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流行廃りは、人の気持ちの変化から

と言うか、自分の気持ちの変化と言ってもいいのかな、そこそこちゃんとした物が手軽に手に入れることが出来てくると、あまりこだわりが無くなってくるように感じる。例えばコーヒー、数年前までは朝事務所で最初にする儀式は、一杯のおいしいコーヒーを入れることから始まったけれど、最近は挽いた豆をドリップで煎れることも少なくなった。

それまでおいしいコーヒーを飲むためにはコーヒー専門店に行って、日替わりの豆で煎れるストレートサービスを飲むか、煎った豆を買ってきてドリップして飲むしかなかったが、最近は駅近くのスタンドにあるドトールや、スタバ。マクドナルドなどコーヒー店意外でもおいしいコーヒーを手軽に飲めるようになってきた。

そんなワンコインで手軽においしいコーヒーを飲めるようになったことで、コーヒーに持っていたこだわりはずいぶんと小さな物になった。マーケットとしてもこだわって購入してくれる人はまだまだいるのだろうが、デパ地下などでコーヒー豆の挽き売り専門店などが少なくなったことを見ると、ずいぶんと縮小してしまったように感じる。

そば屋なんてのもそうだろうな、鰹節などで出汁を取ってみりんと返しを入れてなど、ずいぶんと手間暇が掛かっためんつゆも、今じゃスーパーの醤油売り場の横に多くのスペースを使い、様々なブランドの製品が数多く並ぶ。それか和のファーストフードとしての立ち食いそば屋か。

昔の刑事物のドラマでよく見かけた、容疑者と刑事の取調室でのやりとりの中でも、容疑者に食べさせるのは近所のそば屋から出前を取ったカツ丼だったが、これからはどうなるのだ? 刑事がコンビニで買ってきたおにぎりとか、弁当やパンになるのか?。まさか給食センターが配達する弁当じゃないよね。

これらすべて、長い間訓練し作ることに慣れた職人にしか許されなかった職域だった。その職人しかできなかった物が、コモディティー化のおかげで手軽に手に入れることが出来るようになった事で、我々庶民もおいしい物を手軽に、安く手に入れることが出来るようになった訳だけれど、多くの職を失った人もいることも事実だ。

だからと言って今まで入手するのに大変な労力が必要だった物が、簡単に入手できるようになった事に反対している訳ではない。昔から人に求められる仕事は、社会の変化と共に輪廻を繰り返すように変わってきた。これからもその流れは続くだろうし、実際にデザインの世界ではすでに始まっているように感じる。

また、通信環境のインフラ整備がこれだけ進んでくると、物を売ることで利益を得るのではなく、そのサービスを提供することで利益を得る商売が多く出てくると思われる。たとえ士業として法律の下で成り立っている弁護士や、会計士もその例に違わないのではないだろうか。

今はソフトを作り販売する会社も、定期的にバージョンアップが必要なエクセルやワードと言ったソフトを販売するよりも、Googleの提供するドキュメントや、スプレッドシートのように、クラウドコンピューティングでサービスを提供してもらう方が、利用する側としては利便性が高い人もいるだろう。

会計事務所が月々所定の金額で顧問契約し、決算時にも別に決算料を徴収される顧問会計士という制度よりも、先生に定期的に訪問してもらわなくても、光熱費に近い安価な金額で Web上の帳簿を監査・アドバイスし、後は自動的に決算書類ができあがると言うような、簿記に近い物と経営コンサルティングに分化すれば、法人化していない商店など自営業者もサービスに乗るのではないか?。

まぁ、セキュリティーや監督官庁などいろいろな問題があるのは承知の上で、会計というサービスを一つの例として、社会から求められているであろうそんなサービスを新たに起こせば、新しい職域が生まれるのではないでしょうか。




Comments:2

virbius 2009/12/25 16:21
リウヂさん、なるほどー。コーヒーの世界は考えていたものよりずっと深いのですね。

やはりクリエイティブと言われる職に着く者は、趣味などで物の善し悪しを追求するトレーニングを積むから、実業でのクリエイティブに奥行きが出るのでしょう。
効率も必要でしょうが、それだけではモノは創れないのでしょうね。
リウヂ 2009/12/24 13:24
コーヒーは、90年代などにデパ地下で売っていたものは、はっきり言うと中級品でした。ほんとうの高級品の豆とは、あらかじめ焙煎された状態では売っていないし、大手が手掛けられるようなものではありません。なにしろ、流通量が少なく、供給が不安定で、価格も変動します。だから、こだわりのコーヒーというのは、そういう条件を理解し、むしろ楽しみながら、コーヒーをつくる人の手の中にしか存在しません。

僕は、昔、仙台に住んでいたとき、そういうマスターのいる喫茶店から、毎週、すこしづつ、「サンプル」をわけてもらい、マスターから蘊蓄を聞いていました。「大手の扱っているマンデリンは、みな黴臭いが、あれは豆のせいではなくて、大手が買いつけるような流通経路での保管がわるいからああなるんだ。俺が探し出してきた豆は違う。試しに飲んでみろよ」とか、「ブラジルの豆がつまらないのは、大手はブレンド用の安物を大量に買いつけているからだ。良い豆も探せばあるが、ほんの少しだけ高くつく。」というような感じの話が多かったです。ただ、僕自身は、毎日ファクスで流れてくる、業界用語あふれた情報を見て、自分の好みの豆のあてをつけて、サンプルを注文し、焙煎して味見をしてみようなんてことは、当時は無理でした。

しかし、インターネットの時代になって、少なくともアメリカでは、コーヒー焙煎の情報や、生豆の入手もしやすくなりました。私自身も、10年ほど前に自家製の焙煎機を3種類ほど考案し、今でも自家焙煎しています。店で売ってるものとは別物で代替がきかないからです。

そういう話を聞きつけてきた人から、「お前のコーヒーは凝ってるって話じゃないか。おもしれえ、俺にも少しわけてくれ」というような話をいただきます。しかし、日頃、飯や酒にこだわりがなく、鳥小屋の給食にカップ酒のようなものに慣れている方は、私のコーヒーは一口で吐き出してすぐにミルクを入れたりします。そういう人達は、醤油もキッコーマンだし、味噌も、梅干しも、みな、口当り優先の量産品が標準なのでしょう。

僕も、そういう、こだわりもなく、時計と財布を見ながらなんとか生存すべく行動しているような、メインストリームの、大衆消費者の目線で見ないと、売れるアイデアも出てこないのだろうと、平凡喫茶店のコーヒーとコンビニ食品、安い外食の生活を試したこともありますが、学んだことは、やっぱり自分で料理して、うまい酒を少し飲んで、朝はのんびり起きてこだわりのコーヒーの方が、結局は、金もかからんし、病気もしないし、アイデアが出てくるような気がしますね。
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