RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

基準て何?

人それぞれの考え方、判断基準、価値観で生活し暮らしている。子どもの頃の育てられた家庭環境も、通学した学校での教師や友人との付き合い、恋をし異性と人生の深い所で繫がり、場合によっては家庭を作る。

人一人ひとり同じ環境で育ってきた人はいないし、例え将来クローン技術が現実的なモノになり、人の複製が出来るようになったとしても、エヴァの綾波レイのように工場で人を生産するわけではないので、同じ性質を持った人間は出てくる事はないだろう。

そんな性格や価値観が違う人間が、人の作った製品やサービス、五感で感じる感覚的・芸術的なモノ、人その物だったり、集まる組織や企業などを、自分の視点・基準で良い悪いと判断しています。しかし人って上手い事出来ているようで、順列を決めた上で許容出来る範囲を変化させ、自分と付き合っているのではないでしょうか。

重さや長さに基準器があるように、自分が物や人を評価する時には必ず自分の物差しを基準に、相手の大きさを測ります。車やバイクと言った製品ならば、自分が今までに乗った事のある物と比較して新しい製品を評価します。これなどは相対的評価でしか無く、ただの重さや大きさ、スピードと言った絶対的な数字だけでは、乗り心地や快適性、気持ちよさなどは伝わりません。

でも自分の生活状況はどう感じるのかは、絶対的でも相対的でもなく主観的な評価基準で判断します。主観的ですからもう好きか嫌いの判断ですね、昨日の新聞の記事に「イライラする」若者60%超える…国民性調査とあり、調査をした統計数理研究所のサイトに詳しい調査結果がありましたので、企業内でも企画業務をされている方は国民性にどの様な変化があるのか、ご一読される事をお勧めします。



日本経済への評価 悲観的に展望する意見の推移

調査結果の中でも、1 低迷を続ける「日本経済への評価」での'93年から'98年の意識の変化は大きく、生活水準や社会的な満足度の相対的な流れをみると、この10年間は低迷を続けており、図2:社会の将来を悲観的に展望する意見の推移を見ると「人々の生活は貧しく」の伸びが顕著ですね。



政治をめぐる意識の変化

5 選挙を通じた意思表明への志向を見ると、5年前と調査をした2008年とでは、政治に寄せる関心がものすごく増えているのが判ります、今までの感覚では社会生活にさほど不満がなかったからか、政治にも余り関心がなかったのが、不満が大きくなり、その解消のために政治に興味が出てきたのでしょうか、社会生活に大きな不満を抱える発展途上国の投票率が高いのと同じなのでしょうか、政治的には日本も発展途上国の仲間入り?。

国民意識を数量的に調査した結果でしょうが、この5年間の間に随分と大きな意識の変化があって、その国民意識を首相のクビをすげ替えるだけで元に戻せると考えていたとしたら、やれやれ、政治家家業とは、なんてお気楽な家業なんだろう。

今年2月にエントリーした私のブログ「変えていくのは大変だけれども」で、橋下大阪府知事の就任一年を職員が評価した記事を見ると、肯定した意見は具体的な事を評価しているのに比べ、否定的な意見は具体的な意見はなく、主観論に終始していて全く説得力がない。同じように小泉元首相と竹中元金融大臣のバッシングがあるが、どの意見をみても主観的な意見ばかりで具体的な批評はなく、説得力が感じられない。




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