RISE weblog

RISE Productionアートディレクターの佐藤です、仕事上で感じた事からプライベートな事まで、こちらのブログに書いていこうと思います。

転院しました。

ランギロア・キアロアビレッジ

 今まで手が使えなくなるなんて事は、想像すらしていませんでした。入院して毎日三度の食事の時も、全て介護の方に口に運んで食べさせていただきました。本も読めません、テレビを見たくても点けられませんし、チャンネルも変えられません。イヤホンを自分の耳に付けることすら、看護師の方にお願いして付けていただくしか有りませんでした。

 それまであまり病気やケガをしたことが無く、生まれて初めて骨折し、入院生活を送りましたが、運び込まれたこの病院のホスピタリティーは素晴らしく、この後に転院した大学病院は動物園かと思えたほどでした。さすが入院するにも長い間待つ必要がある、人気ナンバーワンの病院で、今回入院できたのもたまたまICUのベッドに空きがあったためでした。

 独立して仕事をし始め11年が経っていましたが、心配なのはやはり仕事のこと。途中ペンディングで休止している大きな仕事も2件ほどありました、実際に仕事は同じ建物で一緒に仕事をしている、学校の同級生でもあり友人に引き継いでもらうようお願いし、少し安心できましたが、さあ、体のことはどうしましょう。

 途中ペンディングで止まった仕事の一つが、友人の整形外科医が勤務する大学の教室を紹介するパンフレットの仕事でした。その時期彼は学会などで忙しく、連絡が来ない日がしばらく続いており、退院してから挨拶にでも行くか、程度に考えていたところ、かみさんが持ち帰った携帯に入院翌日、その彼から連絡が入り、状況を説明したかみさんに「僕が診ますから、病院のレントゲンを、外来に持ってきてください」と言われたと、翌日病院に来た時に教えてくれました。



ランギロア・ダイビング

 その彼と友人として付き合いだしたのは、まだ24〜5才の頃、インド洋に浮かぶモルジブへダイビングをしに行った時に、同じツアーで知り合いました。その後お互いに写真が好きで、気も合った気軽さから歯科医師の友人と3人でタヒチ・ランギロア環礁に潜りにも行った中でした。モルジブで知り合った頃は医師国家試験に合格したての、まだ学生の延長みたいだった頃。ランギロアに行った時は、大学に戻り、アメリカに留学する前の頃で、何年か後日本に戻り、大学の研究室で、神経の再生などの成果を全国紙の新聞に取り上げられたり、世界的に有名なミュージシャンを治療したりと、そちらの世界ではかなり有名な人物になっていました。

 結局そのレントゲンで転院が認められ、ICUで退院できるという判断が下された2月最後の土曜日、退院したその足でタクシーに乗り込み、大学病院に転院しました。




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