RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

退院

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 術中何かトラブルがあっても良いように、家族が控え室で待っていてくれていましたが、公共交通機関が終電を迎え帰れなくなるので、11時過ぎに断ってから帰路についたそうですが、ずいぶんと時間が掛かった物です。後から先生に聞くと、肘の粉砕骨折があまりにも細かく別れてしまっていたので、集めることができず、腸骨から骨移植したそうです。肩・肘・手首といっぺんには出来ませんから、それぞれが時間を必要としたのでしょう。

 病棟に戻ったと言っても、以前いた病室に戻ったわけではなく、手術後に容体が安定するまで集中治療室のような、安定室という部屋に2日間入り、術後の管理をしていただきましたが、3日目には元の病室に戻り、加えてリハビリが始まりました。関節のリハビリはとても痛く辛いと、風の噂には聞いていましたが、前の病院ではリハビリらしきトレーニングを一度もしませんでしたので、少しビビリながらのリハビリ開始です。

 右肩は支える靱帯も手術したのか、左右の肩の高さを保つことが出来ず、右に傾く格好で腕の重さを感じながら、上に挙げるトレーニングと、左手首は創外固定で動かないようガッチリ固定されていましたので、肘だけとりあえず少しずつ動かす程度でした。とは言え一週間も過ぎるとやることもなくなり、10日目には抜糸され、少しずつ不自由さから解放されて行き、手術から2週間過ぎた3月18日に退院しました。

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 事故ってケガしてから約1月後にはしゃばに出られた、と言う事でしょうか。大学病院から事務所までそれほど距離もありませんでしたので、タクシーでの帰りがけに事務所に寄り、みんなに挨拶してから帰宅しました。帰宅しても一人では食事も出来ませんし、左手首には創外固定の櫓が組んでありますので、一人では着替えも出来ないなど、家族には本当に世話になりました。

 とそんな状態でしたがお客さんに謝ったり、報告しなければいけませんし、翌日から事務所に出勤しました。電車での移動も手では体を支えられませんので、朝の通勤ラッシュが終わった頃、一番空いている車両を選びドアの近くに保たれながらの移動です。三角巾などで腕が悪いとアピールしても、シルバーシートに座る人に席を譲られたこともなく、しばらくは不自由を感じながらの移動でした。

 まず一番先にしたことは、電話を顔の近くで持つことが出来ませんので、携帯電話のマイクとイアフォンを近くのショップで購入し、お店の人にお願いしてセッティング・装着してもらい、事務所に着いてからも一度外すと自分では装着できませんのでそのまま。3月のまだ寒い時期でしたのでコートを着ていましたが、これも脱ぐと着ることが出来ないので着っぱなし。とは言えパソコンを起動しメールのチェックや、電話連絡などで手を使う事を時間をかけ積極的に行うと、人間の体は何とか動くようになるモンですね。

 退院した翌日の初出社で、損害保険会社から携帯に電話が掛かってきました。電話の向こうの担当は完璧に、まだ入院中で携帯電話は家族が持ち、本人が出るとは思っても見なかったようで「ケガの報告からは少なくとも3ヶ月は入院生活を強いられると予想していました」と、とてもビックリしていましたね。




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