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何が求められてゆくでしょうか

エネルギーがたりないっ!!

 石油の話しではない、お腹が空いて力がでない〜、でもない。現在の日本にである。POPEYEやHOTDOGと言った物欲雑誌と共に青春時代を送った自分としては、飢餓感にも似た新商品へのあこがれが無くなってしまったようで、非常に寂しい。

 時計や鞄、ブランドものの服だって苦労せずにすぐに買える。大体の物はもうすでに家にある、機能としては今ある物でほぼ間に合っている。新しい物を冒険して買うつもりもない、壊れたら同じような物を買えばいい。・・・なんだか、もう消費することに疲れてしまったかのようだ。

 なぜ以前はあんなに新しい商品を紹介されると、ワクワクしたのだろうか。ただ単に若くって無知だっただけなのか。いや、それ以上に知らない世界を夢見させてくれる、好奇心を満足させる何かがあったように感じる。好奇心はキーワードを検索窓に入力し、ググってしまえば満足できるからなのだろうか。

 商品開発での苦労話や蘊蓄は、プロジェクトXでの恣意的な報道で、話半分としか見てもらえなくなったためなのか、ユーザー側にも商品の本質を知ろうという要求が減り、デザインや色遣いで差別化を図ろうという商品が多くなった。
・・・どこかに落ちていませんか、ワクワク・ドキドキさせてくれるエネルギーを持った「好奇心」が。




日本のこれから進む道

トヨタ自動車やホンダ、SONYなど、日本を代表とする製造業が円高の影響で収益が下がり、この先日本経済はどうなってしまうのか、誰もがこれからの生活に不安を感じていると思います。現実にボーナスが減額されていたり、契約社員が解雇されたりと、社会的不安要因は沢山あります。

今回の金融危機の原因となりましたが、いままで世界のリーダーとして君臨していたアメリカの製造業と比べるとどうなのか、今回の世界同時不況以前にも、アメリカ大企業の経営者と、平均的な労働者との賃金格差が約400倍になっていて、これほどの差が出ているのには疑問に感じていました。

それと株主資本主義とでも言いますか、利益の上がったもの全て株主に還元せよ、と言う「会社は株主のもの」の考え方にも同じように「良いのか?それで本当に」という疑問を感じていましたが、そのアメリカの後を追従する形で成長してきた日本の製造業は、いままでと変わらずに進んでしまっても良いものでしょうか。

現在ビッグ3の救済案が取りざたされていますが、日本や欧州メーカに比べ、環境への意識はまだまだ低いように感じますし、本来蓄電池やモーターなどの他業界のメーカーを含めた、全産業上げてのプロジェクトなのでしょうが、ビッグ3の対応は自社で仕切った開発をするのではなく、他メーカーが作り上げた製品を組み入れ、パソコンのように組み立てメーカーを目指している感じもします。確かにそのような製品を作ることで生き残るメーカーもあるでしょうが、企業には蓄積される技術はなくなってしまいます。

日本は本来資源の少ない、国土も狭く、人口密度の高い、どちらかと言うと暮らしてゆくにはハードルの多い、問題解決国家です。公害を始め環境問題、水の問題、エネルギー問題、農地などの農業問題等さまざまな問題を一つずつ解決してきた実績があります。これらは全て循環型社会を目指そうという、世界各国が求めている技術でもあります、やはり日本はさまざまな技術で成り立つ国家として有るべきなのかも知れません。

現在世界各国が目指す循環型社会ですが、百数十年前の日本は、文化溢れる成熟した循環型社会として成立していたことも忘れてはいけないと思います。




技術革新か改革か? 求められるイノベーションは何だ

スマートmhd

先日メルセデス・ベンツ日本がアイドリングストップ機構採用の「スマート・フォーツーmhd」を、12月に発売すると発表しました。この「mhd」とはマイクロ・ハイブリッド・ドライブの略で、現在トヨタ自動車やホンダで発売している、ガソリンエンジンをモーターでアシストするハイブリッドとは一線を画しています。どのようなハイブリッドかと申しますと、アイドリングストップ。

なんだベンツが創るハイブリッドだから、もっと驚くような技術てんこ盛りかと思いきや、頻繁なエンジン始動に強いバッテリーと、アイドリングストップ機構を制御するコンピューターで成り立っているものです。厳密に言いますと電気を効率よく作るオルタネーターと、スターターモータも違うそうですが。

いま日本でハイブリッド車と言えばトヨタ自動車のプリウスを思い浮かべますが、こちらの機能としては、ガソリンエンジンでは効率の悪い領域をモーターでアシストし、クルマ全体としてエネルギー効率を高くしようと、ブレーキング時に運動エネルギーを電気エネルギーに回生する装置もあり、非常によく考えられた、開発に時間もお金もかかっている製品です。

一台の車としての10・15モード燃費の効率はどうかと、比較してみると。
スマート・フォーツーmhd:23.0km/リッター
トヨタ自動車「プリウス」:35.5km/リッター

やはり根本から効率を重視して開発してきた「プリウス」にはかないませんが、軽自動車の多くが21〜23km/リッターの燃費ですから、高速道路での高負荷走行を考えた欧州車としては、かなり立派な数字です。しかし技術を一から開発した「プリウス」と、既存技術を集め製品にした「スマート」では、回収すべき開発費は天地ほどの違いがあるでしょうし、従来モデルからの加算される値上げ幅も少なくてすみます。

因みに「スマート」の従来のモデルから、どの程度効率化が進んだかは、 10・15モード燃費は従来の18.6km/リッターから約24%向上して23.0km/リッター、との事です。中長期な観点からすれば、現在の技術をブレークスルーしていく新しい技術開発は必要です。しかし自社に技術の蓄積がない場合でも、使い慣れた技術を組み合わせる事で、社会のニーズにあった商品を開発する事は可能です。

昨日のコラムにも書いたように、全ての利益を株主に還元ではなく、技術開発への投資をした上でイノベーションは継続的に続けて行くにしても、マーケティングの視点から既存技術を使った、新しい商品を開発する事も企業として考えなくてはいけません、脳みそにもっと働いてもらいましょう。




自動車製造業の未来は・・・

1980年半ば頃まで、世界各国の自動車会社は一台の自動車を作るのに、エンジンから足回り、電装系まで一部例外はあったにせよ、ほとんどのパーツを内製していました。これはパソコンなんかも同じですね、CPUからメモリー、記憶装置まで一台の全てを一つのメーカーで作っていた事もありました。

一つのメーカーでデザインや仕様を決め、社内で全てのパーツを作り組み立てる。そんな垂直思考的な社会がそこにはありました、と言うかエンジンの周りの補器の位置や、それに伴うスペースから導き出される足回りの設計など、そのパーツ一つずつを擦り合わせして行きながらでないと、一台の完成度の高い車として製品化出来なかったのかもしれません。

だからか海外メーカーの車には、電装系が弱いとか、ミッションのシンクロがすぐに逝かれるとか、いわゆる都市伝説的な噂も上がる事がありました。これは全てドメスティックな環境で一台の車を作る、一種のローカルルールがまかり通っていたからでしょう。

オートバイでも同じような事がありました、メーカーで付けてくるパーツは品質が悪いし、整備で交換してもすぐに壊れるから国産の部品に交換しました。などなど枚挙にいとまがありません、これなどはローカルルールで作った部品を整備するのにも、ローカルルールが必要だっただけで、そこを踏まえて整備すれば、それほど頻繁に壊れる事もなかったのです。

それだからか、そこに気がつき整備するメカニックに仕事を頼むと、壊れにくい車やバイクが出来たわけで、このメーカーの車は○○に頼むと良い、など専門化・専業化していったわけですね。

これからの製造業は、どんな製品を作るようになるのでしょうか。やはりPCのように、CPUやメモリー、基盤からハードディスクと言った記憶装置まで、専業メーカーで作ったパーツを集め、水平分業されたパーツで出来た一つの製品にしていくのが主流になってくるのでしょうか。

車などは環境対策というキーワードが言われ続けてはいますが、いまだに内燃機関であるガソリンエンジンに変わる動力源がない事から、他メーカーとの差別化を必要とするプレミアムブランドでは、エンジンとボディを自社で作るのはしばらく続くのでしようが、コンシュマー向けのベーシックモデル向けのエンジンなどは、モジュール化され様々なメーカーで使われてくると思います。

特にこの先、燃料電池や電気自動車などが出てくると、設計の自由度が増し、パーツのモジュール化もしやすくなるので、この流れは一層加速するかもしれません。その内に現在のPCのように、パーツを指定して一台のお気に入りを作り上げるような車が出来るかもしれません、チューンナップも専門雑誌の広告に「モーターを東芝製・新幹線と同じモーターでトルクアップ」なんてコピーが踊る日が来るかもしれませんね。




shi(f)t happens

アメリカ発の金融危機、輸出バブルの崩壊、それに伴う派遣労働者の就労問題、再び懸念されているデフレスパイラルへの不安、日本社会は大きな変化のまっただ中にいます。

社会環境が変化する事で、コンシュマーの購買意欲も変化し、今までと同じ手法では商品が売れなくなって来ています。

こんな時、社員を牽引する立場のリーダーとして、何をしたらよいのでしょうか。

吹き荒れる嵐が通り過ぎるまで、膝を抱えてジッとしている事でしょうか、それとも安全な場所へ移れる可能性が有れば、リスクを背負って新天地を目差すべきか。

環境が大きく変化しているのに、膝を抱えて環境が元に戻るのを待っていては、滅びるのを毎日眺めて暮らすようなものです。

本当に身動きが取れなくなってしまう前に、変化の予兆を掴んだら、先ずは何が出来るのか、売り物はなんなのか自分を正確に判断する事、次に変化した環境を掴み、その環境に適合できるように自らを変化させる事。

文字にするだけならばとても簡単なんですが、実際にやれと言われると、今ひとつ決断出来ないかもしれません。
ただ言えることは、この社会の変化に“誰も”対応したことがないこと。
誰もが正確な答えなんて持っていません、こんな時代のリーダーは「わからないからやってみよう」で、リスクを背負える能力が必要だと思います。

shift happens=変化(転位)が起きると訳されますが、shiftのfを取っちゃうとshit=くそです、きたなくてすみません。
スラングとしてshit happens=クソみたいなことが起きる(た)と解釈されていますが、こんな変化の時代は、進んで便所掃除が出来る(ような)人が、リーダーに向いているのではないですかね。

汚れ役を進んでするという意味ではなく、やらなければいけないことを前向きに進んで出来る人が、こんな時代に求められている、リーダーの資質ではないでしょうか。




事業効率を上げる労働生産性の向上と言う概念

巷では無駄なエネルギーを省く、省エネグッズが売れているそうだ、食品を包む使い捨てのラップの変わりにシリコンを使った繰り返し使えるフィルムや、ドライヤーを使わずに髪の毛を乾かすことの出来るキャップ、繰り返し使える充電型電池など。

社会生活の中でも無駄な物を押さえ、効率よく生活しようとの気持ちの表れからでしょう。

あなたの抱えている仕事は、どの程度の収益を上げ、どの程度の時間拘束で達成しているかご存じですか。
つまり個人で時間どの程度の収益を上げていますか。
また現実の収入は時給いくらぐらいありますか。

仕事に関しても企業の経営側の人間だけでなく、働く社員一人一人が自分の仕事効率を考え、改善を加えて行く必要もあるのでしょう。

OECD 対日経済審査報告書2008年版では、サービス部門に関して、日本は米国に比べ労働生産性水準は30%低いと言われています。

この労働生産性の低さから、非正規雇用が増えた原因の一つでもあると考えられるのですが、私のいるデザイン業界でも慣習で行うことが、とても無駄になっている事がまだまだ沢山あるように感じられます。

一つ一つの業務を改善し、効率を良くすることが出来れば、業務の時間短縮など仕事に携わる全員の利益になります。
慣例を変えるのは無駄と頭では解ってはいるのでしょうが、変えられない物の一つですが、現状を打破し前進するためには必要なことです。

媒体のプライオリティーの変化から、仕事の内容もずいぶんと変化してきた気がします。
以前は営業にマーケティング・媒体・アートディレクター・クリエイティブディレクター・デザイナー・コピーライターなどの職種に別れ、仕事をしてきましたが、これらの職種・職域も変わっていくかも知れません。




景気が悪いのと、あなたがしょぼくれているのは別の話

しょぼくれた顔などと、人様の事を言えた義理ではありませんが、テレビニュースやバラエティー番組、雑誌や新聞など読んでみると、元気な人も暗くなるほど不景気の大合唱。

別の希望を抱かせる話題は、他国の大統領が就任したことを伝えるニュースぐらい。わが国は、と言えば首相の漢字力に疑問を唱えるぐらいしかできないのか、何とも情けないような。

確かに景気は悪いと感じますし、この先行きの見えない、時代への閉塞感すら感じます。

年末の非正規雇用の方達の扱いには疑問も感じますが、天下りで外郭団体の理事の職に就き、仕事もあまりせずに企業にしがみついているくせに、高給を貰っていることにも疑問を感じています。

雇用規制強化も、ヘタをしたら仕事自体がより安くできる海外へ持って行かれてお終い。で結局派遣労働者の救済には繋がらないという気もします。

こうやって自分でコラムを書いていても、暗いことしか思いつかないんですが、小さな有限会社で仕事し始め、もう15年経ちます。

事務所には時々作品見てください、と新人のイラストレーターさんやデザイナーさんがいらっしゃいますが、一緒に仕事したいと感じるのは元気で前向きな感じの人ばかり。

会社の業績が伸びず、営業しても仕事まで行き着けず「どうすれば・・・」と考えるのは当たり前なのでしょうが、せめてお客様の前では元気で明るくが原則です。

景気が悪いと、不景気な顔で仕事を取りに行っても、誰もくれませんよ。

役者さんの営業マンじゃありませんから、仕事をお願いして我が社も元気に、なんて夢など見せてはくれないでしょうが、せめて一緒に仕事して楽しい雰囲気はほしいですね、どんな仕事であっても。




進んで便所掃除出来る人

私ごとではありますが、家族構成は女房一人に子ども三人です。
かみさんは地域の基幹病院の副院長をしており、まぁ忙しく仕事しています。
当然家事は夫婦で分担して行っていますが、平日の食事の支度はかみさんの仕事で、掃除・洗濯は私の仕事と、暗黙のうちに役割が分担されています。
この様に大まかに仕事を分担して家事をこなしていますが、見ないふりをすれば見過ごしても体制に影響がない「誰の仕事でもない仕事」、お互いの仕事の隙間にあるような「トイレの掃除」が発生したりします。

本職はグラフィックデザイナーとして数十年仕事をしてきましたが、同じように「自分の仕事」「あなたの仕事」と「誰のものでもない仕事」があります。
「誰のものでもない仕事」はもちろん私の仕事ではありませんから、片付けなくても誰からも攻められるわけではありません。
この「誰のものでもない仕事」もほったらかしにしていると、「誰かがやらないと片付かない仕事」に成長して行き、その内に仕事全体を脅かす存在になってゆきます。

周りで一緒に仕事をしていく人たちの中で「仕事が出来るな」と感じるスタッフがいますが、たいていこの「誰かがやらないと片付かない仕事」を自らの仕事として進んで処理している人です。
最初に「便所汚いな」と汚れを見つけてしまった人が、掃除をする。
「自分の仕事」じゃない仕事も「自分の仕事」として手を動かす人ばかりだと、もう少しマシな社会になると感じるのですが。

しかし大きな組織の中には、色々な人が当然のように「出来るだけ自分の仕事を軽減することが労働者としての当然の権利である」と、いつの時代だよと言いたくなるような思考の人がいます。
技術を取得すれば、組織に依存しないでサッサと独立してしまう、デザイン業界には余りいない人たちですが、大きな組織で働く人の中には、この様な考え方を持つ人たちが沢山いるようです。

でも企業として成り立っていくためには、環境の変化に追従できる組織の柔軟性が求められます。
そんな企業を牽引していくのは「汚れを見つけてしまった人が、掃除をする」という人材だと感じますが、みなさんいかがでしょうか。




人類のシナリオ 1

人間の食べるもの、米とか麦とか豚とか牛とか・・・、豚や牛の飼料も麦や大豆、トウモロコシなど農作物から出来ていますので、農地と水が必要です。
農地や肥料・農作物の改良、で現在よりも収穫率がもう少しだけ上げられると予想されていますが、地球上の水の総量から農業に回せる量を見ると、地球が養っていける人口は約78億人。
現在アメリカの国で食べている食事を世界中に振る舞おうとしたら、記憶では確か40億人だったかな?
日本と同じにすると、これまた確か50億人だったと思う。

現在というか2008年5月1日で世界人口は66億6000万人、偉い先生達の予想では2025年に79億人にになると言う。

食べ物がない人たちは身近な自然を刈り取り、森を食べ尽くす。
ICPPの予測では、温暖化ガスの影響で、今世紀末までに平均気温が6.5℃上昇するとしている。
もちろん海水温度にも大きく影響するが、水温が2℃上がると水中の珊瑚は死滅し白化する。
大気中のCO2を取り込むのは、森と同じように珊瑚も大きな役割を果たしている。
森と珊瑚のCO2の吸収量が減るため、温暖化は加速する。

海水は温度が下がることで、水の質量が重くなり表層から深層へ流れ、上下に流れる海流になり、深海へ酸素を運ぶ。
水温4℃で質量が一番重くなるのだが、水温が上がることでこの海流が停まり、酸素が供給されずに海の生物は死滅し、水産物は取れなくなる。


エ〜、人類のこれからの予定をお知らせします。

残念ながら2025年から人類は滅亡のシナリオに入り、2050年頃に滅亡は確実となるでしょう。
私なんかはその頃には棺桶に片足突っこんでいるか、土の中にいる頃でしょうから、気楽な物ですが、心残りがあるとすれば自分の子供たちに手渡せる未来を、環境を残してあげられなかったこと。

残念です。

言っておくけど、これはフィクションではありません。
成長の限界とか、色々とコラムにも書きましたが、研究者達にもまだまだ色々な説があり、世界の季候は寒冷化のサイクルに入った、との報告もあります。
メディアでも数字を上げられないのでしょうが、現在約40年前に書かれた「成長の限界」に近い地球環境になっていることから、何もしないとこのシナリオ通りに進むだろうと。

シナリオの変更を希望する方は、今すぐ循環型社会へ積極的にスイッチしましょう。
現在我が家で暖房は15℃まで、事務所では点けませんので、隣の○野くんは恨めしい目で人の顔を見ています。

『クリーンなエネルギー』だとか、『エコ』だとか、言う奴バッカじゃないのなど、現在の地球の状況を知らずに脳天気でお気楽なあなた達、少しは心配したら、自分の子どものためにも。




人類のシナリオ 2

前回の話で終わっちゃうと、夢も希望もなくなんだか悲しくなるので、ぢゃどうすんのョ、であるが。
2025年のシナリオのスタートを伸ばすしかない。
希望はあるのか、と聞かれたら「可能性はある」、世界が協調すれば何とかなるかもしれないのである。
一応人類には、実際にオゾン層破壊を水際で引き戻した実績もある。

何が必要かと考えれば、やはり循環型エネルギー利用の現実化だろう、原子力は処理できない核廃棄物が出る限り現実的ではない。
現実的な物は太陽光と風力の二つ、現実的とは発電した電気に対するコスト。
理想を並べても、現在電力会社に支払う金額から大きくかけ離れていては、現実味のある話にはならない。
ただし両方ともデメリットはある、単純に考えても太陽光は夜は発電できない、風力も風がなければ発電できない。

それと効率の問題、現在の発電所のように大型プラントは必要なく、地域単位、個人単位で出来るだろう。
もちろん1種類で考える必要はなく、様々なデバイスの複合型を考えるべきで、現在すでに個人住宅向けのコ・ジェネレーションシステムが、東京ガスから発売されている。
要は水素自動車と同じ、スタックを使い天然ガスから電気に変換する装置で、余熱でお湯も沸く。

風力は、世界各地で盛んだが、日本では実は非常に効率が悪い。
風の向きが一定していないからなのであるが、企業が出資して事業として採算が合うのは今のところこれだけである。
採算が合うと言っても、補助金ありきではあるが、日本国内でこの事業を行うには、開発というイニシャルコストがかかりすぎ疑問である。
あるとすれば、海上で大規模なウインドファーム(以下WF)を運用することぐらいだろうか。
現在計画中の物は建設を急ぐためか、自治体の許認可が非常にゆるい。
通常この様なプラント建設には、環境アセスメントを作り、議論した後でないと建設できないのである。
その内に社会問題化するであろう。

現在の産業活動では、石油という化石燃料を念頭にした社会資本が沢山ある、新しいエネルギーと言ってもまた新にインフラを整備し直すのは現実的ではない。
海上での大規模なWFには大きなメリットがある、風力で発電した電力で、海水から水素を作りタンカーで運ぶ。
現在、経済産業省がすでに燃料電池自動車と水素ステーションの実用化を目指し、研究・活動を行っており、関東エリアには9つの水素ステーションが稼働中だ。
水素ステーションの中には、水から水素へと作り替える実証実験がもう始まっている。(水からだけではなく石油や天然ガスからも実証実験中)

人口爆発が起こりそうな(起こっている?)インドや、アフリカなどの地域での教育は出生率を上げないためにも各国の協力が必要だろう。

環境問題と一言で言っても、温暖化ガスの排出から、人口や食の問題など農業から水産業、教育・宗教・経済など非常に範囲が広い。
特に書かなかったけど、宗教と経済の問題は大きい。
近所の家で一月も早く梅の花が咲いたのをきっかけに、こんな所まで書いてしまった。

・・・少しずつではあるが、循環型社会に変化しつつある、カウントダウンの数字が停まってくれると良いのだが。




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