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差別化の為のブランディング

選ばれるために

商品だってお店だって映画俳優だって、コンテンツにしても人に選ばれて初めて商売が成り立ちます。

恋愛なんかでも気になる選んだ人をよく知りたい、理解したいと言う所からスタートしますよね。

商品として選ばれる理由は、値段?デザイン?素材?メーカー?ブランド? さまざまな条件で商品を選ばれていると思います。中でもブランドを理由に選ばれる方は「そのブランドの商品でないとダメ」と言った非常に強い志向性を持っています。

なぜブランドにはこのように「とことん気に入ってもらえる」強い志向性が出来るのでしょうか。

商品であるブランドと同じように、美術や音楽と言った芸術家個人にも強く惹かれる「個人ブランド」という面があります、作家の村上春樹さんはデビュー当時、千駄ヶ谷でジャズ喫茶(夜はバー)『ピーター・キャット』というお店をやられていましたが『走ることについて語るときに僕の語ること』の本の中で、お店の経営と作家としての活動の基本的なポリシーは変わらないと書いています。



「『みんなにいい顔はできない』、平たく言えばそういうことになる。
店を経営しているときもだいたい同じような方針でやっていた。店にはたくさんの客がやってくる。その十人に一人が『なかなか良い店だな。気に入った。また来よう』と思ってくれればそれでいい。十人のうち一人がリピーターになってくれれば、経営は成り立っていく。逆に言えば、十人のうち九人に気に入ってもらえなくても、べつにかまわないわけだ。そう考えると気が楽になる。しかしその『一人』には確実に、とことん気に入ってもらう必要がある。そしてそのためには経営者は、明確な姿勢と哲学のようなものを旗じるしとして掲げ、それを辛抱強く、風雨に耐えて維持していかなくてはならない。それが店の経営から身をもって学んだことだった。」



「とことん気に入ってもらえる」お店と作家という、社会の中ではけして普遍的ではない特徴を持ったお店と職業のブランディングポリシーその物と感じます。

つまり誰もが理解出来る当たり障りのない、読み終わった後、何が書いてあったかすぐに忘れ去られてしまう文章よりも、クセがあるかもしれないが自分の信念やポリシーを表明し、読み終わった後、心に何かしら残る文章が「とことん気に入ってもらえる」為に必要な事なのでしょう。

ただそのために気に入ってもらえない九人からは、「独善的だ」とか「利己的だ」とか文句が出たり、風当たりも強い時もあるのでしょうが、それに耐え維持していかなければブランドにはならない、プライドと痩せ我慢の先にあるものなのかもしれません。




All About ProFileを辞めました。

昨年の6月から参加し、130のコラムと28の Q & A に答えて参りましたが、5月一杯で契約を更新せず退会しました。一番大きな理由としては「専門家」として登録している方達の質の低下を感じた事。

Web環境が整った今、サイトを通じて B to B のマッチングを行う会社がいくつかあります、このような形で仕事の依頼を行ったり受けたりをするには、写真やイラストなど成果物を購入するなどでは効率よく仕事をこなす事が出来るでしょうが、私が仕事としているデザインに関し、クライアントをよく知り信頼出来る関係でないと良いものは出来ないと感じております。

多くのマッチングサイトは、クォリティーよりも納期や金額優先と考えられる節が見え、参加する気も全くありませんでしたが、All Aboutさんはコラムや Q & A と言った内容を重視し、参加する者のブランディングとしては効果があると参加しました。

登録し参加する事にシステム利用料と言った費用も掛かります、現在登録している専門家の方達は908名おり、登録しているジャンルも複数登録されている方も多いと思います。

まぁ、言い換えてみればテナントを沢山集めたショッピングモールのようなモノでしょうか。

私としてはそこに行けばいろいろな業種の、沢山のお店を見る事が出来るよりも、個性的で特徴がある質の高い専門家の集合が、All Aboutさんの差別化というブランディングで、量より質と考えていました。

でも最近私の所属していた「ビジネスジャンル」の専門家の方達で、仕事に直接関係ない話題のコラムや、ランチに何を食べたなど、どちらかと言うと下らないコラムを書く方も現れ、All Aboutさん自体がトイレのスリッパになったダンヒル、またはサンローラン的なブランドになっちゃったのか?。

ブランディングは求められれば何でも行う事ではなく、自分の立ち位置や考え方を表明し、それにそぐわない物は排除しなければ達成出来ません。

サーバー上のスペースを賃貸するだけで、年間2億円以上(予想)の売上があると、あまり細かい事は気にせず、沢山の店子を集めるというのも、企業としてはあながち間違いではないのでしょうが、企業のブランディングという視点からすると、やってはいけない事と感じます。




本能でブランディングを嗅ぎ分けている感じです

Gigazineの7/14の記事に【「小悪魔ageha」編集長にインタビュー、世の中には「かわいい」か「かわいくない」の2つしか無い】という中條寿子編集長へのインタビュー記事が載っていました。

最近は雑誌は余り読みませんし、ましてや女性誌に関しては性差の違いか、求める物の違いからか、銀行や病院の待合室に置いてあっても手に取る事はあまりなかったので、この「小悪魔ageha」という雑誌はせいぜい書店やコンビニで表紙を見た程度でした。

しかし、この編集長へのインタビュー記事を読んでみて、頭でっかちにブランディングを語る人たちの言葉と比べ、非常にシンプルで解りやすく、例えば本能で辿る道を選んでいるような明快さでブランディングを語っているようで、力強ささえ感じました。

実際に本としてはどうなのかと言えば、日本の代表的な女性誌のCanCamの34万6466部より下で、non・noの25万8648部より上の、公称30万部の発行部数を誇る雑誌だそうです。

詳しい詳細は実際に記事を読んでいただくとして、インタビューの中で気になった所をあげてみます。



書店売りしかない雑誌などは本屋さんに行って、すごく面白そうに感じた雑誌は買ってしまいますね。でも、最近は「これは伝説になるぞ、今のうちに買っておかないと!」って思うようなものはないですね。以前は伝説になりそうだなって思うものが結構ありましたけど。

伝説と思うものって、やってはいけないものだったり、完全に編集者が職人として作っているものが多いので、面白いものが多いんです。その代わりにクレームが多かったり広告が入らなかったりして、本として成り立たなくなるような場合が多いようです。だからなのか、最近ではそういった雑誌がなくなりましたね。



基本的に雑誌ってカルチャーやオピニオンと言われるような、興味を感じる・共感出来ると言った、読んでくれる読者をグイグイ引っ張っていくようなパワーが必要なんじゃないでしょうか、少なくとも十数年前のサブカルのリーダーと言われた雑誌にはそれがあったような気がします。

確かに以前と比べ流通している情報量は比べものにならないほど増えていて、その中でどう遊んで良いのか解らなくなっているような所があり、マーケティングとかマネージメントという点から効率化や、企業の窓口としてペイパブと言った形で本を切り売りし、買ってくれる読者の求める物が見えなくなっているのではないかと感じます。

これは雑誌を作る事だけに限った事ではなく、私たちが居る広告業界にしても、最近余り面白い広告が少なくなったと感じる所から、同じ所に原因があるのではないかと感じます。

また、以前このブログにエントリーした「選ばれるために」で引用した、作家の村上春樹さんが本の中で、お店の経営と作家としての活動の基本的なポリシーは変わらないとした文章と同じような事も言われています。



ageha:基本的には本当に読者が求めている事とか、共感できる事しか載せないのですが、得てしてそれって批判を産むこともあると思うんですよ。例えば深夜放送でやっていたことをゴールデンですると受け入れてもらえないみたいな。でも、わたしたちは自分たちの為に雑誌をつくっているのであって、正直agehaが狙っていない層の人に読んでもらわなくてもいいと思っているんです。けど、今はあまりにも広がりすぎていて、いろんな人が読んでいるじゃないですか。だから、わたしたちが感じた事を共感できない人とか面白半分で見ている人、「このメイクが変」だとか「この頭は何だ」という気持ちで見ている人からすると、不謹慎に見えたのかもしれません。

Gigazine:ここまでのインタビューで「読者目線」「わたしたちの求めているもの」という話しから今の話を聞くとなるほどと思いますね。

ageha:でも、それが分からない人にはわかってもらえなくてもいいと思っています。



この引用文はインタビューの最後の方に、雑誌で「飯島愛追悼ページ」について説明した文章ですが、全ての人に向かっていい顔は出来ない、私たちの求めている物はこれなんだ。と、雑誌が読者から求められている物を作り続け、「5万部にしてでもいいから、みんなで共感できるものをわたしは作りたいと思っています。」と締めくくっています。

しかしまさに手を挙げ表明するのがブランディングと言う事を、シンプルで的確に表現し、成功している事例だと感じます。




差別化

昨日は地元中学に通う長男と次男の文化祭、地元自治体のホールが老朽化のために取り壊されることになったので、中学生にでも使わせるかと文化祭をそのホールで、と言う事で今まで学校で行われていた文化祭をこの自治体のホールで行う事になった。

中学の文化祭なんてお化け屋敷や模擬店、体育館では軽音楽クラブがHit曲を演奏すると相場は決まっていたが、ホールで行う事で生徒が発表する物は各クラスの合唱コンクールだけとなった。いままで学校で行われていた文化祭には一度も足を運んだことも無かった、来られても息子達は学校生活というプライベートを覗かれるようで恥ずかしいから、来るなよと言ってはいたが、わざわざ自転車を飛ばして見に行ってきた。

その内容については特に書くことはありませんが、自治体のお役所に隣接するホールと言うことで、地理的な場所として行政を始め近くには駅もあり、人も集まることから商業に関しても自治体を代表する場所であることは、多くの人も認めるところでしょう。

実はそんな地域だから文化祭での合唱を見るついでに、家の近所にあるスーパでは手に入れることの出来ない商品を手に入れるため、そのホールの近くにある大きなスーパーの食料品売り場で手に入れる事を目論んで行ったのである。

だいたい大手スーパーはマーケティングなどの理論的なマネージメントは長けており、お店の持つ商圏に居住する住民の生活者特性から商品構成をバイヤーが決める。だから住む場所を捜す時は、その場所の近くにあるスーパーの品揃えを見れば、そこに住む住民の世帯収入や家族構成、文化的レベルが見て取れる。

その店の食料品売り場の野菜売り場一つ見ても、生鮮の洋野菜やハーブ類を置いてあるか、加工したカット野菜やサラダ向けの野菜の品揃え、フルーツの売り方と品揃えがどんな物か、また総菜コーナーでの売り方や品揃えにしてもだいたい生活者は特定できる。

しかし、その店に探していた物はなかった。

歩いていける売り場面積も小さく、食品専用の近所のスーパーにはなかったが、少し足を伸ばして自転車で行く距離のスーパーにはある。そのスーパーと今回行ったスーパーの売り場面積はほとんど同じ、距離としてはまぁ5kmぐらい離れているか。一つは軒並み破綻した大手スーパーの中でも生き残る、コンビニ大手が店名に名前を連ねるスーパー、もう一つは隣接する都道府県に10店舗ぐらいの店舗を持つ、リテール商圏を対象にしたスーパー。

しかし品揃えからして一方のナショナルスーパーは個人的に落第である。食品売場の構成としてはスーパーの名前にも入っているコンビニの商品構成に生鮮三品など毛の生えた程度で、地域の生活者を特徴的に表す商品や、一部の人の求める限られた商品を切り捨てているところを見ると、店のバイヤーの意見よりも地域を統括するであろう、本社に近いバイヤーがマーチャンダイジングを決めていると考えられる。

反対に「この程度の品揃え」と私の居住する自治体に住む人たちの生活者特性が特定された事で、スーパーから見た居住者の程度が低く見積もられる事は、企業に対する信頼感さえ揺らぐ感じがする。

日々の生活に必要なだけの生活必需品だけなら競合店も多く、非常に狭い商圏になってしまう。この店に行けば(たぶん)求めている商品があるだろう、と思わせる事で集客すると商圏は広がる。

顧客の求める品揃えをする事が差別化の一つの要因ではあるが、潜在的に求める事をうまくつかむ事で、その差別化をより大きくする事が出来る。確かに揃えていても売れなければ売り上げ効率として悪くなるのは理解できるが、流通に関する理想や社会との関わり方と言った、企業の根幹とも言えるプリンシプルポリシーによっても変わるのだろう。

探していた商品が特別な料理に使う希少価値のある商品ではない、パルメジャーノチーズに加糖されていないコンデンスミルク(エバミルク)のたった二つである。




「松丸本舗」に流通業の未来を見た。

商品に対する意識が変わったのか、オフィスなどで使う文房具などは電話一本で購入出来る、安いカタログショッピングに移行してしまい、個人の文房具はおしゃれであるとか可愛いであるとか、文房具に求められる機能よりも付加価値を求められるからか、大型店舗に集約してしまい街中の、いわゆる文房具屋さんは殆ど見られなくなってしまいました。

多少の商品ならばスーパーやコンビニでも、無印良品のような生活雑貨のお店でも購入できますが、必要な時にすぐに手に入れなければならないときは非常に不便。

今は通勤途中のターミナルに「丸善」が有り、文具コーナーも広くとってあるので、本棚に並んだ本を眺めながら目的の文房具を購入したりしていました。昨年末から特設コーナーで「松丸本舗」と言う催し物があることは店内の告知にも有りましたので知ってはいましたが、どうせいつものいくつかの本棚を島状に並べただけの特設コーナーだと高を括って見に行ってはいませんでした。

ぜひリンク先の丸善のニュースリリースにある店内の写真を見てください、本当はそのスペース感を理解するためにその場の本棚の高さや通路の広さ、訴えかけるように並べられレイアウトされた本のボリューム感など、ただ本があると言うだけではなく一人のセグメントでより分けられ、積み重ねられた圧倒的な意志のようなものが感じられます。

そう、このショップ・イン・ショップを丸善と共にプロデュースした、松岡正剛さん個人の書斎に紛れ込んで、その知識の断片をのぞき見しているようなプライベートな感覚が感じられます。


先に書いた文房具もそうですが、定番と言われる商品に関しては、徹底的に効率化し、自宅にや事務所にいても配達してくれるようなシステムか、多くの商品を手にとり、比較購買出来るような大規模な店が生き残り、今までのようにただ商品を並べるだけの、コレといって特徴を出せなかったお店ではたまに消耗品が切れたお客さんが買いに来てくれるくらいな、活気に乏しいお店=やがて廃業が現在の状況なのでしょうか。

先週でしたか、有楽町の西武百貨店と、京都の阪急百貨店が店をたたむと言うニュースが入ってきました。百貨店と言う商売の仕方が、現在の社会に求められているものから離れてしまい、商構造のリストラクチャリングの時期に来ているのでしょう。普遍的品揃えは高効率化され、流通チャネルも別なものとして一つの流れが出来上がってきています。そんなチャネルに飛び込むか、コモディタイズされていない高付加価値を持った商品を扱うようにするのか、または「松丸本舗」のように一つ一つは普遍的な商品でも、バイヤーの意思統一されたストーリを買いながら楽しめる、エンターテインメントショッピングを深堀した売り方にするのか。

今後流通業が生き残っていくためにはこんなシナリオが考えられるのではと、あの本に囲まれるプライベート空間を思わせる居心地の良さを体感し、感じました。




考え方に煮詰まったら。

いやぁー、ずいぶんと久しぶりのブログだわ。こんなに開けてしまったのは初めてかもしれません。
言い訳としては、事務所の移転でバタバタとしていて時間が取れなかったことでしょうか。

バタバタとしていて何を書こうか頭に浮かばなかったのが正確なところでしようか。


久しぶりのブログネタとして、仕事で気がついたことですが、今お手伝いさせていただいているのが、飲食店の最適化と言うべきお仕事。本当ならばリニューアルと言う形でスタートするのが最善なのでしょうが、このご時世で投資額はなるべく抑えた形でやっていきたいとのこと。だから出来る所から少しづついいと思われる方向に軌道修正を加え、本来あるべき姿のお店にしていくというストーリー。

オーナーさんは外国人で、中で働く従業員もすべて外国人。当然、お店の舵取りをするオーナーさんの、生まれた環境や育った環境が日本とは全く違い、お客である日本人が求めるもの、避けているものが判らない。オーナーが狙っているのは、日本食で言えば寿司や天ぷらのような専門店の料理を、居酒屋的なカジュアルさで提供すること。お店で出している料理を幾つかいただきましたが、たしかに非常に美味しい料理で、メニューを見ても値ごろ感を感じる、どちらかというと安いと感じさせる品揃えでした。

もともとの話として、人づてに店内のメニューの改訂を頼まれたことがキッカケですが、こんな感じにしたいと要望を聞きながら打合せしていると、オーナーがこんなお店にしたいと狙っているものと、現実のお店にたくさんのギャップがみえてきたことでいくつかの修正点を提案をさせていただき、それが認められて全体的にお手伝いをさせて頂く事になりました。

まず気がついたのはお店のファサードにつけてあるお店の顔にもなっているテント屋根、普通このようなテント屋根には「この店はこう言う店です」と、〇〇料理の店とか居酒屋とかサービス内容を誰が見てもわかりやすいものにするところが、スペイン料理を地中海料理と宣言しているような少し的を外した表現。それと料理のバリエーションを紹介するのにドアを除くファサード一面に貼られた料理の写真。店内はテーブルを照らすスポットライト中心の照明で、部屋全体は少し暗い感じ。バーやクラブなどの飲み屋さんみたいに落ち着ける雰囲気を狙ったのだろうが、この雰囲気がカジュアルな気軽な雰囲気を大きくスポイルしている。

まず最初にやるのはテント屋根の表現方法の修正。店名をきちんと認識してもらうためにも店のロゴタイプを作成と、誰でもがわかるような店のカテゴリーをバランスよく入れる。

次は塞いでしまって中が見えないポスター・張り紙類の整理、店内が見通せて雰囲気が確認できなければ、通りすがりのお客さんは入ってこない。

店内の照明、全体的に明るくする必要は全くない。人は眼に入るものが明るく感じるかどうかで全体を判断するので、視線の高さにある部分を明るいクロスに貼り替えるか、壁を照らすウォールライトに替える。店内が暗く感じるから、あまり見られたくない厨房の中がカウンター越しによく見える。

お店の人が外人なので良くわからないから、必ず顔写真入りの名札を付けることと、初めて来てくださったお客さんに顔写真が入った名刺サイズの、Shopカードを渡して挨拶すること。そのカードには飲み物などのサービス券として使えるようにし、来店者から紹介受をけて持参してくれた方には、他のサービスと同等以上のサービスを約束すること。

最後はメニュー。印刷物としてのメニューを作り直すのは簡単だけど、品揃えとして何を食べたらいいのか判断がつかないお客さんに「取り敢えずウマイからこれだけは食べておけ」的なツマミとワインかビールの飲み物のセットを開発する必要がある。メニューの構成として目的を持って料理を食べに来るお客さんは、アラカルトでも解るのでページの後半にし、コース料理を見習ってサラダから始める必要はない。

とまぁ、こんなところでしょうか、なかなか思うように収益が上がらないと思って一人で悩んだり、色々な本を読んだりするのもいいのですが、他業種の人に話を聞くのも見方が変わって解決へのヒントが出てくるかもしれませんね、と言うお話でした。

でもなぁ、本当は近くにある大きな会社の従業員に向けて、通勤時間帯に駅でのチラシの配布を行うべきと言ったんだけれど、やるかな、あの店長。




売れないことを環境のせいにするな

どこに行ってもあまり景気のいい話を聞きませんが、個人事業主で飲食店をやっている方など、痛いほど景気の悪さを実感されているのではないでしょうか。我々デザイン制作など、サービスを提供しているところもご多分に漏れず、かなり厳しいんですけどね。

自宅の近所で飲食店を開く友人も、最近は一日の売上が ¥30,000に届かない日があるとよく嘆いているし、ここに住んでいる人たちは、あまり地元に食べにこないで近くにある繁華街に出てしまうからと、地域の特性に合わせて自分を変えようとする努力をせずに、環境が整っていないことに文句を言っているように感じます。とは言え頼まれればメニューを作りなおしてあげたり、色々と協力してはきましたけれど、先日友人のカメラマンと新年会をするのに、売上に協力出来ればとその友人の店で閉店近くまで呑んだくれましたが、客として接客受けてみて、なぜ売上が伸びていかないか理解できました。

来てもらったお客様に、来店していただき飲食して満足していただく、という気持が伝わってこない。

出された料理などはどこに出しても負けないくらい、美味しいものでした。でも料理を乗せられている皿一枚、ナイフやフォーク、グラスなどお客様の目に付く物自体も、料理の盛り付けも「満足してもらう」ための工夫と気持ちが感じられませんでした。ナショナルチェーンのお店などではそこいらへんを上手くマネジメントし、どのくらいの料金設定でどのレベルの料理を出せば満足と感じてくれるか、というデーターがある程度蓄積されているから数値化しやすく、損益分岐を冷静に判断し、投資という新しい店舗開発につなげているのでしょう。

そんなデータを持たない地域に根ざす料理店は、そこで長年生活した経験から、地域特性はこうだと感じた店長が創り上げた方針で営業していきます。そんな地元の料理店が、豊富な情報量から導きだされたマネジメントで、隙が見えないナショナルチェーンと戦い、勝機があるとしたら顧客満足度でしか無いように感じます。だって多くのナショナルチェーンで接客についているのは、商品知識のあまり高くないアルバイトの店員さんでしょ、反対に地域の料理店でしたらお客さんの好みと、仕入れた材料で満足してもらえる料理をアドリブでも出せたなら、自ずと顧客満足度に差が出てくるでてくると思います。

落ち着いた雰囲気で、美味しく食べていただき、呑んでいただく。けしてお腹がすいたからと、ファーストフードのように食べ物を早く口に運ぶだけではなく、満足したという気持ちを必ずもってもらう。一言で満足と言っても料理の味もありますし、値段もありますし、贅沢なスペースなど、一人ひとりの満足と感じるPOINTも違うということは理解しています。でも、ナショナルチェーンというブランドに立ち向かうためには、お店側で理想とするインテリアや、料理やその盛りつけ、接客など、自分の頭にある「お客様に愛される理想の店とはこういうもの」というポリシーを持ち、それを表現する事が専門店のブランド化です。それが出来なければ、お客様に愛され、盛り立ててくれることも出来ず、マネジメントに長けたナショナルチェーンとの差別化なんて出来ないと思います。




ブランディング以前にすることしてる?

これほどダイナミックに社会が変わる今だから、一番大切なのはPDCA(プラン・ドゥー・チェック・アクション)サイクルをいつも頭の片隅で意識していることだね。だって昔は蕎麦屋で出されるかけそば一つにしても、自宅じゃ作ること出来なかったけれどさ、今じゃスーパーに行けば麺でもつゆでも棚にいくらでも並んでいるし、カップ麺だって結構満足できるものがコンビニにも置いてある。

でも、具体的に何をしたらいいんだべ? って普通思うよな、頭でっかちの理論ばっかりも結構ですが、うちの会社に、店には何をしなけりゃいけないのよ。

やっぱりB to BでもB to Cでも「顧客が求めていることを阻害しないように」が基本だと思います。商品を買わない、店に来ない言い訳をつくらせない事を目標に、営業や店の方針を決めることが発展につながると信じています。

ひとつの例として、飲食店で最近売上が伸びないどころか下がっている。それじゃあと言う事で、単品の丼や食事だけでなく、夜はアルコールを提供し居酒屋風なメニューで売上アップを目指そう。ツマミや飲み物も工夫して一品の単価を抑え、仕事帰りのサラリーマンたちに愛されるお店にしよう。と考え、料理自体は他店と比べても美味しいと感じるし、提供の仕方などもあまり飾らない、料理中心の自宅で寛ぐ雰囲気づくりがお店としてのアピールポイントとして営業していこうと。

でも、こちらもあまり芳しい成績を残せないどころか、長時間の労働で営業する側にも疲れが出てきている。

お客さんとして、その地域ににいる潜在的な顧客を含め、あまり自宅の料理と変わらない「飾らない料理」で顧客は満足しているのでしょうか。おいしい料理と言ってもスーパーの惣菜コーナーで売っているのを、小鉢に移しただけと感じていたらお客さんは満足してくれているでしょうか。例えて言えばマクドナルドのバリューセットであっても、きちんとした接客用の皿に、できたてのハンバーガーとポテトを美味しそうに盛り付けたら、倍近い値段で提供しても顧客の満足は得られると思えるのですが、いかがでしょうか。

お腹すいたなぁ、仕事も終わったし少しだけお酒も飲んで、食事して、さてとどこの店に行こうか。と考えたときに、あそこのお店は安いし美味しいん「だけれど」、料理の盛りつけが小さな皿に山盛りよそるから、外で食べたってよりも、田舎のばあちゃんちで食べているような感じ。とか、アルバイトの店員で接客が悪くて、座っても注文取りに来ないんだよなぁ。とか、だったら店に行かないで家で食べるか。にならないよう、あそこの店は食べ物は美味いん「だけれど」って、店に行かな言い訳を与えないようPDCAのC(チェック)点を設定してみたらいかがでしょうか。

これはどうゆう顧客に来てもらいたい、というお店のブランディング以前の問題。うまい・安い・早いだけじゃ、それを売りにしているチェーン店にお客さんは行ってしまいますよ。というおはなし。




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