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クリエイティブって

職業の限界?

クリエイターとしての価値観を上げるために、クリエイティビティーと言うブランディングだけでは、認知されないと言ういかんともしがたい部分が多くなってきた。

カタログなどの立込の撮影も、スタジオ代や実際に立込にかかる費用、カメラマンなどの拘束時間や天候待ちなど費用や利便性から、Autodeskのような3DCGを積極的に使うメーカーが出てきていて、今後主流になるのではないかと考える。

見る人を唸らせる質の高い写真は、それを理解してくれる一部の人は価値を認めてくれるが、普通の人たちは安くてもそこそこのクォリティーが確保されていれば満足してしまう。

クリエイティビティーと言う質を特徴として差別化して行っても、今まで座っていた椅子が半分に減らされたような物だから、新しい椅子を探すのも大変。
昔一緒に仕事したカメラマンも、いつの間にか消えていった。

・・・昔はいれてくれるマスターの腕と、豆を煎るローストの加減に価値を認め、一杯400円のコーヒーを喜んで飲んでいたけど、今じゃマクドナルドの100円コーヒーで満足する人が多くなっているんじゃない。?

グラフィックの世界では、ADCや毎広などの賞を取ったデザイナーでも、仕事が無くて食べていくのに苦労していて、私なんかは消える前の風前の灯火。

PROなんだから仕事に関しては誇りもあるし、手も抜く事など考えもせず、外に出して恥ずかしくない物を作って来たつもりだ。それがクライアントを説得し、仕事を呼ぶ唯一の営業方法だったから。
しかも、周りを見ればもっとスゴイ人たちが沢山いて、そんな人たちの作品を見ると自分の仕事もまだまだとは思うが、社会の一部は仕事をクォリティーではなく、効率で評価しようとする。

・・・だって、デジカメ使えば誰だって雑誌に載っている人の顔“くらい”のものは撮れるし、PCで画像処理だって出来ちゃう。

PROの仕事の評価をアマチュアである担当者が自分を基準に測るから、高いお金は出せない。だってチャッチャッと行って撮ってくれば終わりでしょ?、ってなもんだ。

ひょっとしたらデザイナーにしろカメラマンにしろイラストレーターにしろ、クリエイターは広告を通じて企業というパトロンから養ってもらい、文化的にも成熟した職業だったのかもしれない。

そんなお金の流れが変わってしまったとすれば、その他大勢の分母が支えてきた文化なんてあっという間に崩壊する、それを嫌って日常の中に非日常と言う女性の裸を入れ込んだ写真で、文化を活性化しようとした篠山紀信事務所が家宅捜索されたのも、崩壊を助長する現象の一つなのかもしれない。

物を創るクリエイティブな仕事は好きだけど、職業として成り立って行かなくなるのだったら次は何をしたらいいのか、と悩み考える今日この頃である。




クリエイターに求められるフィロソフィーって

フィロソフィーを直訳すと哲学です、参加しているSNSのコミュニティーで海外のカメラマンから「日本人カメラマンにはフィロソフィーが足りない」との話で少し盛り上がりました。でもクリエイティブのための哲学はなんだと言ってもあまりにも漠然としていて、クリエイティブのどこに、何に対して哲学が必要なのか、そもそもそんな物が必要なのかさえ分からなかったりする。

しかし物を作り出す画家や音楽家から作り出された作品には、見たり聞く人が受ける印象に作家としてのフィロソフィーを感じます。そんな作品に対するフィロソフィーは、プロのカメラマンやイラストレーターに必要とされているのでしょうか。

だいたい写真や絵を描く初期の頃は、このカメラマンの作品みたいな写真を撮りたいとか、このイラストレーターのこんな絵を描きたいなど、まずは模倣から始まることが多いと思いますが、撮りためて、描きためていくうちに、生活や周りの人から受けた自分としての「生き方」などが段々と形づくられるようになり、それを表現する画像やイラストに反映され、見る人が作家の気持ちをその作品から感じることで、その作品の評価に繋がっていきます。

つまりクリエイターに求められるフィロソフィーとは、その作家の生き様を作品にぶつけた結果を出せているかどうかだと思いますが、生き様と言うことだと哲学と言っては少しニュアンスが違うのかな、プリンシプルの方が正しいかも知れません。

例えばカメラで写真一枚撮るにしても対象となるのは風景があったり、人物があったり、人物の中でも女性を美しくだったり、運動しているダイナミックな体の動きを撮ったりと、自分が表現しよう、誰かに「自分が受けた感動を伝えたい」の気持ちを持ってのシャッターを切る時に、撮影する側が被写体をどのように理解し、どのように表現すべきかの意志を持つことによって作品になるか、ただの写真で終わってしまうか分かれてしまうと感じます。

その方向性が多くの人に認められ、評価されるとその人個人のブランドになりますから、持つクリエイターと持たないクリエイターとの間は、年が過ぎるにつれ大きな差が出来てくるでしょう。




久しぶりに「文字の力」を感じたコピーに出会った

一昔前に「コピーライターの時代」とか言われ、糸井さんとか仲畑さんとか、広告制作のコピーライターがずいぶんともて囃された時がありました。その頃スタープレーヤーと言われたコピーライターたちの仕事は、キャッチコピー一行100万円なんて事もまことしやかに伝わっていましたが、クリエイティブディレクターとして広告全体をディレクションすれば、そんな金額もあながち嘘ではなかったと思います。

そんな時代から現在ではWebという情報流通の環境が変わり、流通量が大きく変化するにつれ、文字という情報の単価が低くなったのか、広告のコピーを含め、見る人にメッセージを残すようなインパクトの強い広告が少なくなったと感じていました。

中吊り広告

でも、今日乗った東海道線で読売新聞の中吊り広告を見て、久しぶりに良い広告だと感じた。

ビジュアルは一人寂しく座る教室の写真に、少し長めのコピーが付く。




ひとの心を傷つけて

喜ぶ心さびしき者に

聞く耳はなかろうから、

中傷された君に言う。

蠅たちの集まりでは、

蝶も「キモイ」と

陰口をたたかれるだろう。

心ない者たちのうちにも

自分と同じ美しさを探しつつ、

君はひとり、

大人になればいい。




多分コピーライターが書いた物ではないのだろうが、見る人に元気を与えてくれる応援歌のように聞こえる。もちろん子供が出てきて「いじめ」の問題を扱っていることはよく分かるが、この広告はその当事者である子供たちに対して直接語りかけるメッセージではない。読売新聞という一企業が新聞という商品のイメージアップを狙って出した広告だ。

情報を発信するメディアとして、社会の事象をどのように受け取り、それをどのように社会に伝えていくか、オピニオンリーダーとして共感され、認められる事をしているのかという、自分の力を社会に問いただす広告でもあると思う。

けしてお金も掛かってはいない地味とも言える広告だが、もしこの広告がシリーズ広告だとしたら次はどんな切り口で持ってくるのだろうか、興味津々です。




新商売開始なのだ

この数年、私の仕事であるグラフィックデザインに対する「求められる質」と「対価」が大きく変化した。その結果、今までと同じような売り上げを上げることが出来なくなってきた事から、変化した環境に合わせいろいろな事もしてみたが、B to Bのスタイルが合わなくなってきているのかも知れない。
とは言ってみるが、クリエイティブの仕事はどこでも使い捨てが多かったのは当たり前で、広告代理店でもクリエイティブの人間が社をまとめる代表を勤めることは少なく、私が将来を見越して10年くらい前に手を打っておけば防げていたことなのかもしれませんが。

てな事で対個人を対象に、新しい商売を始めることにした。

もちろん「グラフィックデザイン」と言う仕事が、個人生活に需要があるとは思っていません、ですから売り物とするのがデザインではなく”アート”のカテゴリーに入ると思います。

牧/額.jpg 田中夫妻/額.jpg 赤木/額.jpg

具体的には、ポートレート・ドローイング。肖像画制作を商売にしようと言うこと。Web上でも似顔絵を書きますと言う商売が沢山ありますが、アバターや漫画のような似顔絵ではなく、フェース・デッサンと言うか、画家が油絵を描くときの下書きとしてチョークで描くドローイングです。

芸術面で音楽家や画家の方でも、生まれながらに絶対音感を持って生まれてきた人や、目で見たものを正確に紙に描くことができる能力を持っている人がいます。残念ながら私にはそんな能力は備わっておりませんので、能力者の友人と組み、私がマネージメントと営業業務を受け持ち、仕事をして良く形で始めました。

今までも友人は、仕事上お付き合いのあった大手食料品メーカーの会長の肖像画や、離日する北欧の大使にプレゼントするための肖像画を描いていたりしていましたが、一人ひとりを描くために時間を使っていると長い時間を拘束されてしまいますので、一枚の絵を仕上げるのにも非常に高価になってしまいますが、デジカメのデーターをもとにF10号と言うキャンバスサイズのドローイングペーパーに描き、F8号サイズでマットに窓抜きした額装をし、宅配便での配送料込みで\19,500、ひとつの画面にふたり一緒に描く場合は\24,500で販売しょうと考えます。

牧1.jpg

田中夫妻2.jpg

赤木1.jpg

装丁する額も好みに合わせるようにすると、効率も悪くなってしまいますので、シンプルな額2種類からスタートしようと考えます。

一点ごと描いていきますので、複製するには多少問題もありますが、要望があればデジタル版画と言う形でリサイズを含めた複製も考えており、京扇子の伝統工芸士による扇子作成までも視野に入れています。

大切な親や兄弟、友人との記念を形に残すこの新しい商売、うまくいきますがどうか、この記事を読んでなんだか良さそうと感じられましたら、ぜひ周りの方に教えてください、よろしくお願いします。

・・・急いでサイト作ってアップしなきゃ。



アイデアの方向性が変わったよなぁ。

物を売るための広告を制作しています。企業がステークホルダーとのコミュニケーションとして、ポスターや新聞広告、プロモーションツールなど、色々な媒体で表現する方法や仕組みを考え、どのような表現の仕方が見る人に共感されるのかと視点を変え、切り口を変えたアイディアをいくつも出し、それにそったビジュアルを探し出して一つの作品に仕上げていました。

メインとなるビジュアルは写真家の〇〇先生に撮影してもらうとか、イラストレーターの誰々さんにあんなものをモチーフに描いてもらうなど、広告が持つ目的に合ったビジュアルを探し出し、組み合わせるのがアートディレクターの仕事です。

ひとつの職域としてもちろん現在でも多くの方が広告の仕事をされていますが、ただ広告と言っても商品やサービスなどを知ってもらい、購入または利用してもらい売上を伸ばすと言う、商品やサービスを売るための営業の一環でもあるわけで、制作する側は見てくれる人に良い印象を持ってもらい、その商品を購入したいと思ってもらう。と言う大きな目的が有りました。

しかし広告を作るのには制作に係る費用はもちろん、その広告を載せる媒体(メディア)が必要で、雑誌や新聞、テレビなどのスペースや時間を購入して広告を出していましけど、Webと言う環境が無い頃は、広告代理店から媒体を購入して広告を出すのが一番合理的な方法で、企業も広告費として莫大と言えるほどの予算を組んでいました。

メディアを使った広告以外と言っても、雑誌やテレビ番組で広告と言う枠ではなく、記事や番組の中で宣伝してもらうペイドパブリシティくらいで、様々なメディアを横断したプロモーションを行うと言った、マルチメディア戦略などは、お金を持った大企業だけが取れる広告戦略でした。

雑誌や新聞などはページと言ったスペースに限界が有りましたし、テレビにしても時間と言う限界が有りました。しかしWebと言うインフラが整い、コミュニケーションメディアとして社会に定着してみると、スペースや時間と言った限界はもとより、媒体料をほとんど無料に近い金額で提供する環境ができ、メディアと言う垣根がひとつ外れました。垣根が外れたと言ってもマスメディアとWebはイコールでは有りませんので、同じ効果は有りませんし使い方も違っています。

そう、垣根が外れ、新しい世界で何か出来るのではないかと、広告代理店をはじめとする今まで広告を扱っていた企業から果てはGoogleまで、色々な手法が現れ、どんな効果があるのかの実験をしながら広告をして行くような、混沌と言うかカオスと言うか、でも検索技術を元にしたGoogleのマッチング広告は成功しましたね。

新しい、誰も体験しなかったメディアが出来たことであれやこれやと試行錯誤して行くうちに、物を売りたいと思う企業側も色々な事が分かってきたのでしょうか、広告だけが物を売るためのプロモーションではないと。例えばほとんど無料に近いWebと言うメディアを使い、買ってもらいたい、と思われる人(見込み客)が求めるようなサービスを無料で提供し、参加した人が楽しむと同時に購入する動機づけをする。昨年一月にこのブログのエントリーに書いたSONYハンディーカムのプロモーションは、そんなWebと広告の機能をうまく使い分けた良いプロモーションでした。

広告を見てもらい、自分のライフスタイルや心情と重ねあわせることで共感を得、その商品を購入してもらうと言った広告は最近あまり見なくなりました。そちらを突き詰めてビジュアルや広告の質を高くするよりも、広告以外のところで見込み客とコミュニケーションをとり、購入につなげる方が費用対効果が見えやすいのかもしれません。

なんだかアートディレクターや、クリエイティブディレクターと言った以前から広告を創ってきた専門職よりも、何をどうやって遊ぶと面白いんんじゃない?、と言うような優秀なプランナーの方が、今は求められているのかな?。




それは、昔には戻らないでしょう。

私たちが10代の頃は雑誌やミニコミ誌などの印刷物が流行をリードし、サブカルチャーとしての文化を創ってきました。情報の流通自体も新聞やテレビ、ラジオから映画館での上映などと今と比べると限られた物と言っても差し支えない程度でした。流通量が少ないから希少性があり、価値も高く、どの企業も喜んで大金を投入して発言の場を手に入れていました。

インターネットが社会に入り込み、人々の暮らしに根付いた今、情報の流通量は天文学的に増え、暮らしの一部となると情報に希少性は無くなり、その結果今まで水源に近かった情報源としてのマスメディアも、価値観が下がってしまい、現在はたたき売りのような状況ではないでしょうか。

流通する情報が上から流れてくる替わりに、沢山の人が共有するようになると、情報の水源地に変わってどんな物が価値を高めていったかというと、宝物のような情報を見つけることが出来る“検索”の価値が非常に高くなったと、共通認識として持たれていると思います。

情報は一部の人間や団体が所有し流す物ではなく、社会の一部になったと考えるべきなのでしょう。これが少し前からも言われだされている“ソーシャルメディア”ですね、そんなメディアの価値観さえ日ごとにスピードを増して変化しています。少し前まではBlogと言う形式で、起承転結を日記のような形の文章でコミュニケーションしていましたが、今はTwitterで、一言二言をタイムラインに並べることで、会話しているのに近いコミュニケーションが実現しています。

このようなメディアに変化があると言うことは、それを利用する側にも嗜好の変化があると考えるべきで、今では価値があると認識されていた芸術作品のような広告は、あまり評価されなくなったように感じます。

キャンペーンでもそんな重厚な広告作品一点だけの構成ではなく、POPでたのしでたのしで楽しそうなビジュアルに、キーワードとなるキャッチフレーズを入れ込み複数の作品で構成するキャンペーンの方が、ソーシャルメディアを使い慣れた人たちに受け入れられると考えます。

Webサイトでも同じようにワンビジュアルワンフレーズと言ったデザイン優先の構成よりも、必要と思われる情報を選びやすいように整理し、インデックス化したものを必ず入れ込むなどの工夫も必要だと思います。このBlogもそうですうが、サイトもそろそろ改修の時期です、全面的に見直して改修しなくてはいけませんね。




若者は無知なのか? 世代間に継承されるべき知識の断絶か。

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先日お付き合いのある印刷屋さんから、専門誌に掲載する雑誌広告制作の話が来た。化粧品を扱う代理店と言う話なのだが、若い女性をターゲットとしたまだ若い会社らしく、直接会ったことはないが担当者も若い女性であるとしか情報は無かった。

大手化粧品メーカーではなく、若い世代の女性をターゲットにしたマーケティングと言うことで「ギャル」をターゲットマーケティングした広報戦略と直感し、あまりにも50歳のオッサンがデザインする価値観と差があるし、どうアプローチしたらいいのかも判らなかったので、断ろうと思ってもいたが、間に入る印刷屋は同年代で10年来の友人でも有ったので引き受けてみた。

先方の担当が考える広告の内容は、新商品の告知がメインで、従来商品も小さな扱いで構わないので入れて行くと言う考え。掲載する紙面のサイズはA-4/4C/1P、商品は色数の多さを見せて行きたいらしく、新商品で32色と従来の製品で31色。進行スケジュールは週の半ばにスタートし、納品は週明けの月曜日と結構タイトなもの。しかもビジュアルは「こんな感じ」と頭にはあるのだが、具体的な形は出来ていないらしい。

「こんな感じ」を聞くと、商品パッケージは金属のヘアラインを基調にしているので、色見本は金属製でヘアラインで出来た家具に並べてあるようにしたい。新製品の告知なので登場感を出すために、舞台で幕が開いたようなカーテンをイメージとして付けたい。カワイイ感じに見せたいので、商品の色になったテディベアのぬいぐるみが並んでいるように見せたい。

製作期間が土日を入れても実質3日と少ししか無いので、現実的なところでテディベアは3D-CGでぬいぐるみを作る時間はないので、FREEのカット集辺りから拾ってくるしか無い。棚も3D-CGは作る時間がないのでIllusutraterの効果フィルターで作り、ヘアラインの画像を貼り込むくらいか。舞台が開く感じのカーテンもレンタルフォトかぬいぐるみと同じようにFREEのカット集から拾ってくるか。

で、たたき台をチャッチャッと何点か作りpdfで送り、帰ってきた返事が、くまのぬいぐるみはもう少しフサフサと言う感じに、金属の家具はイタリアン調に、カーテンの写真、レンタルだとお金払わなければいけないの?。カット集からのものは、もっと豊かにドレープが揺れるような緞帳のようなカーテンに。

くまのぬいぐるみは新色の32色を並べるので、1つ大きくてもせいぜい1.5cm。これに製品の画像をマッピングしフサフサと言った感じのディティールを求めるのね。イタリア調の家具とは具体的にどんな感じなのでしょうか、それを作り上げる時間とお金は出るのでしょうか。レンタルフォト代の約6万円をケチるクライアントが、時間を掛けてイラレで作った物にお金を払ってくれるかが非常に心配。

一つの仕事を複数の人間が分担してスムーズに行うには、共通する項目に関して同じ認識を持っていないと前に進まない。今回の場合は雑誌の広告物なので、印刷に関する共通認識が必要だ。現在ではDTPと言う作るためのソフトと、レンタルフォトエージェンシーやロイヤリティーフリー画像など、その周辺のリテラシーがそれだ。

何とかお互いが摺り合わせをして良いものが出来ればいいのだろうが、あまりにも時間が無い上にリテラシー不足だったために、間に入る印刷屋さんが「なんだかヤバそうだから」と、一度引き受けたにもかかわらず断りの連絡を入れた。

今の若い世代は、こんな危うい仕事を当たり前のようにこなしているのでしょうか。

昨日、よく見に行くChikirinさんのブログの「若者、アウト!」を読んだが、私も若者との仕事でつまずき、その原因が彼ら若者のリテラシー不足と感じる事で、世代間に継承されるべき共通認識が途切れてしまっていると感じた。

若い頃は何でも勢いで生きていけるけれど、一度つまずいてしまうと起き上がるのに大変だから、転ばないように杖となるものを用意した方がいいよ。・・・その杖の用意の仕方が解らなければ教えてあげるから。




グラフィックデザイナーの将来性は?

毎回ブログを書く時の一番のハードルはタイトルをどうするか、これでだいたい仕事しながらとか、他のサイトを覗いてみたりとか頭の中でこねくり回しながら無駄な時間を使い、あきらめ半分でキーボードを打つ。たぶん書く内容にピッタリとしたもっと良いタイトルがあるとは思うのだが、長年付き合った自分の頭のパフォーマンスからするとこんなところが妥当なのでしょうね。

20年前、日本はバブル経済で膨らむだけ膨らんだ経済価値がパンクした時、企業が無駄な広告や広報活動、メセナと言われた社会貢献活動から一斉に手を引いた時期があり、その時も我々の先輩方の多くが事務所を閉めたり、廃業したりしました。

この時の理由は「経済バブルが弾けたから」といたってシンプルですが、今も不景気と言われ、私の周りのデザイン事務所なども忙しくはしているものの景気の良い話は一つも聞こえてきません。理由はデザインと言う仕事がコモディティー化したから。

今まで大枚はたいて外注に出していた仕事が、何を表現すべきかを理解し、ソフトを扱えるスキルが有れば内制した方が効率は高くなります。それでは困るから継続して外注してくれと言うのでしたら、内制と変わらない安い費用で外注を受けるしか合理的な判断ができません。

外注を継続してもらい費用も以前と同じようにお付き合いいただくには、ただのデザイナーと言う価値以上のプラスアルファの付加価値が必要になります。その付加価値は何かと言うと「企業から求められているもの」に応える力。と言うことにに尽きるでしょう。

デザインしたものを代理店や印刷屋に入校し、広告や印刷物が納品されればデザイナーの仕事は終わりますが、デザインされたものはそれから見た人にメッセージを伝えることや、商品を買ってもらうと言った目的本来の仕事が始まります。デザイナーに求められる付加価値とはこの目的まで見越してデザイン出来る力と言って差し支えないと思います。

大きな規模で活動している広告代理店や制作プロダクションには以前からデザイナーやクリエイティブ・ディレクター、アート・ディレクターと言ったクリエイティブの人材以外にも、広報戦略としてのマーケティングやメディアプランニングをする部署などもありましたので、チームとして社会動向を考慮した提案も出来るのでしょうが、メーカーや販売のように大きな年間予算を組んで活動している企業以外、ディレクターと言うプランナー一人が社会的要求とのギャップに気づいて提案するのが現実的ではないでしょうか。

今までのデザイン事務所は、アルバイトや外注スタッフで大量に安価に効率化された仕事をする事務所か、付加価値を売りにする事務所の二極分化し、それ以外のデザイン事務所は淘汰されるのではないでしょうか。

ただし、クォリティーが高いデザイン作業はセンスやまぐれだけでは出来ません。繰り返しトレーニングされたリテラシーが必要とされ、それは外注だろうが内制だろうが変わりありませんので、内制を始めてみたもののクォリティーと制作効率の面で一定レベルに届かない場合は、外注の優れたスタッフに依頼するか、経験者をスタッフとして内部に呼び込むなど、若くて優秀なデザイナーには声がかかるでしょう。

でも、クォリティーの高さ=人的資産と理解するのに時間がかかるんだろうな。




技術革新は仕事の効率を上げたのか?

何を今さらでしょうが、家電製品でもクルマでもPCでも技術革新された商品は、旧来の製品と性能と言う尺度で比べると値段は下がります。二人で一日8時間働いてできる仕事であっても、とても性能の高い機械を使うことで一人が8時間で納めることが可能になったりします。その高い性能の機械がたくさんの製品に使われ、複合的に効率化が進むと一つの業種だけでなく、複数の業界を巻き込んだ広い範囲で雪崩を打ったように社会構造が変化してしまいます。

新聞・雑誌・放送と言った各メディアから、広告業界。もちろん印刷・グラフィックデザインを含む業界もその中に含まれ、仕事の合理化が図られ事業効率が高くなると共に、新聞や雑誌のモノクロページ用の写真をプリントしてくれるラボ屋や、写植屋とか版下を作る版下屋など、消えて言った職人と業種が沢山あります。

だからか15年前に出していた請求書の金額と、現在の金額では「写植代」「版下代」などの実費が計上されなくなったからか、売上に対する原価率が低くなり、殆どがデザイナーの人件費と家賃やリース料の固定費になってきました。そう「技術革新された商品は同じ性能で比べると価格が低くなる」です。カタログやPR誌などの制作費は15年前と比べるとヒトケタ位安く取引されているのではないでしょうか。

そのかわり、制作に携わるスタッフはライターさん一人きり、特別な撮影でない限り取材に行った足で話を聞いてメモを取り、鞄からデジカメとストロボを出して必要なものを撮影し、文章をまとめ、撮った画像と一緒にデザイナーへ渡して仕事終了。

デジタル機材の技術革新で仕事効率は驚くほど高くなりましたが、仕事の量自体は守備範囲が広がったことでかえって増えたような気もしますし、幾つかの業種自体が無くなり、その仕事に携わっていた人たちは、新たに別の仕事を探さなくてはいけなくなりました。仕事の効率が良くなったから、利益率が上がったのは確かですが、単純に外注費がカットされただけで豊かになったとは感じられません。

また、誰でもが機材を使いこなすスキルさえ持てば、そこそこの物は出来るようになりましたが、写真一つにしても露出さえ合っていれば、手ブレさえ無ければ良い写真かと言われれば、残念ながらNoと言うしかありません。

効率と言う名のもとに切り捨てた中に、どう撮影したらその紙面に合った良い写真になるのか、と言った技術者のノウハウも含まれていたようです。以前までは取材に行って伺った話を分り易く文章にすれば済んでいた仕事が、カメラを使ってキチンと撮影することまで求められるようになると、技術革新は便利になったのか、ただ忙しくなったのか判りませんね。

でもデザイナーの仕事としては確実に増えています。文中の漢字のかなの送りの統一(コピーライター)、FONTの購入(写植屋)、写真原稿のレタッチ(レタッチャー)、写真の切り抜き・色調整(製版屋)。などなど、以前は外注に出していたものも今は殆どのものがサービスとしてやらせていただいています。

これからも仕事の手数は増えて行くかもしれませんが、機材の技術革新で効率化できたように、それぞれの担当者が求められるスキルを上げ、事後処理や撮り直しなどの二重の手間を省くことも必要でしょうね。




気がつくか否か。

私はアートディレクターという職種に就いていますが、例えばうちの子供達に「ねえ、お父さんって何の仕事しているの?」と聞かれると、広告やポスターのデザインのお仕事と言っていたが、ただ単に紙面を綺麗に人目を引くデザインレイアウトが仕事かと言うと、いささか違う。

バブルの頃、代理店と組んでコンペする時などは、代理店のマーケティング担当から「このくらいの年齢層のこのくらいのレベルの人達に向けアピール出来る広告を」など、ターゲットマーケティングから導き出されたビジュアルなどを探し出して、こんなんでどうでしょう。と出した案をコンペに参加した複数の代理店の案から、クライアントの戦略に一番ピタリときた物にお仕事が回ってくるという仕組みでしたし、今でもそうなのでしょうたぶん?。

でも今はその頃のように代理店の営業やマーケの人たちとチームを組んでのナショナルブランドや大手クライアント、大規模なキャンペーンの仕事は皆無。先日もお話をいただいたクライアントさんの企業案内パンフレットをプレゼンしてきましたが、どこをどうしたい、ここをああしたいと言ったリクエストは無く、次期パンフレットはどの様なものが相応しいのかを提案させてもらった。もちろん企画から各ページのデザインなど全て一人で、初めから最後まで。

最近の仕事ではまず最初に相手先のWeb Siteをくまなく覗き、その企業の立ち位置を確認、そのパンフレットがツールとして使われる年月の間、社会的に陳腐化しないで使い続けられるか。そのステークホルダーに何をどう伝えるべきかを想定し、情報を理解しやすいであろうセグメントに分け、それぞれの情報ボリュームを考えた上でページ構成を考える。そのページの見せ方・伝え方でどう見せると理解されやすいかを検証し、表にするかグラフにするかイラストがいいのか写真にすべきかを決め、写真ならばどの様な写真にするのか写真のエージェンシーで画像を探し、イラストを探し、グラフを作り地図を作る。

カンプが出来上がるまでどう頑張ってもひと月近くかかる、これに企画書つけてクライアントにプレゼンに行き、作ったカンプをたたき台に擦り合わせをし内容をさらに充実させ、さらに完成度を高くする。これがどんなにスムーズに進んでも、印刷入校までやはりひと月以上は掛かってしまう、一番大切なのは誰に対してナニを伝えるのかと言う点と、どこを問題としてどう注意して見ていくかの視点をクライアントと共に共通認識として持つこと。

間に代理店が入っていると、このクライアントとクリエイティブとの意思疎通が上手くいかない場合がまま有りますが、流石にクライアントと直に取引を始めたらそのような心配がなくなったのは当たり前か。

現在やっている仕事を振り返ってみると、グラフィック・デザイナーとして写真を決めたりイラストを探したり、レイアウトの作業をするのは全体の仕事の内せいぜい15%ぐらいだろうか、しかしデザインの仕事とはこのような物なのだろう、ただ綺麗にレイアウトされたものではなく、使う人が使い易い一つの道具として作る事が出来なければデザイナー失格だろう。

DTPオペレーターとデザイナーとの間はイコールではない、クライアント側で使われるようになった時に、道具として想定した仕事をこなすものが作れるか否かだ、これがオペレーションとデザインの違いだろうね。




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