RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

デフレのおかげと酒呑みの自己弁護。

昨年のリーマン・ショック以降、物が売れずに値段を下げない事には物が売れなくなっていると、ひとり勝ちのユニクロを悪者に仕立て上げる記事も見られますが、本来技術革新などで生産効率が上がれば、物の値段は下がることは今までにも沢山有りましたので、私なんかはどちらかというと歓迎しているんですけれど。

世の中には「その地域で好まれているもの」が有り、食品などでも日本では豆腐や納豆と言った大豆加工食品が日常的に食べられていますけど、沢山の人が買ってくれるから単価は安く、手に入れやすい商品ですが、食習慣のない例えばアメリカあたりで食べようとすると、どこでも手軽に手に入る食品とは言い難いのでしょう。

同じようなことを日本で暮らす私が考えると「本場中国の〇〇は日本で買うと〇〇円だが、向こうで買うとたった〇円で買える」と言ったことになるのでしょうが、なぜか普及品でも日本で買うと高くなるものって沢山あるように感じられます。

例えばお酒、ワインなんかは一時から比べればだいぶ安くなりましたが、海外で暮らす日本人のブログなんか見てみると、水みたいな金額で買えるような記事もしばしば見受けられます。

喫煙者が減ってきたことで、次なるターゲットはアルコールとばかり、WHOが「アルコールの有害な使用を減らす世界戦略」を発表しましたが、私は料理を作りながらちびちび飲んだり、仕事から夜中に帰ってから寝酒をいただくのが好きなので、アルコールは何でも好きなのですが、今まで水みたいな金額で買えるようなお酒を飲んで満足することなど有りませんでした。



安いお酒

でも最近は第三のビールと言われるものは、清涼飲料水と同じか、スーパーによってはそれよりも安い金額で売られていたりします。ワインは一時コストコで売っていた5リットル入って2,500円位の、バッグインボックスタイプのワインを飲んでいましたが、最近近所の西友で驚く値段でうっているワインを発見。となりの蒸留酒の棚には、スコッチウィスキーも驚く値段で売っているでは有りませんか。

今まで何度か「安物買いの銭失い」的に安い酒を買って後悔したことは何度も有りますが、失敗したと後悔しても、その一品を自己責任と言いながら腹に収めてしまえば済んでしまうこと。とはいえ数年前に世界最大のスーパーマーケット、アメリカのウォールマートの子会社になったので、世界中の仕入れ先から生産地に近いところで飲まれているお酒を輸入し、売っていたらひょっとして?と期待を持って買ったのは確かなところ。



輸入国など

ワインは不味くても料理に使うなど、逃げ道はあるのですが、ウィスキーはあまり変なもので割ると美味しくないので手をだすのに勇気がいります、国産ウィスキーで近い値段のものも幾つか飲んだことは有りますが、これしか無ければ買うけど・・・。と言う程度のものでしたから。

飲んでみた結果は、もうバンザーイ!!。です。



レシートです

ワインはコンビニで売っている1,000円前後のチリワインと同等程度、ウィスキーも同じようにだいたい1,200円程度の商品と同じ程度でしょうか、ワイン一本397円、スコッチウィスキー一本790円。クラブソーダは変な味付けのない炭酸水で40円。摘みのピーナッツもボトルで397円。ここにも有りました価格破壊。ウォッカやジンも安くならないかな?。

他にもkiriのクリームチーズも250円台だし、ウォールマートのPBのものは230円台で売っていますから、休日は駐車場がクルマで溢れ返るのもわかる気がします。24時間営業だし、始まりましたコンビニ離れが。

安い酒でも少し気取ったグラスに注げばそれなりに美味しい雰囲気は・・・、最初の一杯はストレートで、でも製氷皿のブロック氷は色気有りませんね。



気取ったグラスに


なんか違わない?NTTさん。

電話加入権等譲渡承認請求書

このご時世、不景気なハナシしか聞こえませんし、入ってくるのが限られているのなら出ていくのも引き締めなきゃと、無駄なものは削減と今流行?の事業仕分けをしてみたところ、FAXなんてこの数年殆ど使わなくなった。勝手に送ってくるセミナーの案内なども紙とインクの無駄なようだし、FAX本体のリース料は疾っくの昔に終了して買い取ってあるし、年間5万円ぐらい支払っている回線もいらないし。

と言うことで今年からFAXはできるだけ使わずに、PDFをメールに添付する形でお願いします。と一応業務連絡しておきます。

で、回線をサービスを停止するのに、116に電話をしストップしてもらったのですが、固定電話を設置したときに必ず支払わされていた「施設設置負担金」、いわゆる「加入権」と言われる通信のインフラを利用者が負担しなさいよと言うイニシャルコストですが、以前新規で回線を引いたときは7万円ぐらい支払った記憶が有ります。

自宅も事務所も固定電話はすでに引いてあるし、PCはフレッツ光だし、場合に拠っては携帯電話をもう一台と言うことはあるかもしれませんが、固定電話をこれ以上引くつもりも無いので、どうにか処分したいと話をしたら、譲渡する書類が送られてきたので、必要事項を書き入れ、実印の印鑑証明を同封して「NTT東日本加入権センター」へ書留で送った、そうしたら今日連絡が有り、譲渡先が記入されていないと。

わたしゃそこの「加入権センター」で買い取ってくれるもんだと思っていたので聞いてみた。

インフラを整備するイニシャルコストを利用者に負担させるのは理解出来る、しかも現在は使った分だけ負担するライトプランが存在するのに、わざわざ「加入権」を負担させるシステムがまだ残っているのか。権利を持ち債権のように第三者同士で売買出来るシステムで、新規加入者には事業者であるNTT東日本(私が関東の人間だから)が販売しているのに、なぜ事業者のNTT東日本では回収に干渉せず、怪しげな第三者に任せきりになっているのか。

想像するに昔は電電公社と言う国営の組織が、通信のインフラからサービスまでを一手に引受ていたけれど、民営化になり、本来ならばインフラを所有する別組織があって、そこから借りた回線を使ってKDDIやらソフトバンクテレコムやらと横並びのサービスで競うところを、NTTだけが回線と言ったインフラとサービスの両方を持った事業者になってしまったと言うことだろうか、要は中途半端な民営化だったわけだ。

現在でも売るときだけは「長く使えば使うほど(加入権は現在36,000円、ライトプランは月々250円高い基本料金なので、12年使えばチャラ)お得です」しかも債権のように販売できるし、と買わせるだけ買わせておいて、本来ならば資産であるインフラを負担させておきながら回収しない。

例えば昔JRが国鉄と呼ばれていた頃に、人を運ぶサービスで運賃と言う名目で料金を徴収すると同時に、利用するんだから鉄道設置に掛かった土地代とレール敷設料を最初に一人当たり10万円と言う資産を分割して購入させていたとすれば、それは株や企業債みたいなものじゃないのかね。

払わせておいて回収しないのは、なんだか騙された感じもするし、なんだか納得できない。




日本全国経済絶不調?

昨年12月に新商売始めました。と、宣言し「新商売なのだ」とエントリーも書きましたが、今年になって仕事関係を含め、個人的な趣味などで知り合った方たちへ、ご挨拶としてご案内を郵送させて頂きましたが、何通か宛名不明で戻ってきてしまいました。

事務所を移転されたのか、その事業所から退職してしまったのかは定かではありませんが、中には不況業種と考えられる出版社の方もいらっしゃいます。

先日の朝日新聞の朝刊にも、日本の自動詞や雑誌をリードしてきた二玄社のNAVI誌が休刊になるとニュースになっていましたが、兄弟誌のMOTO NAVIと言うバイク雑誌も同じく休刊になるようです。

確かにね、2009年度のオートバイ販売台数を見ると、前年の半分しか売れなかった。なんてハナシも聞きますから、趣味が多様化したからバイクやクルマが売れなくなったと言うのも確かでしょう。でもやはり一番大きな原因は経済がうまく行っていないことでしょうね、団塊ジュニアの35歳の年収のピークが、10年前のピークと比べ200万円も減った、なんて聞きますから。年収のピークがこれ程下がり、将来に対しての明るい展望が見えなければローンを組んでまで高額商品を買う人はいないでしょう。

子供を扶養する心配の無い独身者でさえ、クルマやバイクで脳天気に遊んでいられなくなっているってことです。だからと言ってその趣味で楽しんでいる人が皆無になったかといえば、そんなことはありません。新しいユーザー数の裾野は広く増加しなくても、メーカー別や旧車などのより深い領域で楽しんでいる人たちはたくさん居ます。

バイクやクルマの雑誌が売れなくなり、休刊に追い込まれる話はよく聞きます。流通業、特にデパートなども商品が売れず、やはり厳しいと言う話は嫌というほど聞きます。でも雑誌にしても、衣料品などでも「読みたい」とか「この服が欲しい」と言うのが見あたらないのも確かです。

売れる商品を開発する時に、今までは一番大きなマーケットだった「M1-F1」と言う若い層をターゲットにしてきたように感じますが、インターネットと言うメディアが整備され、今まで売れていなかった商品が長く細く売れる「ロングテール現象」が見られたり、自分の気に入ったものしか見ないと言った「プル現象」などからすると、マスプロととして大きなマーケットに向き合うのではなく、ユーザーに合わせてきめ細かくセグメントし、少量だけ作って売ると言った発想の転換が必要なのかもしれません。

企画や開発、デザインする側も、若い世代が全てのものを作るのではなく、それぞれのユーザーのツボを知っている年齢の人に制作させるなど、柔軟なクリエイティブ環境を作るのも必要なものと考えます。

趣味を扱う雑誌にしても、そんな新しい情報が日々あるわけではないでしょうから、月刊誌と言うサイクルよりは季刊誌などにして、踏み込んだ内容の濃さを売りにするのも古くからのユーザーには喜ばれるかもしれません、ユーザーに求められるものであれば多少高くても買ってくれるはずです。

沢山の人が求めるものを大量に届けるよりも、一部の人達が求めるものを求めているだけ届けると言う考え方が、これからより必要となるでしょう。




もう一つの仕事始め

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アートディレクターとしての仕事の他に、肖像画を描く仕事も始めましたが、今日はその最初のお客さんとして知人の弁護士のお母さんを描くために、撮影しに行ってきました。

場所は都営大江戸線の勝どき駅から徒歩3分くらいにある、高層マンション。撮影後ご家族皆さんと一時間ほど歓談し、穏やかな小春日和を感じさせる午後でしたので、銀座にある伊東屋まで歩いて向かいました。



築地市場を隅田川の対岸から

勝どき橋

隅田川沿いにテクテクと歩き、勝どき橋を渡り、築地で少しばかり遅い昼食を取り、銀座まで。

知人の高層マンションは49階の南側の角部屋、窓からは富士山から山梨方面の山々が見渡せ、都会の喧噪は地上に置いてきたとばかり、静かな天空の別世界と言った趣でしたので、人でごった返す銀座とのギャップが質の高い居住空間を感じさせてくれました。

でも、下界を見下す気持ちがあったのも確か、ラピュタに出てきたムスカの一言「見ろ、人がまるでゴミのようだ」と傲慢な気持ちになるのも確か。



青空に映えるクレーンだこと

そんなことを感じながらも、乱立するように同じような高層建築がどんどんと建てられながら、建築中のクレーンの赤白と、空のブルーとのコントラストの見事さに充実した喜びを感じることが出来た一日でした。

とはいえ、伊東屋に行った目的が画材を購入することだったけれど、目的の物が見つからず、しょうがないのでその足で渋谷のウエマツに買いに行った。
確かに伊東屋は画材店ではなく、文房具屋だと再認識した次第。
とはいえ、充実感がある良い一日でした。




新年早々ごめんなさい、胡散臭く感じるんです。

その商売が胡散臭く感じるかどうかのボーダーラインって、育ってきた環境に大きく左右されますけど、最近、携帯電話のキャリアをNTT docomoからauに変えたことで、いくつかのキャリア直営のショップを回って気がついたのが、どこのショップでも繁華街の裏手にある飲み屋のような、カウンターに座ってビール一本頼んだだけなのにいくら取られるんだろう的な胡散臭さが感じられた。

なぜなんだろう、十数年前、初めて携帯を契約した時は感じられなかったのだが、なにが変化したことでなんだか怪しい商売しているような印象を受けたのだろうか、ちょっと考えてみた。

登場した頃の携帯電話は・・・、と言うか電電公社だった頃の一般電話回線でもそうだったけど、加入するにあたって保証金と言うか、インフラ施設料金を加入料と言う名目で携帯電話だと10万円、一般電話で7万円の料金が求められる時代があった。

一般電話などはパーソナルなものと言うよりは家庭に一台、携帯電話も会社内で仕事上のキーパーソンや社長に一台など、限られた人が使う通話の道具として使われていたものが、メールやWebサービスや、音楽配信など様々なサービスが提供されるようになったことで、本来の目的であった通話料以外の料金体系が増え、複雑になったことで一本化できなかった上に様々な割引プランが、より不透明な印象を与えたためではないかと思う。



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そんな携帯のショップを比喩的に描いて笑わせてくれるのが、携帯電話のゲームサイトの「パクロス」で柳原可奈子さんが電話機をおススメしてくれるCM。

ショップ自体が醸しだす胡散臭さと、なんか勘違いしてない?、といいたくなるプチ水商売っぽい女性店員を見事にこき下ろしているように感じる。

以前のパソコン通信の頃、通信サービスは時間あたりの従量制でしたが、今ではほとんどのプロバイダーが通信環境別による定量制になり、誰もが安心して使えるようになったことを考えると、これからの携帯キャリアもWebサービスを含めた通話料含めた定量制がシェアを左右するのではないだろうか。

デスクトップのPCも、できればLANなんて裏の配線で何が何だか分からない状態よりも、無線LANを使う気楽さで、アウトドアでネットブックを使いこなす自由さがあると、これから先も電気・水道と並ぶ社会のインフラとして成立するのではと感じる。

法的な面、技術的な面と言った、クリアしなければいけない幾つものハードルがあることは承知の上で、現状の不透明さと感じたことを書かせていただきました。




ほとんどの人が疑わない常識を疑え!

タイトルの「ほとんどの人が疑わない常識を疑え!」とは、最近の私のデスクの前に貼ってある一言なのですが、広告の制作で企画をしていた者なら必ず通ってきた「どう表現するか」を考える時、その制作物のコンセプトからメインビジュアル、表現までをどのようにしたら広告を見てくれた人にフックとなって商品購入まで至ってくれるのか。

ほとんどの人=社会常識なのでしょうが、その「ほとんどの人」が広告のビジュアルとコンセプトが想像通りのものよりも、期待を少し裏切るサプライズがある方が見る人の心に残ることから、正面ばかりからではなく、色々な角度の切り口で物事を見て判断する訓練をしてきました。

でも「ほとんどの人」の期待される常識から、一歩先まで行ってしまうと行き過ぎてしまい、自分の求めているものと異質な物だと認識になってしまい、フックにもならないので半歩先位をよく考えました。

人ってだいたいが育ってきた、生活してきた常識に則って自分のデフォルトを、自分はここまでと線引きをしますが、その常識を少しだけ外すことで新しいアイディアや戦略を思いついたりします。そう、会社の常識って見方によっては、社会の非常識だったりしますから、自分の考えている常識の枠を少し外れれば、いろいろなアイディアが湧いてきます。

世の中には様々なクラスの人たちがいます、毎日の生活にも苦しむ経済的に恵まれない人もいれば、セレブと言われて喜んでいるような人たちも、自分がその人になったように考え、求めていることをペルソナとして形にすることがクリエイティブなのでしょう。

これはもう広告に対するアイデア出しという範疇ではなく、企業の販売・営業戦略においても同じような事が考えられますね。コンシュマーはいつでも無い物ねだりで贅沢なのだ。大きく外れるマイノリティーなポイントではなく、少しだけ本流から外れた所に差別化のポイントを置く、その方が理解されやすく、訴求しやすいのでしょう。

世の中でHITした商品には、その商品が登場した時期の社会常識からすると、ハズレてしまっているものが数多くある。古くはSONYのウォークマンもそうだし、同じ携帯音楽プレーヤーのi-Podもそうですね。たいてい非常識な若者のライフスタイルから、ニーズが喚起され、そのペルソナに従った商品がHITするのでしょう。

今までの非常識な若者と言われた人たちは、繁華街に集まり、群れる所から若者文化と言われるモノを産んできました。Webと言うインフラが整った現在では、一定の場所に集まらなくても群れることが出来るようになりましたので、こちらはこちらで一つの文化を作り出しています。

昔は雑誌などからサブカルチャーとして、若者文化が出てきましたが、印刷媒体からWebへ、マスからパーソナルへと移り変わってきました。そのように大きな社会文化と言うものから、細分化された個々の文化になると、物に対しての執着は小さくなるのでしょう、物からサービスへの移行ですね。

最近Web上では綺麗なお姉さん達が、フリップを持って時間を教えてくれる「美人時計」が人気ですが、なんと「AV時計」まで出来ています。うーん、やはり私たちの世代との社会常識が変わってきている、今まではどちらかというとアンダーグランド的なイメージが有りましたが、この「AV時計」を見てみるとアングラなイメージは感じさせず、アイドルの一つのカテゴリーになった感じもします。

風俗とアイドルの隙間を埋める、サービス産業に成長するかもしれませんね。いいトシこいてもカワイイ女の子は大好きですから、傍観者として眺めさせていただきます。

さて、今日はもう12月の25日、クリスマスです。来週はもう元旦、2010年のスタートです、2009年は公私共にあまり良いことは無かったように感じますが、2010年は良い年になりますように。




新商売開始なのだ

この数年、私の仕事であるグラフィックデザインに対する「求められる質」と「対価」が大きく変化した。その結果、今までと同じような売り上げを上げることが出来なくなってきた事から、変化した環境に合わせいろいろな事もしてみたが、B to Bのスタイルが合わなくなってきているのかも知れない。
とは言ってみるが、クリエイティブの仕事はどこでも使い捨てが多かったのは当たり前で、広告代理店でもクリエイティブの人間が社をまとめる代表を勤めることは少なく、私が将来を見越して10年くらい前に手を打っておけば防げていたことなのかもしれませんが。

てな事で対個人を対象に、新しい商売を始めることにした。

もちろん「グラフィックデザイン」と言う仕事が、個人生活に需要があるとは思っていません、ですから売り物とするのがデザインではなく”アート”のカテゴリーに入ると思います。

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具体的には、ポートレート・ドローイング。肖像画制作を商売にしようと言うこと。Web上でも似顔絵を書きますと言う商売が沢山ありますが、アバターや漫画のような似顔絵ではなく、フェース・デッサンと言うか、画家が油絵を描くときの下書きとしてチョークで描くドローイングです。

芸術面で音楽家や画家の方でも、生まれながらに絶対音感を持って生まれてきた人や、目で見たものを正確に紙に描くことができる能力を持っている人がいます。残念ながら私にはそんな能力は備わっておりませんので、能力者の友人と組み、私がマネージメントと営業業務を受け持ち、仕事をして良く形で始めました。

今までも友人は、仕事上お付き合いのあった大手食料品メーカーの会長の肖像画や、離日する北欧の大使にプレゼントするための肖像画を描いていたりしていましたが、一人ひとりを描くために時間を使っていると長い時間を拘束されてしまいますので、一枚の絵を仕上げるのにも非常に高価になってしまいますが、デジカメのデーターをもとにF10号と言うキャンバスサイズのドローイングペーパーに描き、F8号サイズでマットに窓抜きした額装をし、宅配便での配送料込みで\19,500、ひとつの画面にふたり一緒に描く場合は\24,500で販売しょうと考えます。

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装丁する額も好みに合わせるようにすると、効率も悪くなってしまいますので、シンプルな額2種類からスタートしようと考えます。

一点ごと描いていきますので、複製するには多少問題もありますが、要望があればデジタル版画と言う形でリサイズを含めた複製も考えており、京扇子の伝統工芸士による扇子作成までも視野に入れています。

大切な親や兄弟、友人との記念を形に残すこの新しい商売、うまくいきますがどうか、この記事を読んでなんだか良さそうと感じられましたら、ぜひ周りの方に教えてください、よろしくお願いします。

・・・急いでサイト作ってアップしなきゃ。



コンビニ来訪者の変化に驚く

ライブドアニュースに「コンビニ来訪客の世代分布をグラフ化してみる(2009年11月版)」を読んだ、1989年から15年間のデーターは5年毎の物しかないが、2006年度以降は毎年毎の数字が出ている。データのある1989年から現在の来訪客数を比べると、20歳未満と20歳代の減少が見え、反対に 40歳代〜50歳代の増加が分かる。

コンビニは私もよく利用しているが、このニュースの記者が結論づけているような結果とはいささか違うと感じる。

データーのある1989年頃だが、この頃のコンビニの品揃えは現在の物と異なっており、どちらかというとミニスーパー的ではなかったか。

90年に入ってバブルが崩壊し、財布のヒモを絞られた人たちに今まであった弁当やおにぎりと言った内食でも外食でもない、買って帰って自宅や会社で食べるといった中食の品揃えに力を入れはじめ、家から一歩出た後は、コンビニがお客様の冷蔵庫として、食事からデザート、おやつや酒の肴まで提供する品揃えに転換したから、若年層だけでなく多くの年齢層に親しまれ、利用されるようになったのではないかと感じる。

若年層、特に20歳未満の減少が毎年定常的に減って来ている理由は何だろうか、とは言っても近年この2〜3年では利用者数は微増していたりするので、ここいら辺の数字で下げ止まりだろうか。

私は購入する商品の差があるのではと感じる、中高生あたりでは弁当などの食料よりも、お菓子やおやつ、漫画や雑誌などが中心で、毎日必ず利用する商品ではないように感ずる、飲料だと自販機でも済んでしまうだろう。

それに比べ中食としての食料を求める客は、パンやおにぎり、弁当やインスタント食品など比較できるアイテムが揃うコンビニは、毎日利用するお店なのではないだろうか。

世帯の家族構成が多い場合、コンビニで食料品を購入するよりも、スーパーで食材を購入し自宅で作る方が効率が高いが、子供たちが大きくなり家を出て行った後に残された夫婦二人だけでは、食べる分だけ買ってきた方が効率的でもある。

少子高齢化が進むのは簡単には止められないだろうし、地域社会の中心的な施設としてコンビニの求められる役割は、より強くなっていき、この表にはなかった50歳代よりも上の年齢層も主要購買者層として登場する日も近いのではないだろうか。




なるほど!と感じたキーワード。

今まで何度か情報の流通量が、この数年間で天文学的とも言われるほど増えたから、お店や企業はステークホルダーとのコミュニケーションをいっそう深めるためにも、企業戦略には広報という考え方が重要になってきたと書いてきましたが、なぜ情報量が増えた結果として、コミュニケーションを深めなければいけないのか、感覚としては理解して活動していましたが、それは決して目的ではなく手段としての方便で、顧客に対して嘘をつくなとか順法精神を大切にしろとか、要は企業経営に対してコンプライアンスやコーポレートガバナンスという考え方が大事で、企業経営に反映され活動していても、本質的な目的を明文化して「これこれこうだから必要なのだ」という明確な言葉として理由を持てずにいました。

先日たまたま目にした神戸女学院大学教授の内田樹さんのブログでなるほどな、と手を打つキーワードがありましたので、紹介させていただきます。

人間って動物は群れの中で生活する動物だから、仲間はずれにされる事を嫌う。この事から所属する社会(グループ)の中で悪とされる事は避けて通り、誉められる事を進んで行う傾向がある。つまりその商品を購入する事で罪悪感を感じる商品は売れず、購入する事が善行と感じられる商品が売れる事になると言う「ギルティーフリー」のマーケティング。

この社会(グループ)は、求めているコンシュマー層なので、年齢や嗜好によって変化するターゲット層によっては善と悪は反転するかもしれませんので、百のターゲット層があれば百の答えがあり、けして答えは一つではありません。具体的に言うと環境に対して負荷の低い商品であるとか、健康に被害をもたらす素材を使わない体に優しい商品であるとか、貧しい国の労働者から搾取するような形で商品を輸入しない、フェアトレードの商品であるなど、社会的に見て認められる物なのか、認められない物なのかの判断による物です。

この内田さんのブログでは「ギルティーフリー」と「サスティナブル」マーケティングを紹介していますが、現在「サスティナブル」に関しては「ギルティーフリー」と言う考え方の一つに含まれていると考えて差し支えないと思いますので、ステークホルダーに対しコミュニケーションをとる目的は、我が社の商品・サービスの全ては「ギルティーフリー」である。と言う事を伝えるために活動することですが、分かり易くコンプライアンスやコーポレートガバナンスと言った方が「企業として必要な事」として理解されやすいと思います。

商品に関する広告は今まで、テレビや新聞と言ったメディアに掲載する事で成り立ってきましたが、長く続ける事はけして安くない媒体料金が掛かるという事と、見る人に飽きられるという観点から、鮮やかな印象を短期間で与えるということに力点が置かれて来ました。

しかし広報(PR)による「ギルティーフリー」で良い企業というイメージを伝えるのは、短期間で行う物ではなく、体質改善のように規則正しい生活から健康な体が生まれると言うような、長い時間を掛けてのイメージの構築のほうが必要で適切な方法と感じます。

この様な目的に合うメディアはWebを中心に、なるべく多くの情報を開示していく事が必要で、製品や使う素材の安全性を説明したり、同じタイプで比較して製品の優秀性をアピールしたり、表面的な印象だけでなく、深く理解してもらうために機能の説明をしたりしています。

比較的規模の小さい企業では、親近感を伝える目的もあると思いますが、担当者や管理者、または社長のブログなどリンクされていて覗いてみたりしますが、お世辞にも読んで面白いと感じるブログは少なく、苦労して素材を探して書いているにもかかわらず、本当にこのブログがイメージアップに繋がるのだろうかと感じる物も少なくありません。

そんな時はひとつ、自社の製品でも企業体質でも管理者の考え方でも、社会に対し我が社は「ギルティーフリー」であると言う切り口でブログを書いてみてはいかがでしょうか、きっと社長の苦労話よりはイメージアップに繋がると思うのですが、いかがでしょうか。




久しぶりに「文字の力」を感じたコピーに出会った

一昔前に「コピーライターの時代」とか言われ、糸井さんとか仲畑さんとか、広告制作のコピーライターがずいぶんともて囃された時がありました。その頃スタープレーヤーと言われたコピーライターたちの仕事は、キャッチコピー一行100万円なんて事もまことしやかに伝わっていましたが、クリエイティブディレクターとして広告全体をディレクションすれば、そんな金額もあながち嘘ではなかったと思います。

そんな時代から現在ではWebという情報流通の環境が変わり、流通量が大きく変化するにつれ、文字という情報の単価が低くなったのか、広告のコピーを含め、見る人にメッセージを残すようなインパクトの強い広告が少なくなったと感じていました。

中吊り広告

でも、今日乗った東海道線で読売新聞の中吊り広告を見て、久しぶりに良い広告だと感じた。

ビジュアルは一人寂しく座る教室の写真に、少し長めのコピーが付く。




ひとの心を傷つけて

喜ぶ心さびしき者に

聞く耳はなかろうから、

中傷された君に言う。

蠅たちの集まりでは、

蝶も「キモイ」と

陰口をたたかれるだろう。

心ない者たちのうちにも

自分と同じ美しさを探しつつ、

君はひとり、

大人になればいい。




多分コピーライターが書いた物ではないのだろうが、見る人に元気を与えてくれる応援歌のように聞こえる。もちろん子供が出てきて「いじめ」の問題を扱っていることはよく分かるが、この広告はその当事者である子供たちに対して直接語りかけるメッセージではない。読売新聞という一企業が新聞という商品のイメージアップを狙って出した広告だ。

情報を発信するメディアとして、社会の事象をどのように受け取り、それをどのように社会に伝えていくか、オピニオンリーダーとして共感され、認められる事をしているのかという、自分の力を社会に問いただす広告でもあると思う。

けしてお金も掛かってはいない地味とも言える広告だが、もしこの広告がシリーズ広告だとしたら次はどんな切り口で持ってくるのだろうか、興味津々です。




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