RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

人は自分に無いモノを求める。

マスメディアは終わっただとか、新聞やテレビに明日はないとか言われて久しいですが、現実的な所マスメディアを利用した広告の効果は、いまだに主流に居続けています。

主流として流れの中心には居ますが、その周りに流れるWebと言う新しい流れも、無視出来ない勢いになってきているのも確かです。

アメリカ発の金融危機が引き金となって、商品が売れない時代と言われています。

売れる商品を開発するのは当然の行為としても、この先現在の延長線上の商品開発だけで良いのだろうか、社会環境がこの先も変化し続けるとしたら、開発にも新しい切り口が必要なのではないのか。

新しい商品開発の切り口とは、新しいニーズというか鉱脈を見つける事なのか。

金がなければ金が欲しい、自由がなければ自由が欲しい、愛がなければ愛が欲しい、欲しいと感じさせるためには無いモノを探せ。生活をするのに便利な都会には田舎の不便はない。清潔・綺麗で人工的な場所には虫や動物の住む自然豊かな場所はない。

何とも人はワガママなものである、しかし商売の基本は「そのワガママを満たす事」で成り立っているのではないだろうか。

今まで地方に出来ていた大型商業施設などは、地方都市ではない「東京」の洗練と品揃えを持ってくる事でお客様に夢を与え、時間を消費させる商売をした。

自分の容姿はどうだろう、絶世の美男・美女だろうか。少し不安を煽る事で少しでも美しく見える化粧品や、スキンケア商品を購入してくれるのではないか。

家電製品はどうだろうか、その製品を使えば便利な暮らしが待っているのだろうか。効率よく家事をこなす事で、時間を有効に使う事が出来るようになるのだろうか。


・・・そんな自分に無いモノを求め続け、揃え続けた結果、家にはさまざまな商品があふれかえっている。

経済成長はズーッと右肩上がりで成長を続ける事を余儀なくされる、ニーズを探しに隙間を覗く、メジャーではなくニッチまでもがマーケティングに組み込まれていく。

今の社会はモノもサービスも満たされているのではないのだろうか、だから“欲しい”と考えられるプラス思考の商品を市場に投入する、でも人は自分に無いモノを求めている。

モノやサービスがプラスされて便利な生活は既に持っている、反対に何もない不便な生活はどうだろうか、本当に不便な生活だからこそ、今までに無い豊かな生活を発見出来るのではないだろうか。

全てを機械がこなすのではなく、人の作業を残す事で使う人間の満足度が大きくなりはしないか。

全てのサービスを提供するのではなく、顧客が作業する事で満足度は上がらないのか。

新しい商品やサービスは、何でもかんでも出来るといったモノから、ある部分をユーザーの裁量権で手作業する部分を残す事で満足度が上がる、バイクでも車でもクラッシックと言われるモノを愛好する人たちは昔からそう感じている、便利な事がイコール楽しい事ではない。

今までのように完全ではないが、使って楽しい製品、心に訴えかけるエモーショナルをコンセプトの前面に打ち出した製品が出てきても良いのではないかと感じるが、いかがだろうか。




Graphic Designerの未来は?:1

小さい頃から絵を描くのが好きだった。学生の頃美術の評価が高かった。カタカナ職業でかっこよく見えた。クリエイティブな仕事にあこがれを持っていた。・・・などなどGraphic Designerを目差した理由は沢山あるでしょう。

私がデザイナーを目差していた頃、広告は美術だという意識があり、1970年に「日宣美」(日本宣伝美術会)と言う団体が解散した後にも、Tokyo Art Directors Clubなどの団体がアートディレクターの専門的職能を社会的に確立、推進する目的で設立され活動しています。

社会的に確立、推進する目的という事は平たく言ってしまえば、社会に認められ地位の向上をめざすと言い換えてもいいでしょう。

その他にも社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)などの団体が、ほぼ同じような目的で存在し、その年に発表された優れた広告表現などを年鑑として一冊の本になって出版されています。

日本のグラフィックデザイナーの多くは・・・全員と言っても良いと思いますが、作った広告がこのような団体から「優れた広告である」とお墨付きをもらう事を一つの目標として、イイ広告とはと日々考え向上心を持って制作していました。

このような目的が背景にあったからでしょうか「広告は文化である」といった風潮があり、今でも確かにそんな一面も残っています。

マスメディアに登場する広告とは、企業がメディアの媒体を買い取り、そのスペースを企業が発信したい情報を流すと言った、一方通行のコミュニケーションで、コンシュマーが望んでいない情報もそのまま流されるモノです。

だからと言いましょうか、見て不快なモノは購買行動に繋がらない事から、良いイメージを持ってもらうために、美術としても通るクォリティーでさまざまな表現を駆使して制作していました。



そんな業界団体から度々お墨付きを頂くデザイナーも登場し、一緒に作り上げるコピーライターやカメラマン、イラストレーターなどさまざまな横文字職業も紹介され、広告のトレンドのようなモノも出てきたりしました。

グラフィックデザインの仕事は、広告でポスターなどを作るだけではなく、会社案内や商品カタログ、チラシやDMと言った販促用のツール制作にも携わり、企業と社会のコミュニケーションの最前線にいて、沢山のデザイナーが沢山の仕事をこなしていました。

しかし、PCが一人一台が当たり前になり、ソフトウェアの使い勝手も専門スキルをあまり要求しなくなった事で、コモディティー化が進み、誰でもが原稿を制作出来るようになりました。

インターネットの発展により、マスメディアと言われていた新聞や雑誌などが衰退し、デザインを必要とする媒体自体が減ってきました。

そんな中でも従前通りに美術的完成度を求められる仕事が皆無になったかというと、総量こそ少なくなりましたが、いまだに多くのクライアントから求められています。

仕事が残っているとは言えグラフィックデザインの仕事の総量が減ってきている事には変わり有りませんし、コモディティー化で誰もがデザインに参画出来る状態になっており、その結果高度な専門知識を必要としていた質の高い表現は減り、次から次へと大量に消費されるような作品が増えたと感じるのは私だけでしょうか。

元々グラフィックデザインは、クライアント企業が社会とのコミュニケーションを目的に、手段として広告や販促用ツールを作っていたわけで、媒体がさまざまに変化しても「買って欲しい」「愛して欲しい」といった目的は変わりません。

これから先グラフィックデザイナーに求められるものは、今まで求められていた美術的センスも必要とされていますが、マーケティングや各メディアに対するリテラシーを持つ事も要求されていると感じます。




生き残るために最低限やらなければいけない事

先日のエントリーの「メッセージを伝えるために。」にも書きましたが、世の中に流れている情報を整理し「選択可能情報量」と「消費情報量」の数量的な結果を見ると、目に入った情報でも必要なモノと判断出来ない情報は、華麗にスルーされている事に驚かされます。

この事は社会の情報流通に変化が出てきたと考えられ、一つは今までのようにマスメディアが上流から流し、下流でその情報を受け取って利用する流れと、もう一つは欲しい情報は捕りに行って利用する。

情報取得にこの大きな流れが二方向出てきたと判断出来ます。

つまりモノを買って欲しければ、今までのように企業側からのコミュニケーションである広告や販促ツールでアプローチする方法と、コンシュマーからのコミュニケーションに応えるWebの充実の両方を、車の両輪のようにバランス良く使う事が求められています。

広告や販促ツールは経験豊かな代理店や制作会社がありますし、Webにしても外注する事も可能ですが、企業側からの情報一元化を考えると外のスタッフを使うよりも、企業内の広報という立場で情報を発信していく方が、社内でのノウハウやリテラシーの蓄積も出来るので、CMSを利用するなどして社内で対応する方が良いと考えます。

コンシュマーが知りたいと思う情報を、深掘り出来るよう詳しく載せる事はもちろん、どの様に考え行動しているのか、解りやすく企業理念を表現する事で、企業ブランディングを確立する事を視野に入れ、Webサイトを構築する事が必要です。



間違えてはいけない事は現在有るマスメディアとWebとを同じ土俵で判断しない事。

マスメディアは企業側からコンシュマーにプッシュするコミュニケーション、Webはコンシュマーから企業側へとプルされるコミュニケーションと言えば解りやすいでしょうか。

良くホームページを作ったからウチもウハウハ! なんて思う人も中にはいるようですが、マスメディアを使っての販促ツールでしたら、出稿量によってリアクションもあるのでしょうが、Webは畑です、種をまいて水をまいて育てなければ収穫出来ませんよ。




<< 2/2