RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

大人の皮をかぶったお子様か

最近のメディアが流すニュースは、確かに明るい話題は少なく暗いと感じている。
まぁ、腹に据えかねる嫌なことも多いから、なのかもしれないが、最近なんだか覚悟が足りない、情けない大人が増えているのが原因かも?と思った。

ねぇ、G7で日本の品位を落としてくれ、その後の美術館でもひんしゅくを買い、いまだに国会議員しているあの人とか。
でもあの人はあまり攻めると、お父さんのように自殺されると後味悪いから、追い詰めない方が良いのかな。

新しい米大統領と電話で首脳会談した時に、何を言いたいのかよく判らなかった、と言われちゃったあの人とか。

個人的にもあいつやこいつなど、50才を過ぎてもガキみたいな考え方している奴とか、大人として付き合えないと怒りを覚えると言うより、笑いたくなる。
・・・どっかで聞いた台詞?

そんなニュースが飛び交う中、出会ったのが、福沢諭吉の『痩我慢の説』。

これは元徳川の幕臣だった勝海舟と榎本武陽の、出処進退を厳しく指摘した文章。

「当時積弱の幕府に勝算なきは我輩も勝氏とともにこれを知るといへども、士風維持の一方より論ずるときは、国家存亡の危急に迫りて勝算の有無は言うべき限りに非ず。」
「我日本国民に固有する痩我慢の大主義を破り、以て立国の根本たる士気を弛めたるの罪は遁るべからず。一時の兵禍を免れしめたると、万世の士気を傷つけたると、その功罪相償うべきや。」

これに対し、勝は。
「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与らず我に関せずと存じ候。各人へ御示し御座候とも毛頭異存これ無く候。御差越しの御草稿は拝受いたしたく、御許容下さるべく候。」

福沢諭吉は「短期的な観点からすれば勝海舟の選択は正しい。けれども、武士としての考え方(武士道・痩せ我慢という美意識)から見ると、戦争の勝ち負けではなく、日本という国家が将来無くなってしまうのではないのか。
日本人が根本に持っている『痩せ我慢』と言う美意識を放棄したことが、一時の兵禍を免れるために行われたとしても、日本人の根本的美意識を弛めてしまっては、元には戻らないだろう。確かに功もあるが罪もある、罪の方は日本という国家がこれからずっと背負うことになるけど、これをどう償うのさ。」

これに対し勝は「出処進退はその人が自己決定することである。その成否や理非を論じるのは他人の仕事である。私が『私のことはこう評価してください』と他人にお願いする筋のものではない。
私への批判の文章、どんどん世間に発表してくださって結構。
でも、戴いた草稿はこのままくださいね。」

これを読むと、明治維新を経験したこの二人は、かっこいい大人だ。
お子ちゃまじゃ困っちゃうけれど、大人としての突っ張り方をわきまえている、やせ我慢が大人としての美学なのかもしれない。

政治の世界はよく判りません、ひょっとしたら屋根に登ったは良いけれど、梯子を外され、降りれなくなって上で泣いているのかもしれません。

でも泣いて済むのは凡人だけ、人の上に立つような人たちはやはり「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。」この心意気だけは欲しいよな。
って、無い物ねだり?




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