産地偽装などが社会問題になると、財務状況や経営の透明性が問題になるでしょうが、先日の殺傷事件後は人権や雇用問題が台頭してきます。当然社会的要求をクリアするためには、コスト上昇も受け入れなければならない事もあるでしょう。しかし企業規模拡大を急いだライブドアは、今月13日の裁判で機関投資家に95億円の賠償を求める判決が出たばかりです。

太く短い生活は楽しいかもしれませんが、細く長い生活は充実しているかもしれませんよ。




夢を見られなくなったのか

小さい頃から


私がまだ小学生だった1960年代後半、万博などで世界に技術力をアピールし、先進国の仲間入りするんだ。と言うような、国が一丸となってのモチベーションが有ったように感じられます。当時一番読んでいたのは少年マガジンや冒険王と言った漫画雑誌や、学研の科学と学習というような、教育的内容の雑誌でした。当時の雑誌で企画された特集ページなどには、21世紀は空飛ぶ自動車や透明なチューブの中を走る列車、宇宙ステーションなど、科学技術が人を豊にし、未来は薔薇色だと鼓舞した特集が沢山ありました。

そんな自分の未来を信じ、豊かな社会生活が待っていると夢を見て社会で働き始め、自分の手で収入を得るようになると、もらったお給料のいくらかは貯蓄に。などはどこ吹く風で、クルマや洋服、旅行などにドンドンと消費されて行き、広告キャンペーンに於いても、ターゲットユーザーはその若い、湯水のようにお金を使う年代に向け発信されていました。




現在20代の人たちが育った環境は


何でもイケイケの80年代後半、バブル期に生まれた子供たちが、二十歳を迎えるようになってきます。90年代前半のバブル崩壊と共に苦労する親の背中を見、破綻する大企業をニュースで見、崩壊した社会保障で自分たちの負担する額に驚愕し、長生きしても報われる事の少ない社会制度を目の当たりにすると、この国に暮らす自分の将来の夢を描けず、自己防衛として守りに入るのは無理も無いのかもしれませんが、少し寂しい気もします。

だいぶ以前からバイクが売れない、バイク雑誌の発行部数も減ってきている、原因は若者の嗜好の多様化と言われてきましたが、それと同じように今クルマが売れていません。売れているのはミニバンやワンボックスタイプのクルマばかりで、昔若者の必需品・デートカーなどと言われたハードトップやクーペ、スポーツカーなど、運転やドレスアップなどでクルマを趣味として楽しむ人たちが減ってきています。

休日の過ごし方もそうです、近場の観光地や繁華街などに足を伸ばす事はあまりせず、自宅に籠もりDVD鑑賞や部屋の掃除をし、食事も外食をせずに自炊して慎ましく暮らす若者が増えているそうです。もちろん少し郊外に目を向ければ、移動の必需品としてクルマが利用されているように、地域での差はあるのでしょうが。




若者層は美味しくなくなったのか


ターゲットユーザー層として美味しくなくなったのかと言えば、そんな事はなく、やはり全体を牽引する層である事に変わりはないと言えますが、ただ流行っているから、雑誌で紹介され面白そうだからなどと新商品に喰い付くユーザーが減少し、今の自分に必要かどうかを吟味し、購入するユーザーが増える傾向にあると言ったところでしょうか。

ユーザー層のこの様な変化から、広告などの表現方法も変化に合わせたシフトが必要になります。またこの世代の従業員を募集する際も、仕事のやり甲斐と賃金だけのインセンティブだけでは、人が集まりにくい傾向にあると考えられます。

この若者事情は首都圏や大都市圏で顕著に表れてきていますが、これからも社会に変化がない限り、この様な考え方を持った若者達が増えてくる事で、一つのユーザー層として台頭してくるでしょう。




広報マニュアル:knowledge(01

Sec.1広報という仕事


私たち企業を取り巻く社会の動きや事業環境は、この数年でグローバル化やコモディティー化により急激に変化し、多様化・複雑化しています。'94年に成立した製造物責任(PL)法、'00年の消費者契約法など民事や裁判のルールが整備され、CSR(企業の社会的責任)や人権意識・市民意識の高まりなどから、消費者や報道機関をはじめとする社会の目は、以前とは比較にならないほど厳しくなっており、企業の展開している事業ばかりではなく、その企業体質をも判断する基準としています。

こうした状況の中、企業がその存在を社会に受け入れてもらい、活力ある未来を造り出していくためには、社会とのコミュニケーションの重要度が増大しています。この企業と社会とのコミュニケーションの基本にあるのが広報活動です。企業にとってこの先、発展・躍進していくためには、従来にも増して地域社会ばかりではなく、社会全般の理解と協力を獲得し、ファンを増やしていく事が必要不可欠であり、企業の顔として広報活動の重要性がますます増していると言えるでしょう。

では、具体的にどう考えるべきなのか。私たちの提供するサービスを利用していただくお客様、社会とのコミュニケーシニョンを説明するには難しい言葉はいりません。私たちのこの企業を、一個人・企業市民として捉え、隣人とのコミュニケーションを上手にとり、どうしたら長い間仲良く暮らしていけるかと考えれば、おのずと答えは導き出されてきます。一時期盛んに会社のロゴマークやCI(Corporate identity)といった言葉があふれていましたが、社会から見た我々の企業がどのように見られているか、どのような性格の市民として社会にあるべきかを、時間とお金をかけて企業ブランドを策定したものでした。

"buy meとlove me"広告と広報の違いを端的に表す言葉として有名な言葉ですが、広告は「私を買って」。広報は「私を愛して」。わかりやすいですね、この事から広報という仕事の内容が見えてきます。まず自分をもっと知ってもらうこと。知ってもらった上で再度「love me?」これで no! だとへこみますよね、でもこちらも相手(社会)を愛し、また愛してもらえるように自己を変革していき、社会からも愛してもらう。広報という仕事はこれの繰り返しです。

広報活動の基本は企業と社会の「コミュニケーション」であり、情報の発信ばかりではなく収集を行い、それを経営方針や営業活動に生かす活動です。社員一人ひとりが広報活動を理解し、自分自身も企業の一つの顔であるという自覚を持って日常業務を行い、日頃からお客様・地域社会のニーズに耳を傾ける事が必要です。




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