RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

広報物のフレームワークは重要ですよ

企業においての広報物は、ステークホルダーに対して企業を紹介し、認知してもらう事が初歩的な意味だと思います。広報物と一言で言ってしまっても製品の広告物やパンフレット、会社案内やホームページなどは目的も理解しやすく、何を意図として伝えるのかと目的も整理しやすいのですが、PR誌や社内報など定期的に情報を伝える物に関しては、だんだんと意味が曖昧になってくるのか、それとも作っていく内に意味が見えてくると思って作っているのか、作る事への目的もなしに試行錯誤ばかりするのは、目的地も決めずに街中をただフラフラと歩き回るように、ただ疲れて消耗するだけです。

具体的に言うと、対象となるステークホルダーに対して「何をどの様に伝え、感じて欲しいのか」と言った、思考的な枠組みが不完全なまま制作すると、目的が達成出来ないばかりか、制作費や印刷代など無駄な出費になってしまいます。

若い広報担当者のOJTとして、スキルアップを求め制作するといった事もあるでしょうが、トレーニングにしても何に対してのトレーニングなのか、意思決定のためのコンセンサスづくりならば、いくつかの方向性に対してのメリットやデメリット、リスクと言った物をロジカルな枠組みとして構成出来るのか、ただ突っ走るだけでは担当者のスキルアップなど求めようもなく、逆にいい加減な仕事しかできなくなってしまう社員を増やしてしまうだけです。

広報と言う仕事は企業の事をステークホルダーに伝え、深く理解してもらうと共に、ステークホルダーの考えを知り、理解する事で、企業の永続的な発展に繋げるため、マネージメントして行くために必要かつ重要な活動です。

最近発行する印刷物のレイアウトなど、頻繁に変化する、見た感じが毎回違う、など統一したイメージが感じられなくなったら、一度フレームワークはどうなっているのか疑ってみるべきです。

誰もがデジカメで撮影した写真も、キーボードで打ち込んだテキストも原稿として使えますし、アドビのイラストレーターのソフトがあれば印刷原稿さえ出来ます、でもただその場所に行ってそのままの写真を撮るだけよりも、写る背景が整理されているかを気にし、じゃまになるゴミや雑然とした荷物を片付け、掲示物を整理するなど見る人の事を考えて撮影していますか。

言いたい事、伝えたい事はコレとコレだからと、冗長な文章をダラダラと続けていませんか、箇条書きにする、表やグラフを添付するなど、見る人が見やすい原稿になっていますか。

制作側の自己満足だけで果たして相手に伝わるのか。

一度部内のグループミーティングなどで意見を出し合い、伝えたい事が伝わる構成になっているのか成績を付けるように評価し、求める物が出来ていない時は何をどう変えて行けばいいのか、写真やテキストなど各パーツのクォリティを上げるのか、デザインや色遣いの切り口を変えるのか、誰が責任を持って進めるのかを具体的に決めていかないとフレームワークは作れません。

社内スタッフで出来ないのだったら、外部の力を借りるのもひとつの手です、目的もなく制作費をただ垂れ流すよりも建設的ですよ。




コミュニケーションツールとして成功する方法

一言でコミュニケーションツールと言っても、対外的なステークホルダーに向けたパンフレットから、投資家に向けたIR情報、コンシュマーに向けた広告やパンフレット、社内で働くスタッフ同士のコミュニケーションを目的とした社内報など、印刷媒体から放送、Web媒体などあらゆる媒体を使いコミュニケーションされていますが、あなたの伝えたいと考えている物は相手の方に伝わっているでしょうか。

Web媒体でしたら、大まかな製品紹介ページから興味を持つ人だけが見に行けばいい、情報を深く掘り下げたページを附加する事は、費用的にもわずかな金額で済んでしまうでしょうが、放送媒体や印刷媒体などでは附加する事でかかる費用が大きく左右されてしまいます。

費用が掛かってしまうという事もそうなのですが、人間は情報の中でも特に文字情報については、自分の求めていない情報はノイズとして判断し、文字や文章、特に漢字ばかりで表現された文章を理解しようとしません。もちろん様々なステークホルダーに対して“伝えたい”と考え制作するのでしょうが、ステークホルダーが興味を持つ分野や項目を見間違えると、読んでもらえなかったり、反対に物足りなく感じたりと、情報を伝える道具として成立しなくなってしまいます。

一番陥りやすい失敗は「出来るだけ正確に伝えないと」とか「これほど魅力ある製品を伝えるために、様々な切り口で表現した方が」などと、情報を詰め込みすぎた結果デザイン的にも整理出来ずに、読みにくい物になってしまう事です。

相手に伝えるためのツールを作るために、まず一番力を入れて決めなければいけないのは情報を伝えたい人の人物像をしっかりと描く事です。

もちろんプロのディレクターと呼ばれる人たちは、ターゲットとするステークホルダーの最大公約数的な人物像を頭に入れ、何を、どの様に伝えるのが合理的で効率がよいかのフレームワークを組み、それに沿った形でビジュアルを決め、文章を考えるなどの仕事を進めます。

そのターゲットの人たちは写真やイラストを多用した方が理解されやすいのか、象徴的なインパクトのある写真1枚で表現すべきか、キチンと起承転結で理解出来るように、ストーリー仕立てが良いのか、ターゲットの人たちの育ってきた環境や、年齢による文化的な背景などでも変わってくるでしょう。

そんなターゲットのイメージが出来上がったら、自分(企業)との比較をし、ターゲットの人物像との関わり方を考えます。ターゲットに対し自分はオピニオンの立場なのか、それとも同じ土俵でみんなで盛り上げていこうと考えているのか。

企業の独りよがりな情報伝達では“相手に伝える”という、ツールとしての機能に達していません。相手の人物像をしっかりと把握し、受け入れてもらえるように考え実践する事で始めて「コミュニケーションツール」として形をなすのです。読みにくい物はそれだけで読んでもらえないと考えるべきで、文字で言えば大きさから行間、文字同士の詰まり具合などでも読みやすい、読みにくいは変わってきます。

先日のエントリー「広報物のフレームワークは重要ですよ」でも書き込みましたが、成功するための王道として、企業側ではどのターゲットに対して何を伝えるのかといったフレームワークをしっかりと決めて企画し、読みやすくするためのテクニックを持ったプロに頼むのが一番でしょう。

二回続けて「フレームワーク」の重要性を書きましたが、最近回ってくる仕事がこのフレームワークの詰めが甘く、代理店を通してクライアントにもキチンと話をしないと、広報戦略の一つのツールと言う目的から外れてくると何度も言っているのですが、営業が若い人で重要性を理解していないのか、これ以上自分の仕事を増やしたくないと考えているのか解りませんが、半年が過ぎようとしても改善される気配は無し。

出来たばかりの若い会社も良いけれど、年寄りは年寄りなりにフレームワークを合理的に進めていける力を持っていますからね、制作しているコミュニケーションツールが目的を果たしていないと考えられるようでしたら、年寄りにも声を過開けてください。(笑)




幸せとは何だ?

民主党マニフェスト

若い頃はそれこそ朝から深夜まで仕事をして、月末の請求書を切る時に“これだけ仕事させてもらい、稼がせていただいてああ幸せだなぁ”なんて思った事もありました。しかし現在はその頃に比べ売上も激減、私の周りにいる個人事務所のデザイナーもみんなため息ばかり、法人にしている意味もなくなっているので、個人事業主に戻る人もチラホラ。

5年くらい前からは余り景気のいい話は聞こえてこなかったが、特に今回の金融危機以降はどの友人達に会っても、事務所を閉鎖しただの不景気な話を聞くばかり、みんな日本の未来に明るい光が見えていない。

さらに暗い話もある、クリエーターとか横文字職業ともて囃されていた職業でもあったので、友人のデザイナー数人は幾つになっても自分の腕一本で稼ぐ、と言う自負からか、社会保障である公共年金に加入していなかったりする。

そんなもん自分の老いを甘く考えていた自己責任ジャン、と一言で片付けてしまうのは簡単だが、社会の片隅で職人が細々と仕事を続け、食べていく事が出来なくなったこの国の現状に驚く。つまり下々のクリエイターが仕事するだけの量が社会に流通していないのである。なぜか。社会に対しての信頼感が薄れ、明るい未来を経営者が描けないからだ。

「だってよ、そんなどうなるかわかんねー物に金使ってみてもョ、ドブに金捨てるだけだべョ、今は何があっても良いように自己資本を高めておくのよ」なんて言っているかどうかは判らないが、こんな感情が国民に蔓延し、スムーズなお金と仕事の流れを阻害しているように感じる。

と言う所で衆議院議員選挙ですね、以前のエントリーにも書きましたが、私のグラフィックデザイナーと言う仕事には締切があり、その時間までに形にならなければご飯を食べる事(お金を頂く事)が出来ない仕事で、なおかつ個人のスキルの差が大きく、人気デザイナーに多くの仕事が回るという、労働者の権利などと声高にかかげる、時間を切り売りする仕事ではなかったので、組合という組織に(社会的には必要なのでしょうが)共感出来ずにいます。

でも先日、民主党のマニフェストが発表されましたね、素人の私が見ても突っ込みどころ満載で、政権を取ったら4年後の鳩山代表の政界引退は確実?と思わせる項目が・・・。多くの人も言われるように薔薇色のばらまきで、ツケを次世代に回すのか、と言う疑問も。

だって2009年度予算を見ると、税収の歳入が46兆円で歳出が102兆円、収入が46兆円しかないのに102兆円を使っていて、普通の企業だったらとっくに倒産していますって、しかも財源もないのにさらに高速道路の無料化や、子ども手当や高齢者医療制度を廃止したりと、さらにばらまくんでしょう。

私たちの子ども達に借金のツケをみんな追いやって、明るい未来がやって来るのか?このマニフェストを見ても、国に対しての信頼感は感じられないし、将来全国民が貧乏に苦しむ姿は想像出来るけど、国民が幸せになれるのか感じられない。

とは言え国民の信頼感を失わせたのと、プライマリーバランスを崩したばらまきと予算を通したのは、麻生政権と現在の与党政権です。今さら、終わった団体に国の舵取りは任せられないと感じますが、今月中くらいにはこちらからもマニフェストが提示される事でしょう。何だかこんなに真剣に各政党の政策を読み、比較して選挙しようなんて考えたことは今まで一度もなかったな、国民の関心を政治に向けさせた事だけには麻生政権を評価するけど、それじゃ本末転倒だろ。

確かに支払期日までに現金が無くて、いろんな所から借金したり現金を工面したり、売れる物は売ってしまったりと貧乏な生活は大変ではあるけれども、富=幸せではないような気もする。各政党が掲げるマニフェストも国民が「幸せに暮らしたい」という目的を遂行するための手段だろ、その目的の「幸せ」の質を話し合わないうちに手段だけ提示されても、どれに決めたらいいのか解らない、まず政党が問わなければならないのは、どの様な「幸せ」を国民と共に目差すのかのフレームワーク(またはプリンシプルモデルと言うべきか?)が必要なんじゃないのか。

今の企業経営を見ると様々なメディアを使って社会とコミュニケーションを取り、いわゆるマーケティングの観点から顧客の求めるペルソナを見極めていくのだけれど、与党として多くの国民から求められるペルソナを見極める必要があるのは政党なのかもしれない。

支持基盤が限定される政党は、その支持基盤の求める事を政策として挙げればいいのだけれど、与党になると国民全体の最大公約数を求める必要があるので、考え方の多様性を認めつつも、効率的かつ合理的な考えでフレームワークを策定し、それに沿う形で政策という手段を提示するのが筋だろうな、選挙が近いと慌てて作る物でもないのだが。




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