RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

正義の人

漫画や映画、テレビ番組に登場する正義の人は、まぁ見ていて楽しいし、すっきりもしたりする。

「このお方をどなたと心得る、先の副将軍〜」の一言が出ると、テレビの前の視聴者は待ってましたとばかり、勧善懲悪のわかりやすいヒーロー登場で一件落着なのだが、世の中は勧善懲悪ばかりではなくもう少し複雑だ。

たとえば路上を走るビックスクーターに乗る若者などは、走るときにクルマの運転手に自分を主張する為に、マフラーを変え、耳をもつんざく爆音で走り去る。

これは彼の安全に走るための、彼自身が思う正義である。

これを路上で見る歩行者や、ドライバーは「うるさいバイク」「迷惑なバイク」と感じるが、これは歩行者やドライバーから見た社会的正義だろう。

社会の中の事象には「する事で得るものと、失うもの」の必ず二つがある。

豊かな自然を持つ森に、住民が便利だろうと道路を通せば「便利」を得た代わりに「豊かな自然」を失う。

世の中のものは、得るものと失うものが、何かしらトレードオフの関係にある。

それを関係者で協議し、合理的なところでお互いの主張に折り合いをつける。


しかし中には、自分の持つ権利という色眼鏡を通して物事を見る人がいる、過激な行動が目に余る環境保護団体なども、自分たちの主張が絶対的な正義として、意見を曲げようとしない、合理的な落としどころに行き着かないのである。

みんな自分に都合の良いように出来事を見、自分の色眼鏡で見て解釈しているのである、そんな見方をしていては何が真理なのか見えまい。

そんな正義の人と話をしても平行線のまま決着が付かない、往々にしてお互いが主観的な話になってしまい、怒って席を立つのが関の山だろう。

自分の考える正義が本当に正しいのか疑い、自分が間違っているかもしれないという可能性を考えるのも、先に進んでいこうというプロセスのスタートではないだろうか。

こんな事が嫌いだからか、宗教はあまり好きではない、・・・古い教会や神社仏閣と言った、宗教文化や美術は大好きなんですけれどね。

嫌いな方の宗教、特にカルトと呼ばれ、教祖さまがいたり縛りが強い宗教団体は、そもそも信者をコントロールしやすいように色眼鏡を強要する。

宗教に限らず、何でそうなったかをよく調べずに、主観という感情で物を言う人はもっと苦手だ、やってきた内容の是非を問うのではなく、やり方しか批判出来ないのもみんな似通っている。


例えば先日の大阪府知事就任1周年で、橋下知事に対する批判の声


・知事の手法は、俗っぽくいえば「かまし」「はったり」。行政の長としての手法とは異なる。修正を望みます。
・180万人の支持を受けたからと鼻高々で、府の権力をすべて握ったと錯覚しているようだ。
・「思いつき」が「思い込み」になり、今や「思い上がり」になっている。リーダーシップをもう一度考え直すべきだ。
・役人いじめの言動にはうんざり。府職員が今まで積み上げてきたことが全否定されているみたいです。
・「赤字だから廃止する」という考え方は「あたたかい行政配慮」に欠けると思います。
毎日新聞2009年1月25日付け朝刊27面


みんなやり方・手法に付いての批判しかなく、具体的な内容が無いのが共通している。

火事を見に行った野次馬が「火事だ大変だ」と周りで騒ぐだけで、火を消そうとしないのに似ている。・・・と言うか消し方が分からないので、周りで騒いでいるだけなのか。

結局何も出来ない行動は、本当に正義なのか、ただのお遊びじゃないか?。

そんなお遊びをいかにも正当化し、プライベートな正義を声高に言う、落とし処を見つけられずに同じ色眼鏡を強要する「正義の人」とは、一緒に仕事出来ません。




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