RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

格好いいと悪いの境界

男でも女でも生き方が「かっこいい」と感じる人がいる、反対に「ウワッ、だっさーい。野暮だね」と思う人もいる。
商品でもそうだ、プレミアムブランドと普遍的なブランド、それの差ってなんだろう、って考えてみた。
ほら、一応仕事がねブランディングなんかも含まれているので。

日本人だからか、潔いという言葉が最初に思いついた。
潔い生き方、潔い辞め方、桜の花に人気があるのも「潔い散り方」だからと説明する人もいる。
生き方の美学?一言で言ってしまえば「武士道」なのでしょうか。


「武士道といふは死ぬ事と見附けたり。毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり。」(山本常朝、『葉隠』)


常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いたのだが、死んでも幽霊にすらなれない武士が、現世に命乞いしまでして生き延びるのではなく、限りある生を賭けてでも正しいことをせよ。
と言う有限の命の中での決断が「かっこいい」と感じさせるのだろうと。

反対に無限の命だとどうなのだろう、命を賭しての決断はなくなるよな、永遠の命なんて賭の対象にすらならない、貴重な命じゃなく、どこにでも大量にある海岸の砂みたいで、安っぽいものになるんだろうな。

かっこよく生きようとするには、有限という気持を心に持ちつつ、正しいと思う、責任を持つ生き方をせよ。

野暮でかっこ悪い生き方は、生き方に目的も節目も持たず、いつまでもモラトリアムの中で、ダラダラと生きることなのでしょうか?、早く大人になれよってか。

だいたい金やダイヤモンドみたいに、数が限られるから貴重であり、高価なんですよね。

かっこいいとかっこ悪いの根底には、有限と無限という概念があるのでしょうが、その間にある(だろう)ボーダーラインは、個人差やその時代の価値観があってハッキリと線は引けない。
経済成長率が高く、物価もインフレでドンドン上がっていた頃は、高価なもの、性能の高いものにプライオリティが高かった。
しかしいまでは小さいもの、効率の高いもの、再利用できるものなどがもて囃されるようになっている。

オピニオンリーダーとして、サブカルチャーの牽引役だった雑誌も、販売部数の低迷で休刊や廃刊が続いているが、地下鉄内の中吊り広告には「セレブのこのファッションを狙え」みたいな記事を堂々と謳っていた。

今どきまだモノの呪縛に囚われ、コンシュマーをリードする情報が「消費」じゃ、読者からそっぽ向かれてもしょうがない気がする。
いまの若い子達が考えている事とズレている気がする、セレブがまだ格好いいと思っているのだろうか、雑誌が売れればそう考える需要もあるのか、でもキレイなタレントが大きく出たこの中吊り広告を見て「この雑誌ダッセー!」と感じたのは事実である。




進んで便所掃除出来る人

私ごとではありますが、家族構成は女房一人に子ども三人です。
かみさんは地域の基幹病院の副院長をしており、まぁ忙しく仕事しています。
当然家事は夫婦で分担して行っていますが、平日の食事の支度はかみさんの仕事で、掃除・洗濯は私の仕事と、暗黙のうちに役割が分担されています。
この様に大まかに仕事を分担して家事をこなしていますが、見ないふりをすれば見過ごしても体制に影響がない「誰の仕事でもない仕事」、お互いの仕事の隙間にあるような「トイレの掃除」が発生したりします。

本職はグラフィックデザイナーとして数十年仕事をしてきましたが、同じように「自分の仕事」「あなたの仕事」と「誰のものでもない仕事」があります。
「誰のものでもない仕事」はもちろん私の仕事ではありませんから、片付けなくても誰からも攻められるわけではありません。
この「誰のものでもない仕事」もほったらかしにしていると、「誰かがやらないと片付かない仕事」に成長して行き、その内に仕事全体を脅かす存在になってゆきます。

周りで一緒に仕事をしていく人たちの中で「仕事が出来るな」と感じるスタッフがいますが、たいていこの「誰かがやらないと片付かない仕事」を自らの仕事として進んで処理している人です。
最初に「便所汚いな」と汚れを見つけてしまった人が、掃除をする。
「自分の仕事」じゃない仕事も「自分の仕事」として手を動かす人ばかりだと、もう少しマシな社会になると感じるのですが。

しかし大きな組織の中には、色々な人が当然のように「出来るだけ自分の仕事を軽減することが労働者としての当然の権利である」と、いつの時代だよと言いたくなるような思考の人がいます。
技術を取得すれば、組織に依存しないでサッサと独立してしまう、デザイン業界には余りいない人たちですが、大きな組織で働く人の中には、この様な考え方を持つ人たちが沢山いるようです。

でも企業として成り立っていくためには、環境の変化に追従できる組織の柔軟性が求められます。
そんな企業を牽引していくのは「汚れを見つけてしまった人が、掃除をする」という人材だと感じますが、みなさんいかがでしょうか。




景気が悪いのと、あなたがしょぼくれているのは別の話

しょぼくれた顔などと、人様の事を言えた義理ではありませんが、テレビニュースやバラエティー番組、雑誌や新聞など読んでみると、元気な人も暗くなるほど不景気の大合唱。

別の希望を抱かせる話題は、他国の大統領が就任したことを伝えるニュースぐらい。わが国は、と言えば首相の漢字力に疑問を唱えるぐらいしかできないのか、何とも情けないような。

確かに景気は悪いと感じますし、この先行きの見えない、時代への閉塞感すら感じます。

年末の非正規雇用の方達の扱いには疑問も感じますが、天下りで外郭団体の理事の職に就き、仕事もあまりせずに企業にしがみついているくせに、高給を貰っていることにも疑問を感じています。

雇用規制強化も、ヘタをしたら仕事自体がより安くできる海外へ持って行かれてお終い。で結局派遣労働者の救済には繋がらないという気もします。

こうやって自分でコラムを書いていても、暗いことしか思いつかないんですが、小さな有限会社で仕事し始め、もう15年経ちます。

事務所には時々作品見てください、と新人のイラストレーターさんやデザイナーさんがいらっしゃいますが、一緒に仕事したいと感じるのは元気で前向きな感じの人ばかり。

会社の業績が伸びず、営業しても仕事まで行き着けず「どうすれば・・・」と考えるのは当たり前なのでしょうが、せめてお客様の前では元気で明るくが原則です。

景気が悪いと、不景気な顔で仕事を取りに行っても、誰もくれませんよ。

役者さんの営業マンじゃありませんから、仕事をお願いして我が社も元気に、なんて夢など見せてはくれないでしょうが、せめて一緒に仕事して楽しい雰囲気はほしいですね、どんな仕事であっても。




広告の未来が見えてきた。





新聞、テレビ、雑誌など、今まではこの3媒体に加えラジオを入れて、マスメディア4媒体なんて呼ばれていました。これら媒体は企業などの団体がスペースを購入し、伝えたい情報を広告としてコンシュマーに流す、一方通行の情報でした。

インターネットが普及し、Webの特性を生かした広告や、商品告知の方法は、今まで色々な方法使って試行錯誤を繰り返してきました。

その中でも、昨年のカンヌ国際広告祭2部門でグランプリを受賞した、ファーストリテーリング社の「UNIQLOCK」が、発想の斬新さ、ブログに貼ってもらうという媒体の使い方など、インターネットを使った広告の一つの方向性を示してくれました。

昨日初めて見た、SONYのビデオカメラHandy CamのWeb広告が、非常に優れた物でしたので紹介します。説明を聞くよりも、上の矢印をクリックしてみてください。

Web 広告の内サイトで良く見るバナー広告自体、効果的には相当目新しい商品など、それ自体に話題性がないと、ただ街で見る看板程度でしか見られませんでしたが、Handy Cam自体今まで長い時間をかけて特徴とブランドイメージを作り上げたおかげか、すんなりと作り手の思惑に乗せられる気軽さが感じられます。

メーカー側の購買ターゲット層も、お金を持っていない若い夫婦よりも、退職金や年金などで小金を持っているその親の世代を狙っている戦略に感じられます。

出てくるムービーは、子育て真っ最中の夫婦はもちろんのこと、自分たちの若かった頃とムービーを重ね合わせ、成長し嫁いだ娘の産んだ孫を見て、思い出という記憶から心地よさを共感させる事。

よく練られた良い広告です、特に成長した子供を持つ世代には、キラーコンテンツになる可能性を持っています。




事業効率を上げる労働生産性の向上と言う概念

巷では無駄なエネルギーを省く、省エネグッズが売れているそうだ、食品を包む使い捨てのラップの変わりにシリコンを使った繰り返し使えるフィルムや、ドライヤーを使わずに髪の毛を乾かすことの出来るキャップ、繰り返し使える充電型電池など。

社会生活の中でも無駄な物を押さえ、効率よく生活しようとの気持ちの表れからでしょう。

あなたの抱えている仕事は、どの程度の収益を上げ、どの程度の時間拘束で達成しているかご存じですか。
つまり個人で時間どの程度の収益を上げていますか。
また現実の収入は時給いくらぐらいありますか。

仕事に関しても企業の経営側の人間だけでなく、働く社員一人一人が自分の仕事効率を考え、改善を加えて行く必要もあるのでしょう。

OECD 対日経済審査報告書2008年版では、サービス部門に関して、日本は米国に比べ労働生産性水準は30%低いと言われています。

この労働生産性の低さから、非正規雇用が増えた原因の一つでもあると考えられるのですが、私のいるデザイン業界でも慣習で行うことが、とても無駄になっている事がまだまだ沢山あるように感じられます。

一つ一つの業務を改善し、効率を良くすることが出来れば、業務の時間短縮など仕事に携わる全員の利益になります。
慣例を変えるのは無駄と頭では解ってはいるのでしょうが、変えられない物の一つですが、現状を打破し前進するためには必要なことです。

媒体のプライオリティーの変化から、仕事の内容もずいぶんと変化してきた気がします。
以前は営業にマーケティング・媒体・アートディレクター・クリエイティブディレクター・デザイナー・コピーライターなどの職種に別れ、仕事をしてきましたが、これらの職種・職域も変わっていくかも知れません。




shi(f)t happens

アメリカ発の金融危機、輸出バブルの崩壊、それに伴う派遣労働者の就労問題、再び懸念されているデフレスパイラルへの不安、日本社会は大きな変化のまっただ中にいます。

社会環境が変化する事で、コンシュマーの購買意欲も変化し、今までと同じ手法では商品が売れなくなって来ています。

こんな時、社員を牽引する立場のリーダーとして、何をしたらよいのでしょうか。

吹き荒れる嵐が通り過ぎるまで、膝を抱えてジッとしている事でしょうか、それとも安全な場所へ移れる可能性が有れば、リスクを背負って新天地を目差すべきか。

環境が大きく変化しているのに、膝を抱えて環境が元に戻るのを待っていては、滅びるのを毎日眺めて暮らすようなものです。

本当に身動きが取れなくなってしまう前に、変化の予兆を掴んだら、先ずは何が出来るのか、売り物はなんなのか自分を正確に判断する事、次に変化した環境を掴み、その環境に適合できるように自らを変化させる事。

文字にするだけならばとても簡単なんですが、実際にやれと言われると、今ひとつ決断出来ないかもしれません。
ただ言えることは、この社会の変化に“誰も”対応したことがないこと。
誰もが正確な答えなんて持っていません、こんな時代のリーダーは「わからないからやってみよう」で、リスクを背負える能力が必要だと思います。

shift happens=変化(転位)が起きると訳されますが、shiftのfを取っちゃうとshit=くそです、きたなくてすみません。
スラングとしてshit happens=クソみたいなことが起きる(た)と解釈されていますが、こんな変化の時代は、進んで便所掃除が出来る(ような)人が、リーダーに向いているのではないですかね。

汚れ役を進んでするという意味ではなく、やらなければいけないことを前向きに進んで出来る人が、こんな時代に求められている、リーダーの資質ではないでしょうか。




親愛なるチャーリーへ

VW広告キャンペーン.jpg クルマの広告.jpg

私が70年代の半ばに、グラフィックデザインを学んでいた頃、1963年に出版され、教材にも使われていた『フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』(美術出版社)と言う本がありました。
主にLIFEやTIME・ニューヨーカーと言った雑誌に掲載されていた広告をまとめてありますが、制作していたのはDDB(ドイル・デーン・バーンバック社)という広告代理店です。
当時広告の制作手法と全く異なるアプローチで作られた広告で、掲載された当時はアメリカ国内に大きな反響を与えた広告キャンペーンでした。

その広告を日本に伝えたのが、TTCの名誉殿堂入りされた元コピーライターの西尾忠久さんです。
この本は、私たち広告を創る側の人間からバイブルと言われていた本で、80年代に入った頃には古本屋でも見つける事が難しい状態でした。

この本に収められている広告作品は、他社が新しい商品(車)にすると楽しい未来が、テレビドラマのような生活が手にはいるよ。
とイメージ訴求していた頃に、商品の優位性で他社との差別化をしたコピーと、奇をてらわないシンプルなビジュアルで構成された、現在の広告の原点と言える作品ばかりです。
このコラムタイトルにもある『親愛なるチャーリー』も、コピー制作に行き詰まった時のアプローチとして、広告を見る顧客を聡明な友人として仮定し、彼に説明するように書き上げ、最後に最初の一行のチャーリーを消せば成り立つなど、制作に対する見習うべき点が多数あります。
そんな本がKKロングセラーズ社から、新書として昨年12月に『クルマの広告―大人のための絵本 (ロング新書)』として発売されました。
値段はたったの¥950。

広告として発表され50年近く経った物ばかりですが、今見ても新鮮で説得力のあるコピー、見る者にスッと入り込むビジュアルなど、制作者だけではなく企業の広報やブランディングを担当する方達にも、一読していただきたい本です。




自動車製造業の未来は・・・

1980年半ば頃まで、世界各国の自動車会社は一台の自動車を作るのに、エンジンから足回り、電装系まで一部例外はあったにせよ、ほとんどのパーツを内製していました。これはパソコンなんかも同じですね、CPUからメモリー、記憶装置まで一台の全てを一つのメーカーで作っていた事もありました。

一つのメーカーでデザインや仕様を決め、社内で全てのパーツを作り組み立てる。そんな垂直思考的な社会がそこにはありました、と言うかエンジンの周りの補器の位置や、それに伴うスペースから導き出される足回りの設計など、そのパーツ一つずつを擦り合わせして行きながらでないと、一台の完成度の高い車として製品化出来なかったのかもしれません。

だからか海外メーカーの車には、電装系が弱いとか、ミッションのシンクロがすぐに逝かれるとか、いわゆる都市伝説的な噂も上がる事がありました。これは全てドメスティックな環境で一台の車を作る、一種のローカルルールがまかり通っていたからでしょう。

オートバイでも同じような事がありました、メーカーで付けてくるパーツは品質が悪いし、整備で交換してもすぐに壊れるから国産の部品に交換しました。などなど枚挙にいとまがありません、これなどはローカルルールで作った部品を整備するのにも、ローカルルールが必要だっただけで、そこを踏まえて整備すれば、それほど頻繁に壊れる事もなかったのです。

それだからか、そこに気がつき整備するメカニックに仕事を頼むと、壊れにくい車やバイクが出来たわけで、このメーカーの車は○○に頼むと良い、など専門化・専業化していったわけですね。

これからの製造業は、どんな製品を作るようになるのでしょうか。やはりPCのように、CPUやメモリー、基盤からハードディスクと言った記憶装置まで、専業メーカーで作ったパーツを集め、水平分業されたパーツで出来た一つの製品にしていくのが主流になってくるのでしょうか。

車などは環境対策というキーワードが言われ続けてはいますが、いまだに内燃機関であるガソリンエンジンに変わる動力源がない事から、他メーカーとの差別化を必要とするプレミアムブランドでは、エンジンとボディを自社で作るのはしばらく続くのでしようが、コンシュマー向けのベーシックモデル向けのエンジンなどは、モジュール化され様々なメーカーで使われてくると思います。

特にこの先、燃料電池や電気自動車などが出てくると、設計の自由度が増し、パーツのモジュール化もしやすくなるので、この流れは一層加速するかもしれません。その内に現在のPCのように、パーツを指定して一台のお気に入りを作り上げるような車が出来るかもしれません、チューンナップも専門雑誌の広告に「モーターを東芝製・新幹線と同じモーターでトルクアップ」なんてコピーが踊る日が来るかもしれませんね。




技術革新か改革か? 求められるイノベーションは何だ

スマートmhd

先日メルセデス・ベンツ日本がアイドリングストップ機構採用の「スマート・フォーツーmhd」を、12月に発売すると発表しました。この「mhd」とはマイクロ・ハイブリッド・ドライブの略で、現在トヨタ自動車やホンダで発売している、ガソリンエンジンをモーターでアシストするハイブリッドとは一線を画しています。どのようなハイブリッドかと申しますと、アイドリングストップ。

なんだベンツが創るハイブリッドだから、もっと驚くような技術てんこ盛りかと思いきや、頻繁なエンジン始動に強いバッテリーと、アイドリングストップ機構を制御するコンピューターで成り立っているものです。厳密に言いますと電気を効率よく作るオルタネーターと、スターターモータも違うそうですが。

いま日本でハイブリッド車と言えばトヨタ自動車のプリウスを思い浮かべますが、こちらの機能としては、ガソリンエンジンでは効率の悪い領域をモーターでアシストし、クルマ全体としてエネルギー効率を高くしようと、ブレーキング時に運動エネルギーを電気エネルギーに回生する装置もあり、非常によく考えられた、開発に時間もお金もかかっている製品です。

一台の車としての10・15モード燃費の効率はどうかと、比較してみると。
スマート・フォーツーmhd:23.0km/リッター
トヨタ自動車「プリウス」:35.5km/リッター

やはり根本から効率を重視して開発してきた「プリウス」にはかないませんが、軽自動車の多くが21〜23km/リッターの燃費ですから、高速道路での高負荷走行を考えた欧州車としては、かなり立派な数字です。しかし技術を一から開発した「プリウス」と、既存技術を集め製品にした「スマート」では、回収すべき開発費は天地ほどの違いがあるでしょうし、従来モデルからの加算される値上げ幅も少なくてすみます。

因みに「スマート」の従来のモデルから、どの程度効率化が進んだかは、 10・15モード燃費は従来の18.6km/リッターから約24%向上して23.0km/リッター、との事です。中長期な観点からすれば、現在の技術をブレークスルーしていく新しい技術開発は必要です。しかし自社に技術の蓄積がない場合でも、使い慣れた技術を組み合わせる事で、社会のニーズにあった商品を開発する事は可能です。

昨日のコラムにも書いたように、全ての利益を株主に還元ではなく、技術開発への投資をした上でイノベーションは継続的に続けて行くにしても、マーケティングの視点から既存技術を使った、新しい商品を開発する事も企業として考えなくてはいけません、脳みそにもっと働いてもらいましょう。




日本のこれから進む道

トヨタ自動車やホンダ、SONYなど、日本を代表とする製造業が円高の影響で収益が下がり、この先日本経済はどうなってしまうのか、誰もがこれからの生活に不安を感じていると思います。現実にボーナスが減額されていたり、契約社員が解雇されたりと、社会的不安要因は沢山あります。

今回の金融危機の原因となりましたが、いままで世界のリーダーとして君臨していたアメリカの製造業と比べるとどうなのか、今回の世界同時不況以前にも、アメリカ大企業の経営者と、平均的な労働者との賃金格差が約400倍になっていて、これほどの差が出ているのには疑問に感じていました。

それと株主資本主義とでも言いますか、利益の上がったもの全て株主に還元せよ、と言う「会社は株主のもの」の考え方にも同じように「良いのか?それで本当に」という疑問を感じていましたが、そのアメリカの後を追従する形で成長してきた日本の製造業は、いままでと変わらずに進んでしまっても良いものでしょうか。

現在ビッグ3の救済案が取りざたされていますが、日本や欧州メーカに比べ、環境への意識はまだまだ低いように感じますし、本来蓄電池やモーターなどの他業界のメーカーを含めた、全産業上げてのプロジェクトなのでしょうが、ビッグ3の対応は自社で仕切った開発をするのではなく、他メーカーが作り上げた製品を組み入れ、パソコンのように組み立てメーカーを目指している感じもします。確かにそのような製品を作ることで生き残るメーカーもあるでしょうが、企業には蓄積される技術はなくなってしまいます。

日本は本来資源の少ない、国土も狭く、人口密度の高い、どちらかと言うと暮らしてゆくにはハードルの多い、問題解決国家です。公害を始め環境問題、水の問題、エネルギー問題、農地などの農業問題等さまざまな問題を一つずつ解決してきた実績があります。これらは全て循環型社会を目指そうという、世界各国が求めている技術でもあります、やはり日本はさまざまな技術で成り立つ国家として有るべきなのかも知れません。

現在世界各国が目指す循環型社会ですが、百数十年前の日本は、文化溢れる成熟した循環型社会として成立していたことも忘れてはいけないと思います。




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